第85話





「もお。まあ~~~だ、いじけてんの?」



 家に帰っても、詩音はまだふてくされていた。


 キッチンの方からはいい匂いが漂い、主任が調理する音が和やかなBGMのように聞こえている。



「詩音、帰りたい」



 ベッドの隅で体操座りした詩音は、尖らせた口で小さく呟く。



「だ、大丈夫だって! もう大丈夫だから! しえ姉ちゃんに憑いてた悪い妖怪は、美里が退治してくれたからさ!」



 やばい……。『詩絵ねえちゃんにいじめられた!』なんて報告されちゃ、私が伯母さんに叱られるじゃないの!


 なんとかして、『詩絵ねえちゃん優しい✩』を詩音の脳に刷り込んでから、おうちに帰ってもらわないと……。




「ま、まあまあ詩音ちゃん落ち着いて。これくらいで今日が終わると思ってんの? 明日帰っちゃうのに。お泊まりの醍醐味はこれからよ! しえ姉ちゃんには、とっておきがあるんだから!」



 なにも用意していなかったけど、私は詩音のテンションが上がるようにまくし立てた。


 その時、背後でなにか重いものが落ちる音がした。私と詩音は音の方へ顔を向ける。



「明日……? 明日には帰ってしまうのですか……?」



 ひどく緊迫した面持ちで、主任が立っていた。

 どれくらい緊迫した顔かというと、将軍様の暗殺計画をたまたま耳にしてしまった側用人みたいな感じ。



「明日と言わず―――……永遠に……」



 主任がそんなことを言っていた気がするけれど、私と詩音の視線は主任が落としたものに凝縮されていた。



「も、もしかしてこれ……」、思わずガタリと立ち上がる。「わた菓子機だあ~~!!!」



 私は子供を抱き上げるみたいにわた菓子機の箱を持って、くるくる回った。




「主任! こっそり買ってくれてたんですね! ありがとうございます!」


「はい……詩絵子様の望むものですから。それにしても、詩音様の帰宅が明日というのはいささか唐突すぎる気が」


「詩音! これやろうよ、これ! すんごく美味しくて楽しいんだよ!」




 詩音はわた菓子機に興味を示していたが、それを悟られたくないのか「そんなにしたいなら、いいけどさ」と口を尖らせた。


 この時期の子供って、素直になれないもんなのかなあ。


 それはともかくとして、私は念願のわた菓子機を取り出して、さっそく作った。




「すっごい! ほんとに出てきた!」



 機械が振動を始めると、間もなくして円形の中に、霧のような、薄い雲のような繊維がどこからともなく現れ出した。香ばしい砂糖の匂いが、またたくまに部屋に充満していく。


 詩音は飛び跳ねてはしゃぐような性格ではなかったけれど、興味深そうに顔を綻ばせて、私が割り箸にわた菓子を巻きつけていくのをじっと見つめていた。


 あんまり綺麗な出来じゃなかったけど、わた菓子はちゃんとできた。私と詩音は、交代で次々とわた菓子を作った。



「しえ姉ちゃん、帝人がいないよ。いつの間にいなくなったのかな?」



 わた菓子を頬張りながら、詩音はキッチンを覗いた。



「あー。主任は気づかれずに家を出れるから。ていうかあんた、呼び捨てはダメだって」



 わた菓子を作りながら答える。

 そういえば主任、さっきは『明日といわず永遠に』とか言ってたのに、一体どこに行ったんだろ。


 隣の家に戻って、詩音を家に帰さないための完全犯罪計画でも立ててんのかな。



「もしかしたら、隣の家にいるかも」


「帝人、隣に住んでるの?」


「まあそんな感じ」



 それにしても、主任ってもしかすると、詩音や私と実際に触れ合うよりは、眺めたり写真を撮ったりする方が好きなんじゃないのかな?


 実はものすごくシャイなんだろうか。




「あ!」



 私がわた菓子をくわえ、続けてもう一つ作ろうとしたところで、詩音が声を上げた。



「詩音も、もう一回ピンク作りたい!」



 私はグラニュー糖のピンクを、機械に投入しようとする格好で固まった。グラニュー糖の量は残りわずか。あと一つ分というところだ。



「チッ。気づいたか」


「しえ姉ちゃんの方がいっぱい食べてたよ!」


「うるさいなあ。これは私のなんだから、私の方が多くて当たり前じゃん。分けてやってるだけ感謝して欲し……」


「ずるい! 詩音だって…‥」



 喧嘩が勃発しそうになったところ、私たちは同時にハッとした。これじゃあ、全く成長してない……。昼に何度もやった流れだよ!



「……」


「……」


「……ま、まあ、この半分なら……譲ってやってもいいけど……」


「……し、詩音、オレンジで我慢しても……いいけど……」


「……」



 ……マジ?



「じゃ、じゃあそうする……?」


「え?」


「あ……うそだよ。冗談、冗談」



 ふと、私はあることを思いついた。


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