第114話 閑話(とある海洋国家2)

 その報告は、正に寝耳に水だった。


「所属不明の艦隊が、港に向かってきています!」


 最初は、モーア大灯台からの緊急信号だった。通常は絶対に使用されない、緊急事態の連絡である。その信号に気付いた担当者は、最初、全く意味が分からなかった。数年前に配属された初日に教えられ、その後一切使用されることのなかったその信号を識別できなかったのだ。


「おい、あれは艦隊接近警報だぞ!! 艦隊、5隻以上、所属不明だ!!」


 部署内ではマニュアル狂として有名なとある担当者が、それを見て叫んだ。彼の知識を疑う同僚はおらず、即座に通信担当が港湾警備部へ連絡に走った。

 その間にも、当然謎の艦隊は接近を続けている。それに気付いた商船は慌てて帆を張り、進路から退避を始める。軍艦の行く手を遮った場合、問答無用で撃沈されても文句は言えないのだ。

 軍艦の通行権は最優先であり、商船は最低である。とはいえ、レプイタリ王国の軍船はどれも規律に厳しく、礼儀正しいと評判なのだが。


「不味い、間に合わんぞ!」

「急げェーッ!! 帆を上げろォーッ!!」


 しかし、錨を下ろして停泊していた船は、そう簡単には動けない。必死に帆を上げようとするが、そもそも港湾内では乗員の大半が上陸している船がほとんどだ。思うように動けない船も出て来ようというものだ。


「こっちに来るぞォーッ!!」

「…ッ! 曲がった…? おい、曲がった、曲がったぞ! お前、錨を下ろせ、走れ走れ走れェッ!!」


 接近してくる軍艦が、ゆっくりと左に進路を変更した。動けない商船を避けようとしているのだろう。それに気付いた船は、逆に慌てて帆を畳む。下手に風を掴むと、衝突コースに乗ってしまうこともあるのだ。相手が避けてくれるなら、こちらは動かないほうが間違いない。


「うおおぉ…! なんてデカさだ!!」

「どこの国の船だぁ!?」

「帆を張ってねえ、外輪もねえぞ! レプイタリの最新艦か!?」


 その軍艦は、真っ白に塗装された船体を持っていた。帆を張っておらず、マストも1本しか無いことから動力船だとは想像がつく。レプイタリ王国の主力艦と遜色ない大きさであるにもかかわらず、その速度は信じられないほど速い。見張りが気付いてから、あっというまに目の前に迫ってきている。


「波に気をつけろォ!!」

「揺れるぞォーッ! 捕まれェーッ!!」


 白い軍艦が作り出した引き波が、商船を大きく揺らす。船べりやマストに抱きついた船員達は、通り過ぎるその船体を呆然と見上げていた。通常、軍艦がここまで近くを通ることはまずない。ルートは事前に告知されるし、そもそも首都モーアの港にはほとんど軍艦は停泊していないのだ。


 そんな訳で、モーア港は軽いパニック状態になっていた。暴走するほどではないが、新型艦のお披露目だの敵国の襲撃だのといった流言飛語が飛び交い、野次馬が港、桟橋に詰めかける事態となっていた。当然それだけ人が集まれば、真っ先に動くべき海軍の動きも遅くなる。何隻かの沿岸警備艇は何とか漕ぎ出すことができたものの、定員は明らかに足りていなかった。

 混乱の中、その艦隊はゆっくりと停止する。一際巨大な、旗艦と思われる1隻。その周囲を、8隻の軍艦が狭い間隔で取り巻いている。錨を下ろしているわけでもないのに、ぴったりとその位置関係を崩さない。見る人が見れば、それが非常に高度な技術であることが分かっただろう。


「艦長、どうしますか! 臨検ですか!?」

「馬鹿野郎、他国の軍艦に臨検なんぞできるか!! ぶっ殺されるぞ!」


 そして、警備艇も迂闊に近付くことはできない。当然、軍艦相手に臨検などしようものなら、敵対行動と判定されて撃沈されても文句は言えない。いや、国として文句はつけるかも知れないが、失われるのは自分と部下の命だ。正式な命令でもない限り、わざわざ近付こうとは思わない。

 幸いなことに、この真っ白な軍艦はその場で停まっているだけで、何かしようという素振りは見せていない。司令部からの命令が来るまで、監視という名目でここに留まるしか無いだろう。艦長はそう判断し、錨を下ろす命令を出した。



「聞いていないぞ。沿岸警備隊は何をしていたのだ!」

「夜陰に紛れてラフレト海に侵入していたのかも知れません」

「当たり前だ! それを警戒して、カルモラ海峡に何隻船を回していると思っている!」


 司令部に詰めていた総提督、アルバン・ブレイアスは報告に来た部下に怒鳴り散らした。ラフレト海は、いくら湾とはいえ非常に大きく、また他国との境界でもあるため全てを監視するのは不可能だ。故に、カルモラ海峡の警備艇を増やし、特に夜間は必ず3隻以上が警戒に当たると規定していた。それを、1隻2隻ならともかく、9隻もの艦隊を素通りさせたなど無能極まりない、としか言いようがなかった。


「アルバン様! カルモラ港より緊急の手紙が届きました!」

「…読め」

「はっ。発、カルモラ港司令官クルード・モア大佐。宛、海軍総司令部渉外部。新暦32年10月32日08時16分、カルモラ海峡を通過する所属不明艦隊を目視。確認6隻。推定8隻または9隻。全艦動力航行。警備艇での接触は叶わず。注意されたし。以上です!」

「…今日の午前8時、だと」


 現在、10月32日16時。あの艦隊は、カルモラ海峡を通過して、8時間でこの首都モーアまで辿り着いたということになる。無論、報告を信じれば、なのだが。


「アルバン様。ブラオリッター港より緊急の手紙が届きました!」


 アルバン・ブレイアスが、無言で続きを促した。


「失礼します! 発、ブラオリッター港司令官ベリアス・グランド大佐。宛、海軍総司令部渉外部。新暦32年10月32日12時36分、カルモラ港より所属不明艦隊侵入の報あり。同12時51分、警備艇が目視にて所属不明艦隊と思しき船影を確認。確認1隻。帆無しのため、動力航行と推定。警備艇での接触は叶わず。注意されたし。以上です!」


 これで、カルモラ港からの報告に間違いがないことが証明された。別の港からほぼ同じ連絡があったということは、共謀しない限りは正しい情報だろう。そして、レプイタリ王国の海軍大佐が、揃って欺瞞情報を上げるとは考えにくい。

 そしてこの後、各地の港や警備艇から、同様の報告、続報が次々と集まってくることになる。

 こうなると、認めないわけにはいかない。

 あの、首都モーアの港で停止している艦隊は、わずか8時間かそこらでカルモラ海峡からここモーアに辿り着いたのだと。

 それは、レプイタリ王国海軍の最新鋭艦でも到達していない速度域である。対外的には、最新の蒸気機関スクリュー船でその距離を進むには20時間以上必要になるし、非公式の速度計測でも15時間を切ることはない。


「不味いな…」


 総提督は、思わずつぶやいた。幸いなことに、その呟きは誰にも聞かれなかったようだ。海軍トップが、まさか弱音を吐く訳にはいかない。総提督、アルバン・ブレイアスは大きく息を吸い、指示を出す。


「こちらから手を出すことは禁止する。末端に至るまで厳命せよ。それから、すぐに使者を用意しろ。ブラオリッター港とヴァイスリッター港、ヴァーツィラ港駐留艦隊に臨戦態勢を取らせろ。私は王宮へ報告に赴く、先触れを出せ。それから、直に目視したい。兵装に詳しい者を付けろ。すぐに出る」

「了解しました!」


 総提督の指示に、周囲は慌ただしく動き出す。港の監視塔までは地下通路が繋がっているため、そこを使えばすぐに確認できるだろう。港の目の前に、所属不明の軍艦が侵入している。最悪、王宮への砲撃も可能ではないか。

 一刻の猶予もなかった。


 そして、その全てを、天井の隅にひっそりと張り付くスパイボットが見つめていた。

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