第8話


 私はソファーの端まで素早く後ずさった。少女にいじめられたいって、変態の極みじゃんか! 


 主任はテンションが上がってきたのか、私がドン引きしているのにも構わず、包丁を持ったまま、とくと話を続けた。


「この汚らしい駄犬の理想は、進んで僕を罵り、踏みつけてくれる少女です。養子縁組で自分の娘に迎えることを考え、準備を進めていました。その間も、駄犬の汚らわしい欲求は高まっていく一方です。少女に手を出しては犯罪。それは分かっています。しかしながらそれも致し方ないと思うほど自分自身を抑えられなくなっていました。そんな時でした」


 ここで一旦言葉を区切り、主任はかっと目を開いて私を見た。


「詩絵子様が入社してこられたのは」、水面に風が吹いて波紋が広がるように、主任の顔に笑みが広がっていく。「最初は子供が紛れているのかと疑いましたよ。ええ、疑ってしまってもしょうがないほどあなたは子供っぽい……そのぺったんで慎ましやかな胸!」


 ビシッ、主任のもつ包丁が、私をさししめす。「うっ!」、私は言葉のナイフにダメージを食らう。


「短い手足!」


「はう!!」


「ほどよく生意気につった目!」


「くっ!!」


「見事なまでの幼児体型!!」


「ぶふっ!!」


 完全にノックアウトされ、私はソファーから転がり落ちた。


「全てがこの駄犬の理想どおりでございました」


 主任は何事もなかったように料理を再開する。私は床と対面して肩で息をしていた。主任の言うぺったんこで慎ましやかな胸に手を当て、ぐっと力を込める。そして呟いた。


「…………帰る……」


「詩絵子様?」


「もう帰る!」


「そんな……! 踏んでいただけるとおっしゃったのは……」


「誰が踏むかよバーカバーカ! おたんこなす!」


 言ったあとではっとする。初めて面と向かって思い切り暴言を吐いてしまった。厳しい主任の対応がよぎる。私はひやりと背中に汗をかいた。にも関わらず、主任はやや首を傾げただけだった。


「お言葉ですが詩絵子様、その程度の罵倒では、いかに僕がちっぽけな駄犬とはいえ、一ミリも萌えません。どうか、暴言の精度を上げてもらえないでしょうか?」


 なんのお願いだよ!! くそ!! この変態にビビッて損したよ!

 私はどすどす玄関へ向かう。


「私はもう帰るの!! こんなとこもう来ない!!」


「あ! 詩絵子様!! それはなかなか萌えます!!」


「萌えさせるために言ってるんじゃなーい!!」


 こうして、私は主任の家をあとにした。





「……疲れた」


 道に迷いながらもなんとか家に帰りつき、ベッドへなだれ込む。タクシーで送ってもらったから、主任の家から自分の家までの道を知らなかったのだ。


 スマホを見ると、美里からLINEのメッセージが着ていた。アイスのピノの画像が添付されている。


『幸せのピノはいってたw 超ラッキーww』


「……」


 なんて可愛いんだ美里! 思わず美里に電話をかける。


『ピノならもう食べちゃったよ?』


 出るなり開口一番に美里は言った。


「聞いておくれよ美里~」


 今日あった出来事を、私は雪崩のように喋った。主任が少女好きの真性の変態だということ。私の子供っぽい見た目が主任のドストライクだということ。交際を終わらせる宣言を言い忘れたこと。


「ひどいでしょ!? 私のこと見事な幼児体型って言うんだよ!?」


『まあ、主任の言ってることは、おおむね的を得ているわね』


「そんな……!!」


 私って、そんなに幼児体型なの……? 気づいていないのは私だけで、私が幼児体型というのは周知の事実だったの?


『私も詩絵子の見た目好きだよ。全部がコンパクトで、可愛いじゃない』


 そういう美里はFカップの巨乳だ。コンパクトで可愛いというのは、素直に喜んでいいのかどうか。


「私としてはそんな理由で付き合うのもなんか釈然としないし、明日こそあの変態に別れを突きつけてくるよ」


『えーなにそれつまんない』


「そんなこと言われても………私やっていける自信ないよ~」


『……自信ねえ』


 美里はなにかを弄するような間を置いて、やや神妙に声を落として言った。


『それにしても、少女好きか……。詩絵子、主任は私達が思っていた以上に、危険な人物なのかもよ?』


「危険?」


『そう。あんたと会ってなければ、いたいけな少女が一人、変態のいけにえになっていたかもしれないのよ? 超危険人物、社会の敵よ』


 確かに……。よくよく考えてみれば危険だ。あの家にかくまわれ、一人の大人の男を踏んだり蹴ったりしなければならないのだ。そんな環境下で、少女の精神が正常な成長を遂げるとは思えない。


『いうなれば詩絵子、あんたは一人の少女を救ったのよ!!』


 カッ! と雷が落ちたような衝撃が全身に走る。私は……救世主!?


『別れてこなくてよかったわよ。あんたがいなくなれば、主任はいたいけな幼い少女へ悪の手を染めてしまうかもしれないんだから』


 美里の言葉に私の心は根底までありありと納得し、ぶんぶん首を縦に振った。


「たしかにそうだね! 私しばらくは主任と付き合ってみるよ!」


『あんたってチョロイわ』



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