第32話 閑話(とある商会長4)

「食糧の貿易……?」

「こちらが提供できるのは、海産物のみになる。とはいえ、加工品だから日持ちもするし、そちらに有益であると考えている」


 <パライゾ>の女神は、次から食料を持ってくると言い出した。サンプルだと渡されたのは、何かの魚の干物のようだ。それから、乾燥された海藻。そのまま食べてもいいし、焼いてもいいし、水で戻してもいいらしい。漁師が海藻を食べているというのは知っているが、普通はあまり食べることはない。


 しかし、問題はそれではない。


 急に、食糧を売ると言い出したことだ。なぜ、急にそうなるのだ?


「我々は、そちらの事情はある程度把握している。これまでの貿易は非常に有益だった。このままこの町を失陥するのは、不利益になると判断している」

「失陥……とは……これはまた」


 縁起でもないことを。そう笑い飛ばせれば、どんなに良かったか。


 この町に住む住民たちには詳しく伝えていないが、周辺は相当にまずい状況だ。


 食料自給は無理なため、輸入に頼らざるを得ない。今は、この<パライゾ>の連中が持ってくる糸や布を目当てに商隊が来ているから、問題はない。だが、それはいつ切れるかも分からない、細い糸だ。この3回目の貿易で、<パライゾ>はとんでもない船を持ち出してきた。でかい貿易船も驚きだが、随伴船もとんでもない。こんな船を出してくるんだから、これからも継続して貿易が期待できる。


 だが、王都から来る輸送隊は、いつ止まってもおかしくない。


 どこもかしこも内戦をしているようなこの国で、糸やら布やらの贅沢品のために、貴重な食料品をいつまで提供してもらえるか。しかも、盗賊団を警戒して、大袈裟な護衛団も付ける必要がある。次から来なくなったとしても、何の不思議もない状況だ。


 そんな状況だ、とはいえ。


 なぜ、<パライゾ>の連中にそれを指摘されなければならないのか。

 どこからその情報を仕入れた?


「これは、貿易品目に食糧を加えるという報告。今から行うのは、こちらからの提案」

「……」


 前回は、こいつらが女神に見えた。今は、得体の知れない悪魔に見える。……いや、それはさすがに穿ち過ぎか。しかし、いつもの無表情と相まって、一段と人外じみて見えたのは確かだ。


「要望は、鉄の交易を継続すること。それには、この町に存続して貰う必要がある。しかし、このままでは先が見えてしまっている」

「……」

「こちらがすぐに提供できるのは、防衛力」

「……防衛力?」

「我々の船であれば、港から町の外まで、全て射程内。外部から襲撃があった場合は、艦砲射撃で殲滅することができる」


 その提案は、今の我々の状況からすると、確かに渡りに船だ。あの精密射撃で敵を殲滅できるのであれば、街の守りは盤石だろう。


 だが。


「……それはつまり、この街全てが射程内に収まるということか」


「肯定する」


 その事実は、街そのものを人質に取られていることと同義だった。いや、そもそも予想はしていたのだ。あの大砲の能力は、詳しい者に予想はさせていた。おそらく、かなりの長射程、かつ集弾能力も高いと。しかし、その事実を本人から直接聞くのは、やはり恐ろしいものだった。


「こちら側に、あなた方を脅す意図はない。また、それをする利もない」


 そこで彼女は言葉を切り、ティーカップを手にとった。こくりと動くその白い喉を見て、彼女が同じ人間であることを思い出した。知らずに止めていた息を、ゆっくりと吐き出す。


「……理によって判断してもらえると、期待している」


 理によって。この街が、あの船の射程に捉えられている。目の前に突きつけられた剣先……いや。<パライゾ>は、剣を抜いてすらいない。ただ、そこにあるだけだ。であれば、確かに、それを恐れるのは不合理だろう。感情的には恐怖を覚えるが、理性的に考えれば<パライゾ>は敵ではない。彼女らが高圧的に振る舞ったことはないし、不平等な契約を迫ってきたこともない。詐欺を働かれたこともないし、嘘を教えられたこともない。


 まあ、そこまで長い付き合いというわけでもないが、しかし貿易に限って言えば、少なくとも過去2回、どちらも誠実に対応してもらったことに間違いはなかった。


「……分かった。そこは信用しよう」

「感謝する」


 <パライゾ>は、この街に危害を加えない。そればかりか、外敵から守ってくれるという。その提案は非常にありがたいが、ではその対価は?


「こちらが求めるのは、鉄だ。鉄鉱石でも構わない。何をおいても、鉄の確保を最優先とする」


 やはり、彼女たちが求めるものは、鉄だった。言葉として聞くのは、初めてだ。おそらく、本当に欲するものは、これまでは隠していたのだろう。隠しきれていたかは別として、しかし明確に求めることと、匂わすことは違うだろう。


「鉄か……。しかし、鉄はこの町では産出していない。内陸の鉄の街でないと、量は確保できないが……」

「それはこちらも把握している。内陸の鉱山のため、防衛のための戦力を用意することは出来ない。道中の護衛も、こちらでは対応できない」

「……我々の街から戦力を出すにしても……。町の防衛にも必要だ、あの街まで守ることは、とてもできそうにないが」


 そこまで言って、前提が変わることに気がついた。


「この町の防衛は、こちらで行う。人員も、ある程度は用意できる。極端に言えば、全ての戦力を鉄の確保に使ってもらいたい」

「……それは」


 街の防衛力を<パライゾ>の連中に丸投げし、全てを引き連れて鉄の街を守る。出来るか出来ないかと言われれば……不可能では、ないだろう。だがそれは、テレク港街の命運を<パライゾ>に任せるということ。

 その決断を、この街の長として行なえ、ということか。


「猶予は無い、とこちらは判断している。集めた情報を分析しているが、数ヶ月以内に大きな戦が発生する可能性が高い。戦が始まれば、難民が押し寄せる。暴徒が出てくる。盗賊団も増えるし、最悪、正規軍にこの町は接収されかねない」


 彼女の語る未来は、最悪のものだった。何が最悪かというと、評議会で話し合われた内容とほとんど相違がないことだ。つまり、<パライゾ>の連中は本当に、この国の内実を正しく把握しているということ。


「武器、防具もある程度は提供できる。偏るが、糧食も準備できる。この町に足りないものは多々あるが、可能な限り<パライゾ>が用立てする」



 そして。


 悩みに悩んだ末、テレク港街商会長、クーラヴィア・テレクは、<パライゾ>の支援を全面的に受け入れることを決断した。

 根回しはこれからだが、間違いなく、彼は<パライゾ>の庇護下となることを承諾したのだ。


 国は当てにならない。街を、そして自分を含めた住人たちを守り切るには、大きな決断が必要だった。他国の勢力の庇護下に入るなど、中央議会に知られれば大問題になるだろう。だが、そもそもその中央議会が機能していないから、この国は荒れているのだ。王は求心力を失い、貴族たちは自分の権益を守るため、そして影響力を拡大するため、貴族同士で争い続けている。


 この国に、未来はない。


 それが、大商人クーラヴィア・テレクの判断だった。

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