第60話 千の顔
屋敷の応接間に、俺とクロネ、リターナ、そして向かい側にリスロンさんとバロウズさんが集まっていた。
「……ふん、貴族らしいやり方だな」
リスロンさんがふぅーっと煙を吹き、灰皿に葉巻の灰を落とした。
「それにしても、一歩間違えば恐ろしい事になっておったわい……心臓がいくつあっても足らん」
「いくら勝算があるとはいえ、こっちが負ければクラインの
「……すみません」
リスロンさんが怒るのも無理はない。
今回、急を要した為、リスロンさんには事前に相談できなかったのだ。
「ま、済んだことは仕方ない、それより……、リターナ、サビクをどうやって倒したんだ? 凄腕の暗殺者なんだろう?」
リターナに注目が集まる。
そうだ、確かにあの時、リターナとサビクは対峙したまま動かなかった。
リターナの事だし、何かの魔術を使ったのだとは思うが……。
「このまま言わないでおこうと思ったんだけど……そういう訳にもいかなそうね」
「ちょっと、勿体ぶらないでよー」
クロネがリターナの身体を揺らした。
「わかった、わかったから……クロネちゃん、やめて頂戴」
リターナがずれた帽子とローブを直し、小さく咳払いをして話し始める。
「あの時、決闘の前には、もう既に私の『
「幻視?」
「ええ、相手に夢のような幻覚を見せる魔術よ。成功率は低いけど、今回はチャンスがあったから使ったの。もし、そうじゃなければ、正面から戦っていたと思うわ」
「チャンスって何の? どういうこと?」
クロネの目が?になっている。
「幻視という術を成功させるには、相手と自分の間に共通のイメージが必要になるの。言わば、侵入するための『鍵』みたいなものね。普通は……そうね、例えば綺麗な花を見せて、しばらくしたら『あの花、綺麗でしたね?』と相手に訊ねる。すると、相手の頭にはさっき見た花のイメージが浮かぶ可能性が高いでしょ? そこを狙って術を仕掛けるってわけ」
「じゃあ、サビクには姉さんと同じイメージが浮かんでたの?」
「そういうことね」
「ちなみに何のイメージだったんだい?」
リスロンさんが訊ねると、
「それは秘密にしておきます」とリターナはクスッと笑った。
「それにしても、凄い魔術だのぉ……、美しい花には棘があるというが、儂に棘を向けんでくれよ?」
バロウズさんが冗談めかして言うと、リターナは「もちろんですよ」と微笑んだ。
* * *
イグニス・スパロウ伯爵を乗せた竜車は、モスカーナへ急いでいた。
「クソッ!」
車内に苛立ったイグニスの声が響く。
「何という失態だ! それもこれも……サビク! お前のせいだぞ!」
「申し訳ございません、次は必ず……」
頭を床に付け、サビクは主に許しを請う。
「お前に使ったポーションの価値がわかるか? あぁ⁉」
イグニスがサビクに与えたポーションは『エクスポーション』だった。
スパロウ家に代々受け継がれてきた秘蔵の五本、その内の一本を子飼いの暗殺者に与えるなど、先代が聞けば卒倒してもおかしくない。
では、何故、そのような貴重な物を与えたのか?
それはイグニスがサビク以上の切り札を持たないと言うことを意味する。
これまで、サビクが失敗したり、負けたことなど一度もなかった。
決して能力が低いのではない。
曲がりなりにも、スパロウ家が抱える暗殺一族の現頭領である。
相手が異常なのだと思うことで、イグニスはどうにか心を鎮めた。
「このご恩は、必ずやお返しいたします……」
「もうよい、それよりも……彼奴らは一体、何者なのだ?」
「私が掛けられた魔術、あれは幻視というかなり高度な魔術です。それに、あの身のこなしから見て、リターナという女は裏の世界の人間だと確信いたしました……」
「裏の世界?」
「ある古い組織に『
「千の顔というと……変装か? 大した事はないように思えるがな」
「いえ、それはあくまでも表面上の呼び名に過ぎません、千の顔が恐れられるのは、その扱う魔術の多様さから来ています」
「高位の魔術師……、確かに厄介だな」
「その他の者も、かなりの実力者かと思われます」
「チッ! 気に食わん! なぜ、彼奴の下にそのような人材がおるのだ!」
「……」
「絶対にこのままでは済まさんぞ……。サビク、モスカーナに着いたらリンデルハイム家に向かえ、ボリス様にお伝えするのだ、弟が何やら良からぬ企みをしているとな……」
イグニスは憎らしげに親指を噛んだ。
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