第86話



「そうだ! こうしよう!」



 残りのグラニュー糖を全部わた菓子にして、私は詩音の手を引いてベランダに出た。


 部屋から漏れる灯りで、ぼんやり明るいベランダは、いつ雪が降ってもおかしくない寒さだった。



「詩絵ねえちゃん、寒いよ」


「ふっふっふ、これで寒さなんて吹っ飛んじゃうんだから!」



 わた菓子を小さくちぎって、高く放る。まるで雪みたいにわた菓子は落ちてきて、私はそれを口でキャッチした。



「ほらね。こうやって食べると、すんごく美味しい。そおれ! 雪だあ! 初雪だあ!!」



 私は次々とわた菓子をちぎって投げた。その内に詩音も楽しんで、大口を開けてわた菓子を追いかける。


 私たちはベタベタになりながら、わた菓子を食べた。全部なくなった頃には、髪や服にわた菓子がついて、体はずいぶん冷えていた。



「ねえ、詩絵ねえちゃん。また遊びにきてもいいかな……」



 手すりに掴まって体を揺らしながら、詩音は俯いたまま言った。



「え~また来たいの?」


「わ、わた菓子食べにだよ! ここに来れば、いつでも食べれるから!」


「グラニュー糖は持参してね」



 それから、私はちょっと気まずく思いながら頭を掻いた。



「あのさ、今日はしえ姉ちゃんも、ちょっと悪かった、かも」



 ちら、と詩音を見る。詩音はポケットからなにか取り出した。



「これ、あげる」



 クリスマスツリーの飾りによくついている、丸いキラキラの玉だった。私はその紐を指にひっかけ、顔の前まで持ち上げた。玉は光を反射させながら、ゆらゆらと揺れる。



「もらっていいの?」


「ぜったいになくさないでよ。次来た時になくしてたら、もうあげないから!」



 玉の向こうで、詩音が私を見上げる。玉は艶やかに光って綺麗だった。けれども、私をみつめる詩音の目は、もっとうるうるしていて、もっと綺麗だった。


 そこにちらほらと、綿毛のように白いものが舞った。



「雪だ……」



 詩音も空を見上げ、その小さな顔にじんわりと笑みを広げる。


 ちらちらと降り落ちる初雪と、丸い玉の向こうの笑顔に、なんだか胸のあたりがあったかくなる。



「へへっ。部屋に飾ろっかな」



 私が笑うと、詩音も笑った。「寒いね」「寒いね」と言い合い、部屋に戻る。入ってすぐ、子供用の赤い小さな靴が、きちんと並んで私たちを出迎えた。



「……」



 なるほど。これの準備でいなかったのか。




「あ、く」



 詩音が赤い靴を見つけて口を開くと同時に、私はすばやくその口を塞いだ。



「いい? 靴のことには触れちゃだめ」



 この靴がすでに、主任の完全犯罪の序章かもしれない。それにしても綺麗な靴だ。ピアノの発表会で履くような、フォーマルなデザイン。


 ていうか、詩音にまで靴をプレゼントしようとするなんて、やっぱり主任はかなりの危険人物なんじゃないの?


 そういえば、彼氏が彼女に洋服を送るとき、その服を脱がしたいって意味があるのは聞いたことあるけど、主任が靴を送る場合、それで踏んでくださいって意味だろうからね。



「……」



 え!? 主任、詩音に踏んで欲しいの!? なにそれ浮気じゃん! そもそも主任が私以外の女にこんなに興味を持つなんて、かつてないことだし……。


 ちらりと詩音を見てみる。幼い少女は丸い目をこちらに向けた。



 もしかして詩音って……最強のライバル?



「あ! ジ●ニャン!」



 いつのまに戻っていたのか、主任がホールケーキを持ってキッチンから現れる。どうやら主任お手製の代物のようだけど、それはそれは精密でそっくりなジバ●ャンだ。



「寒かったでしょう。温かいココアもいれますか?」


「はやく食べたい! 詩音、はやく食べたい!」



 ジバ●ャンケーキは詩音のハートをがっちり掴んだようだ。でも、詩音の幼心は騙せても、私までは騙せないんだから! きっとこれも、完全犯罪計画の一部に決まってる。



「主任ってケーキまで作れるんですね」



 私は懐疑的な目で主任を見た。その言葉に、詩音は驚く。



「帝人がつくったの!?」


「細かくて神経を削る作業は得意なんですよ」



 ふ~ん。だろうね。



「いただきまーす!」



 詩音は切り分けられたケーキを食べ、うまそうに顔をほころばせる。


 ……おいしそうだな……。



「詩絵子様も、どうぞ」



 主任はケーキを差し出してくる。

 まあ……主任が危険なのと、ケーキは関係ないからね。別にいただくけどね。



「う~ん……。まったりとして甘すぎない……。この加減がねっ。もうねっ」



 さすが神経を削るのが大好きな男が作っただけあって、繊細なお味のケーキだった。しかし、こうして私が油断したところで、主任はわくわくした顔で詩音に言った。



「あ、そういえば詩音様。突然ですが、赤い色は好きで」


「あーっと!! 詩音、そろそろお風呂入らないとね!」



 私は机を叩いて立ち上がる。



「え、詩音まだ食べ終わってな……」


「いいから! あとで食べればいいでしょ!」


「ちょどいい頃ですね。泡風呂にしてますよ」



 詩音の手を引いて風呂場に向かう私の後ろで、主任は言った。


 ふ~ん。泡風呂か。まあ……主任が危険なのと泡風呂は関係ないからね。もこもこを楽しんじゃうけどね。



「ほーら! おっぱい!」


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