第11話


「ベタねえ~。だいたいその長身超絶イケメンの理想的な男の人ってどんな人なのよ。なんか全部がポヤッとしてて分かりづらいんだけど」


 美里は手の平を上にむけて、肩をすくめる。


「では説明しましょう」


 私は胸ポケットからメモ帳とペンを取り出して、かちかちとペンの尻を押した。


「まず身長は180センチ以上。がりがりってわけでもなく、マッチョってわけでもなく、まあ中肉中背な感じだね。そんでもって、髪はちゃらちゃら染めたりしないの。ちゃんと清潔な黒。顔はね、眉とかキリリッとしてて、目は切れ長でえー、ちょっと近寄りがたい雰囲気があってー……」


『あれ……?』


 美里と声が重なる。私が描いたへたくそな理想の男性像をしばし見下ろし、それから顔を見合わせた。


「主任じゃん」


「主任だね……」


 美里の言葉に、私は思わず同意する。そのあとで首を振った。


「いや……違う違う! この人はドエムじゃないもん!」


 ぱんぱん!とノートを叩いて見せ付ける。


「そっかードエムでさえなければ、主任は詩絵子の好みドンピシャなんだねえ」


「違うっての。もっと色々と……」


「色々と?」


 私は少し考えた。主任からドエム要素を抜いた姿を、出来る限り鮮明に想像しようとしてみた。


 つまりは、普段の主任だ。なかなかに……というか、かなり理想的ではあるのだけど。


 でもいくら想像してみても、現実でドエム要素が取り除かれることはない。ドエムと向井帝人という人間は、瞬間接着剤よりも強力な絆で結び付けられているのだ。


「はあ~。いっそのことくたばってくんないかなあ、あいつ」


 オフィスに戻る途中、私は階段を下りながら溜め息をはいた。


「なんてこと言ってんのよ、あんたは」


「だってさ、だってだよ? 付き合っていく自信ないもん。でも別れちゃったら、いたいけな少女に手を出しちゃうかもしんないじゃん?」


「……まあ」


「どっちにしろ犠牲が出るんだよ。もうあいつがくたばるしか選択肢はないよ~」








「誰にくたばって欲しいって?」


「!!!」


 私と美里は、唐突に氷の手で背中を撫でられた人みたいに、小さく身体を跳ねて、後ろを振り返った。見なくても誰が立って居るかは、なんとなく、というか、はっきりと分かっていたのだけど。


 もちろんそこには、髪型といいスーツといい、隙のない身なりでこちらを見下ろす向井主任が立っていた。


 ていうか、前と同じ展開じゃん! 学習しろよわたし!


 たぶん、話はまるごと全部聞かれたんだろうなあ……。くたばれ辺りから。返答もなく硬直する私に、主任は儚く笑って見せた。


「くたばれって、はは。冗談でもいうもんじゃねえぞ」


 ぽんぽん。主任は私の肩を軽く叩いて、すぐに通りすぎて行ってしまった。主任の大きな背中を見送ってから、私と美里は顔を見合わせる。


「もしかして主任、落ち込んだ……? あんたのくたばれ発言で」


 美里は神妙な顔を見せる。同じことを感じていた私は、ぎくりとして顔を逸らした。


「そんなバカな……。ドエムだよ? くたばれなんて言われたら、大喜びで躍りだすに決まってるよ。あはは……」


「かわいそうになあ。いくらドエムだからって、最愛の人から『くたばれ』なんて言われれば、さすがにへこむよねえ。もう根っから存在を否定してるもんね。いくらなんでも、言って良いことと悪いことって、あるんじゃないかしら」



 美里はいつになく真面目なトーンで話す。あんた、『かしら』なんて言う口調だったかしら?


 口調はなんとなくうそ臭いが、美里の言っていることは一理ある。


 いくら主任がドエムといえど、私のこと大好きだろうし、これ以上ない理想のロリ女王様なんだろうし、さすがに傷つけてしまっただろうか。




 その日、私はもやもやした気持ちのまま退社した。


 そして、美里との会話を聞いていて、あらかじめ準備したがごとく、帰りの電車の中で痴漢にあった。


 帰りは帰宅ラッシュで、いつも満員だった。ぎゅうぎゅうと人壁に押し付けられて、おしくらまんじゅうか!と突っ込みを入れたくなるほど(こう思うことでみんなが急に仲良しに見えて、気持ちがほっこりする効果がある。それはともかくとして)人でひしめきあっていた。


 私はいつものように、悠々と座って眠っている人を睨みながら、蝉が木にしがみつくみたいに、手すりにつかまって必死に揺れに耐えていた。


 最初は、ただ当たってしまっただけだと思った。これだけ人が乗っているのだ。多少、体がぶつかり合うのはいたし方ない。


 違和感はあったものの、私はかすかに微笑んだ主任の顔を頭に思い浮かべていた。


 なんだか寂しそうだったなあーとか、駄犬はいいのにくたばれは嫌なんだーとか。そんなことを考えている間にも、お尻に当たる違和感は増幅していく。


 ……これ、痴漢だ。


 やばいやばいやばいやばい。


 痴漢だと理解したとたん、一気にパニックになってしまって、そればかりが頭を回りはじめる。


 あれ、どうしよう。これ、めっちゃ怖いじゃん。声を上げられないか弱いふりって……痴漢なんてへっちゃらだもん、って……バカじゃん、私めっちゃ弱い。


 痴漢冤罪で慰謝料もらう女子高生なんてほんとにいるわけ? あんたらすごいよ。この電車内で大声をあげる勇気なんて、私にはこれっぽっちもないよ、その勇気とあつかましさを分けてほしいよ。


 なんて、どうでもいいことを考えてる場合じゃない。


 こいつは騒がないと判断したのか、痴漢の手は無遠慮に服の中まで侵入してくる。これは本格的にやばい、と思った。


 周りに視線を巡らす。誰も私のことなんて見ちゃいない。

 イヤホンを耳に当てて、つまらなそうにつり革に捕まっている人とか、スマホを相手にこまごまと指を動かしている人とか、色んな人がいたけれど、この車両に私を助けてくれる白馬の王子様はいないようだった。


 どうしよう……気持ち悪い。気持ち悪い、怖い怖い。なんだか、悔しくて恥ずかしくて、涙が出そうになった。


 そうした時、お尻にぴったりと張り付いていた痴漢の手が、唐突に離れた。


 思わず振り返る。


「しゅ……」


 がたん、と電車が揺れて、吸い込まれるように声が消える。背が高くて逞しい身体つきの男が、チビなおじさんの手首を掴んで立っていた。


 まさかまさかの、主任じゃないですかあ!


 堪えていた涙が、雪崩のように零れ落ちそうになる。


 あ、でも。私はハッとする。


 ここで『こいつ痴漢だ!』なんて叫ばれちゃったら、すんごく恥ずかしいかも。痴漢をされた女という肩書きを背中にはっつけてちゃ、明日からこの電車にも乗れない!


 涙が出そうなのと、主任を止めないといけない、という焦りとで、私はおろおろとてんぱって結局なにも出来ず、そうしている間に、主任は犯人の耳元に顔を寄せて、低い声で告げた。


「次の駅で降りろ」


 たぶん、他の誰にも聞こえないくらいの、小さな囁きだった。


 そんな小さな小さな声なのに、私のハートはあっけなく打ち抜かれ、激しいときめきのリズムを鳴らしはじめた。


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