第18話 暗転

「はぁ・・・はぁ・・・」

シャワーを浴びる。

ふと、眼を開けば自分の両手が見えた。

真っ赤な粘液が反射して、キラキラと輝いていて。

「あ、ああああああああああああああああ!!!!!」

今最も見たくない、あの色が。

掻き毟るように洗い、恐ろしい水圧を手に叩き付ける。

気づけば手からは血が零れ、傷口に何かが染みる。

その紅に嫌悪さえ覚え、頭が痛む。

「うっ・・・!!・・・寝よう」

か細い声で呟く。頬に、涙が伝っていた。



眠れない。

普段なら目を閉じて3秒もあれば眠れるのに。

寝れない時は一発抜くが、今はその気分でも無い。

布団をかけ、眼を瞑る。


いつか首を刎ねた人達、以前殴打でどこかへ跳んでいった奴、そして、キリアのあの顔が瞼の裏側に鮮明に写る。

「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!」

思わず跳ね起きる。全身汗をかき、服が体に張り付いて気持ち悪い。

寝ながら掻き毟ったのか、体は引っ掻き傷まみれで、汗が傷口に触れズキズキと痛む。

ダメだ、眠れない。

寝れても、悪夢を見てしまう。

寝ないという選択肢もあるが、どうにもそれはできそうもない。

「・・・寝たい」




夜が明けた。

結局、寝ては起き寝ては起きを繰り返し、休息なんて取れた物じゃなかった。

疲弊しきった体に届いたのは、電話のベルのけたたましい音。

『おい!出勤時間だ』

「ごめんなさい、今日休みます・・・」

『え!?あ、おいちょ』

言葉を最後まで待たず、受話器を置く。

もう何も答える気力さえ起きなかった。またベッドに寝そべって、重圧と眠気と責任感に押しつぶされるんだ。

シンの精神は、崩壊し始めていた。



「・・・どうしたんだ、あいつ」

クロウは電話越しの声に疑念を抱いていた。

「どうなさったんです?」

ユンナが問いかけた。

「あぁ、いや・・・あいつの声、なんか疲れ切って、泣いてる声がしてたんだ。それに、なんか吐く直前みたいな感じもあったし・・・」

「よくそんなに分かりましたね・・・」

顔を引きつらせて軽く引くユンナ。

「あー・・・もしかしたら、アレ気にしてるのかな」

フィールがぼそりと溢したのを、クロウは聞き逃さなかった。

「おいアレってなんだ!!」

「うげ!?・・・えーとですね・・・」

この後、拷問じみた尋問が一時間続くのだった。


「・・・そんな、事があったのか」

クロウは、悲痛な面持ちで声を押し出す。

「僕達の身代わりになった上、奴にとどめを刺しました。しかし、その代償は重かったようです」

フィールやユンナが声を絞り出す。ラルラに至っては、もう泣いていた。

当然だった。

フィール達もシンと同じように幾人も殺めてきた。直接言われたシンほどでは無いにしろ、当然迷いは生まれていた。

今まで「正義」だと思っていた「何か」が瓦解する感覚だった。

やっている事は、殺人犯と何ら変わりは無い。正義の為に殺すのは、合法であれども行為自体は同じなのだ。

正義のあり方が、分からなくなっている。

その疑念がシンを苛んでいるのだと、フィールは思っていた。




3週間が経った。

(・・・もう、嫌だな)

シンは、碌に寝れていなかった。寝れば、奪った命が自分の内で蘇る。

もう見たくなかった。

悪夢の中を藻掻けど藻掻けど抜け出せず、耳に響くは怨嗟の声。

気力なんて微塵も生まれない。

何も食べたくなかった。

何も飲みたくなかった。

体は枝の様に痩せ細り、骨や血管が浮き出ていた。枯れた体からは絶えず涙が流れていて、その顔には生気も無かった。

屑籠からは微かに吐瀉物と血の匂いが漂い、ベッドには青カビが生え始めていた。

この3週間、シンはただただ自分を傷つけた。

悪夢を見る度に体を掻く。皮は幾度となくボロボロになった。

壁や床に自分自身を叩き付ける。痣だらけの肌は見るだけで痛々しい。

見たくない物が見えてしまう目を潰そうとした。

恐ろしくて出来なかった。自分の情けなさとふがいなさに涙が出た。

いつもなら喜び勇んで手入れする剣を見る気も起きなかった。

数多の血を吸ったこの体が憎かった。自分という存在が嫌になった。

(・・・きっと、この世界は俺を認めてくれはしないんだろうな)

子供の頃を思い出した。

隷霊師だという事が分かった途端、さっきまで仲良く遊んでいた友人が嫌悪と侮蔑を孕んだ声で拒絶の意思を示された。

日常の事を思い出した。

近所で自分が差別され、その擁護に回った母さえも差別の対象になり、レッテルを貼られた事を。

12歳の時、隷霊師だって国を護ってるんだと息巻いてRe:Leに入った。学校でも嫌われ者だったシンはすぐにRe:Leになじめた。


でもきっと、彼らも自分を嫌うのだろう。

寄るな、気色悪い。二度と顔を見せるな、

人殺し。

あの言葉が、あの瞬間が、あの感触が鮮明に浮かび上がって――

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!」

体をまた千切るように掻き毟る。幾度と無く体を打ち付ける。

トラウマが蘇る度、シンの体はボロボロになっていた。


「・・・もう、いいよね」

そっと、自分の首に手を添える。力を込めると、息苦しさを感じた。

「もう、皆から忘れ去られて・・・きっと、このまま」



シンの家の近く。とある男が建造物の上に立っていた。

指先に携えた黒い霊力塊をシンに向けて投げ、立ち去った。



息苦しさが全身に広がり、視野が狭窄し始めた。

きっと、このまま存在を消し去れるんだ。

ただ、それだけを渇望していた。

ふと、脳裏で何かが過ぎった。

「・・・こんな世界は、壊せばいいんだ。俺が、壊すんだ・・・」

シンの体が一人でに持ち上がる。霊力が集中する――




「――――ボス、大変ですッ!!!」

Re:Leの事務所に、組員の悲鳴が響く。

「どうした!?」

予想だにしなかったその声に、驚きながら応えるクロウ。

「ま、街に暴霊レイジングスピリットが出ました!!」

「何だと!?場所はどこだ!」

即座に状況を判断し、的確な指示を出す。

しかし、そこで告げられたのは絶望的な言葉。

「場所は、第六区五の街八条――――シンの、家からです」



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