ルサンチマン

Report87: ルサンチマン

 ◇◇◇


 時刻は昼過ぎだろうか。俺はカオサン通りを抜けて、ヤワラートに辿り着いていた。

 その無数に点在するテナントの一つ、小さな建物の中を潜り、階段を登る。

 そして、正面に鎮座する扉をノックをせずに開け放った。


「ラッシュ!」


 入ると同時、一番にガタイの良い黒人が出迎えた。

 ゾフィだ。彼は驚いた様子で、手に書類を持ったまま固まっていた。

 その奥には大男の日本人が居た。


「ラッシュさん、デュ……良かった」


 カメコウだ。彼は安堵したような表情でこちらを見ていた。

 かなり心配を掛けたかな……。


 俺は一言「ゴメン」と呟くと、室内の奥部に設置された机へと歩を進める。

 椅子に座っていたのは女性だ。金色の髪にガーネットの瞳。メガミだ。


「遅かったな」

「メガミさん……あの」


 その眼は一度俺を捉えると、何事もなかったかのようにパソコンのモニターへと戻っていった。

 彼女の表情はいつも通り、読み取る事が出来ない。憤怒、失望、あるいは嘲笑か。任務後、精神的なショックから立ち直れず、引き篭もっていた俺に対して何を抱いているのか。それは分からなかった。


「ラッシュ、お前のせいではない」

「あの……」


 そう言うと、メガミは俺に割り振る仕事を探しているようだった。俺は開きかけた口を閉じる。

 何と言われるのか。どう思われているのか。色んな事が気掛かりだった。

 そして、何と言ったら良いのか。

 あの日、俺が足を引っ張ったせいで、ロジーが死んだ。

 どうしたら許されるのか。

 いや、どうしたら良いのか。それが分からない。


 前にもあったな。確かスワンナプーム空港でテロリストと激戦となった時だ。俺はお荷物だった。

 掛ける言葉が見つからない。


「……本当に、俺のせいで……すみませんでした」


 頭を下げ、眼を瞑った。

 何て事はない。口から出たのは陳腐な台詞だった。

 耳から入ってくるのは事務所の換気扇の音。それから、誰かが歩く音。紙の捲れる音。

 それだけでも、忙しそうだと感じられた。それもその筈、ゾフィ、カメコウ、メガミの三人で回している。

 殉職したロジーは居ないから……いつもより人数が少ない。通常であればゾフィは依頼を受け、外出している最中ではないだろうか。その彼が事務に回っているのだから、切羽詰った状態だと言える。

 俺が頭を下げたまま固まっていると、メガミはフゥ、と嘆息した。そして口を開く。


「……ラッシュ、やめてくれ。誰のせいでもないんだ」

「そうだぜ、随分前に言ったろう。ここは……人生をリセットされた人間が集まる最後の墓場だ、ってな――」


 メガミに続いて、ゾフィが会話を繋いだ。

 そういえば、ここタイにやって来た初日、この事務所を最初に訪れた時、ゾフィがそう言っていた。


「――ロジーも、覚悟は出来ていた筈だ」


 そう告げて、ゾフィは机に書類を置く。俺は出てくるぜ、と言い残して事務所を後にした。


 覚悟が出来ていないのは俺のほうだ。

 ゾフィの言う覚悟ってのは、自らが死ぬ覚悟だけではない。きっと、“仲間の死に直面する”という覚悟でもあるのだ。

 俺はいつだって、考えが浅はかだ。今回も、そう思い知らされた。

 全ての覚悟。それらが……俺にはなかったんだ。


「ラッシュ、私はな」


 落胆する俺を余所に、メガミが語り出した。彼女は椅子に座り直し、俺を見据える。印刷された書類を俺に手渡してきた。


「どちらでもいいと思っている」

「何がですか?」

「この先、更なる事件が待っているかもしれない。もし、お前がイヤだというのであれば……降りても構わない。私は止めない」

「俺は……」


 メガミが述べたのは、リセッターズ脱退の裁定だった。その問い掛けに、言葉が詰まった。

 仲間が死んで怖気づいたのか?

 自分が死ぬのが怖いのか?

 壁に阻まれたらおしまいか?

 諦めるのか、泣き寝入りか。


「俺は元より、帰るべき場所がありません。ここを出て行っても、行く宛てがない……」


 誰だって酷い目に遭う。そして、それらは己の行動と選択の結果によるものなんだ。

 ちょっと転んだからって、悲劇のヒロイン気取りかよ。それで、誰かが解決してくれるのか。


 答えはノーだ。やってやろうじゃないか。

 そもそもアウトローの集まりだ。人生をリセットされた。だったら、この恨みを倍にして返してやる。

 サムチャイ教授。闇市場で臓器を売り捌いていたのはあの大学教授だった。老齢とは思えない程の体術を操り、リセッターズを退けてみせた。そして、現在も逃走中。

 だから、何だ?

 地獄の底まで追い掛け回してやる。そうして、見つけ出して必ず殺す。


「俺は続けます。いや、続けさせてください」


 俺はメガミの目を見て、はっきりと答えた。

 そう、仇は取るんだ。どれだけ時間が掛かったとしても。


「好きにしてくれ。それはお前の分だ」


 彼女は渡した書類を指差すと、笑みを浮かべた。少し困ったような、心配そうな……そんな感情の混ざった、歪なものに感じられた。

 渡された書類は、どうやら俺が今日請け負う任務についてのようだった。


 その後、順調に俺はリセッターズとしての活動を再開した。

 その裏で、時間が許す限り俺はサムチャイ教授の行方を追った。

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