第30話  Please be my

翼が動き、暴風が生まれる。伸びた黒髪が風に揺れ、思わず片目を閉じる程の風。

鳥の形を模したアリスの暴霊は、空へと飛びたつ。


「ダメだアリス、戻ってこい!」


シンが叫び、制止しようとするも、意識を失っているアリスには届かない。

ぐんぐん上昇、加速する。しかし、その先にあるのは鉄格子のみ。

「やめろぉぉぉ!!!」

叫ぶ。

しかし、間に合わない。

頭に格子がぶつかり、凄まじい音を響かせる。空間全体を揺るがすかのようだ。

墜落していくアリス。いくら霊力の体でガードされているとはいえ、あの高さから落ちれば無事では済まないだろう。

「あ、あああああああああぁぁぁあああぁあ!!!」

加速する。

視界が刹那、ぶれる。

すぐにクリアな視界が戻ってくる。建物と建物の間を何度も跳躍し、空中へ飛び出す。先程のアリスの衝突で崩壊した建物の一部に乗り、足を大きく曲げる。バネが伸びるように跳ね、高度五十メートル弱の場にいるアリスに向けて飛び上がる。

腹筋に力を入れ、真っ直ぐな姿勢で跳ぶ。Re:Le応用移動術〈飛槍ひそう〉。

胴体を抱き、何回か回転する。地面に頭から直下降するような姿勢になり、どんどん地面が迫る。

「ティル!!」

腰に付けた魔剣から鎖が射出され、先端の楔が建物に突き刺さる。ものの十数秒もすれば建物の一部ごと楔は抜けるだろう。

だが、その数秒間で十分な時間であった。

まだ残っている瓦礫の破片。それらを飛び台に何度もジャンプを繰り返し、上へと上がる。

足が下になるように落下姿勢を調整、風圧で伸びた黒髪が逆立つ。

グラムの刀身から布を生成し、建物の鉄骨や柱に巻き付け、落下速度を減殺する。

着地。アリスを一度床に寝かせる。

アリス――暴霊は、身を捩り、羽を羽ばたかせ、再び空へ舞おうとする。

「アリス、駄目だ・・・駄目なんだ・・・!!」

必死にアリスを押えようとするシン。しかし、暴霊は止まろうとはしない。


シンは意を決し、暴霊の霊力体に手を入れる。

気体とも液体とも覚束ない感触。

「――――――っっっっっっ!!!!」

手から激痛が走る。脳に直接電気を流されながら揺さぶられ、心臓に刃を突き立てるような鮮烈な痛み。

暴霊の霊力体に触れるのは自殺行為に等しい。

暴霊の霊力は人間に適正が無い為、痛みで肉体が死ぬ。

そして――

『誰も私を望まない』

『私は必要無い』

『死んだ方が世のためだ』

核たる人間の感情――――そのマイナス部分のみが摘出され、流れ込んでくる。

過負荷かつ余りにも暗すぎる感情に精神が壊れ、生命体としての活動が強制停止に誘われる。

防ぐ方法の一つが、抵抗霊力を身体に纏わせて入れるという事。

しかし当然、それは感情にも抵抗する。つまり

絶対に傷つけたくない。その意思だけで、痛みにも、精神的苦痛にも耐えきってみせる。

全身が霊力体に沈み行く。全身が激痛に苛まれる。痛みで朦朧とする意識。しかし、意思と視界は鮮明。

アリスを助ける。

自分の手が他人の血で真っ赤に染まっていて、誰かを助ける、なんて事を言う資格なんて無いなんてこと、とうの昔に知っていた。

だけど、言わずには居られなかった。

手を伸ばさずにはいられなかった。

だって。

だって。

だって――

「アリス!」

声の限り叫ぶ。

「お前を必要とする人間は――お前を望む人間は、いるぞ!!」

届け、願うばかり。

「――俺だ!!」

高らかに。

笑顔で。

堂々と、宣言告白する。

「俺はお前が好きだよ!!今まで自分にしてた言い訳を認めてくれて!俺の過ちを共に悔やんでくれて!」

アリスの目が開く。驚いたように瞳が揺れる。

「だから、さ!」

距離を詰める。

鼓動が乱れる。

霊力体に入る時よりも強い意志を固めて――


唇同士を軽くふれあわせた。

秒にも満たない時間。身体が焦げそうな程熱い。腹の奥が恥ずかしさでざわざわする。その気持ちを誤魔化すように、

「俺と、一緒に居てくれねぇか?」

にっこり笑って、言う。

霊力が散り、視界が晴れる。

空中に放り出されたアリスを、シンが地上でキャッチ。お姫様抱っこのような体勢になる。

「――もちろんっ!シンと一緒に、いたい!」

向日葵のような笑い顔を浮かべて、答えるアリス。

格子が一瞬で解け、霊力の欠片が風に舞う花弁のように散る。

「あ・・・眠くなっちゃった・・・寝ていい?」

「あぁ、ゆっくり寝ておけーー後は俺に任せろ」

数秒でか細い寝息を立て始めるアリス。シンの寝床に運び、寝かせる。


ブーツの底が芝生を蹴る。

「シン!大丈夫なのか!?」

フィールが驚いたように顔を向ける。

中隊を相手にしながらこのように話せるのは、一重にフィールの結界のお陰だ。

「あぁ、俺の方はな・・・そっちは?」

「間に合わなかった、悪い・・・僕の炎が使えないっつー訳でユンナとラルラに任せっきり。ラルラの矢が読まれまくりで、ユンナの負担がでかい」

病み上がりのフィールは精霊の能力である焔が使えない。ラルラの矢も、軍で通用するとはいえ腐ってもプロ、当然読まれる。

つまり、防御しようが貫通するユンナの力くらいしか有効打がない。

「そっか・・・二人を下げてくれ、

まるで、あの日のように。

一人結界の外側に出るシン。

「・・・勝てるんでしょうね」

「しぬなんて、ゅるさなぃ・・・」

ユンナとラルラが心配そうに言う。

「任せとけーー必ず殺す」

その目には、言葉には。

あの日棄てた筈の明確な殺意が籠っていた。




「・・・よぉ」

「貴様、何者だ」

厳かな声が響く。

「特殊隷霊師集団Re:Le所属、シン・グレース・・・聞きたい事があるんだが、脱走兵さん?」

両者の間に火花が散る。

言葉には気を付けろ、と言わんばかりの視線。一触即発の空気が満ちる。

「・・・さっき、お前らの前にあったあの鳥籠・・・あれは、俺の大事な人が自分と仲間を護る為に産んだ物だ」

シンの問が展開される。

「お前らはそれを攻撃し、彼女の友人を殺し、深く傷付けた」

次第に声に怒気が含まれる。

「お前らの攻撃で、殺された・・・お前らはどうだ?戦場、停戦状態にある相手から唐突な攻撃で仲間が死ねば、理不尽だ、条約違反だと怒るじゃないか」

兵がざわつきはじめる。

「・・・俺が今、その状態にあるんだ・・・どいつだ、攻撃した奴は」

殺気が。

黄泉の国から運ばれてきたような死の気配が、返答を促す。

隊長と思われる男が、口を開いた。

「・・・戦場とは、そういう物だ」

そう言うと、右手を挙げた。炎が、雷が、水が。様々な術がシンの本へ殺到せんと進む。


刹那。

瞬きの間さえ与えない速度で、シンの両手の短剣が一人の兵の喉に深々と突き刺さっていた。

兵は血を吐き、浅い呼吸を何度も繰り返し、倒れた。

手に染み付いた不快な感覚。それすら生ぬるいというように向き直る。

「・・・こいよ、ここは戦場なんだろ?全員殺してやる」

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