「大好きになっちゃったかも」
第10話
『あははーこの漫画おもろーい! あ、そこの駄犬』
『はッ、駄犬はここにおります』
革のソファーに寝そべり、漫画から目を離さずに呼びつける。首輪で繋がれた半裸の主任が、すぐさま返事を寄越した。
『ちょっとお菓子切れちゃった~買ってきて、二秒で。はいダッシュ』
体制を変えながら、やはり漫画から目を離さずに命令する。
『詩絵子様……お言葉ではございますが、最近は暴飲暴食が過ぎるように思います。もう少しばかり、体調管理に気を配られた方がよろしいのではないかと』
『いいからとっとと行けっての、この駄犬が』
『……しかし』
渋る主任に、私は『しょうがないなー』と足の指で器用に鞭を持ち上げた。
『ほら、鞭で打ってやるからケツだしなよ、それ終わったらコンビニまでダッシュな』
主任は体調管理を促すことを諦め、即座に鞭打ち付きのコンビニダッシュを選んだ。四つんばいになった主任の尻を、漫画を読みながら適当に叩く。
『詩絵子様、そろそろあのピンヒールで踏んで』
『それは却下。あんた超喜ぶからやだー』
『!! さすがは詩絵子様! この駄犬の快感ポイントを心得ておられる!』
『ははは! あー面白かったー! あ、これ続きはー? 買ってきてないとかおめーカスかよ。コンビニついでに本屋寄ってこいよ』
『……やや浅ましいのですが、それについての報酬というか、プレイのようなものは……』
『えーめんどんいなあ。もう帰ってこなくていいよ、駄犬』
『さすがは詩絵子様! 駄犬は駄犬らしくホームレスになります!』
『あっそー。やりー! この家、私のだー!』
私はソファーに置かれたクッションに抱きつき、部屋を見回した。主任はいそいそと家を出て行こうとする。これでもう会うことは無いのか……。
主任の背中に向かって、私は言った。
『最後に、踏んでやろっか?』
「という、夢を見たんだなあ」
いつも通り会社の屋上。パックのイチゴミルクをちゅうちゅうとストローで吸いながら、私は遠くを見つめた。
「なにその夢……続きが気になるじゃないのよ、続きが」
美里は続きを求めて私の肩を揺する。私はその手を振り払った。
「続きよりもねえ! 自分の未来の姿を予知したみたいで怖いんだよ私は! 私はいつかああなっちゃうの!? てきとうに主任のケツを鞭で打つ日がやってくるの!? なんの躊躇いもなく『おい駄犬、このヘンタイ豚野郎が』ってナチュラルに呼びつける日が来るの!? 自分で否定しきれないのが怖い!」
「あ、否定できないんだ」
「できないよ~あいつに逆調教されちゃってさ、それってほとんど洗脳みたいなもんでさ、踏んだり蹴ったりなじったりするだけで生活していけるなら、それもありかな、なんて思いはじめちゃってさ、そのうち会社もやめちゃってさ、いつのまにかあいつの変態欲求を満たすだけのロリ女王様になっちゃうんだよー!」
そいでそいで、社会との関わりがどんどん無くなってっちゃって、どんどん性格歪んじゃって、親に合わす顔なんてもちろん無くなっちゃって、一生駄犬に世話されながら死んでいくのよ!
やだそんな人生!
「え~それ駄目なの?」
美里はのん気に、箸でブロッコリーをつまんでいる。あんた、どんだけブロッコリー好きなのよ。
「だめに決まってるでしょ! 私の人生設計がしおしおのパーじゃない!」
「へー、詩絵子でも人生設計あるんだ。一応聞こうか」
私はちょこんとベンチに座りなおし、乙女チックに頬に手を当てた。
「私はね、いつか白馬に乗った王子様とね」
「終了~~~~」
美里は弁当箱の蓋をしめて立ち上がる。
「うそ! 今のなしうそだから! ちょっとした冗談じゃんよ~」
慌てて美里の腕をひき、ベンチに引き戻す。
「さっさと話してよね。私は気が短いのよ。つぎ冗談言ったらブッコロ」
美里は毛先がカールされた髪を、手の甲で背中へ流し、ほっそりとした長い足を組んで座りなおした。
「…………」
おや~? あなた様の方が女王様に向いているのでは~?
そういえば、ブッコロとブロッコリーって、だいぶ字面が似てるぞ? まさかそういう理由でブロッコリーが好きなのでは……。
「ほら、さっさと」
「はいはい、ただいま!」
私は居住まいを正し、今度こそ正直に話した。
「まずね、会社で出会うっていうのはイヤなの。ばつ!」
腕で大きな×印をつくってみせる。
「ほお~。主任との交際根本から否定なんだ。じゃなんで告白されたときオッケーしたのよ」
「いや~それはすぐ別れるだろうな~と思ってたし。雲の上みたいな存在だったから、主任がなんかの気まぐれで奇跡的に私を選んでいるうちに、記念として一回くらい付き合っとこうと思って」
そういえば、そうだった。主任は誰からも尊敬されるカッコイイ人だった。だから私を選ぶなんて、なにかの気まぐれだろうと思って、尻尾ふって交際を了承したんだっけ。
「打算的だわ~。でも出会いから縛りあるんなら、だいぶ難しいと思うんだけど。会社以外に出会いなんてないでしょ。それこそ合コンくらいしか」
「バーーーツ!! 大バツ! ペケ!」
美里の大きな胸へタックルする勢いで、×印を見せ付ける。
「そんなの絶対だめなの! 私はもっとこうね、自然な感じがいいのよ! ある日突然出会って、運命の赤い糸に引き寄せられるように、人生を絡めあっていきたいの!」
ここで美里は、私に背を向けてぷっと笑った。即座に後ろから首を絞める。
「笑うなー! 今バカにしたでしょ! 絶対バカにしたでしょ!」
「ぶははは! ごめんごめん! すんごいバカにした! 今時こんなやついるんだなって! ギブ!」
「まず訂正しろよ!」
なによバカにしちゃって! だいたい今時っていつ時よ!? 理想に時代なんて関係ないでしょ!?
しばし制裁をくわえてから手を離すと、美里はゲホゲホいいながら、「で? どんな出会いが理想なのよ」と涙目になった顔をこちらに向けた。
私は座りなおし、話を再開する。
「うんとね、たとえばだよ?」
「うん」
「たとえばさ、私が満員電車に乗ってたとするじゃん?」
「……読めたわ」
「そんでね、痴漢にあうんだよ。小汚い感じのおっさんにさ。そいつが卑劣なやつで、声も出せなくて、か弱いふりをする私の尻を、舐めまわすように触るのよ」
「ふりなんだ」
「痴漢なんてどってことないからね。で、そこでよ。長身超絶イケメンの理想的な男の人が颯爽と現われて、痴漢の腕をねじ上げるの! 助けてくれたお礼とかなんとか言って、どんどん懐に入ってって、そんで絶対にゲットしてやるのよ!」
私は力強く、胸の前で拳を握って力説した。
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