Report76: お約束
「はいはい、講義を始めます。今日は解剖実習だよ」
次の日。
パン、と担任の講師が手を叩き、授業が始まった。講師は例の調査対象、サムチャイ教授である。
笑顔でおいしいチキンを売っていそうな親父で、頭髪と髭が真っ白になっている。
授業が始まる前から
「まず出席を取ります」
学生達が着席したので、俺もそれに倣う。今日は解剖実習らしい。
解剖……、マジでやるのか。
順々に名前が呼ばれていく中、幾ばくかの不安がよぎる。
医療、薬学系の大学ではこうして医学的な実習が行われる。死後、実習用教材として運び込まれた死体を実際に解剖していくのだ。
故人や遺族の意思によって、死体は大学病院へ提供される。
それは献体と呼ばれ、若い学生の技術向上、医療発展の為に使われるわけだな。
正直俺には荷が重いのだが、そう感じたのは俺だけではないようだった。数人の生徒は青い顔をしていた。
その様子を見かねてか、サムチャイは眉を八の字にさせる。
「うん。それじゃあ、仲間を紹介しようか。編入生が居るんだ」
そう告げると、実習室の外に向かって手招きをするサムチャイ。何だろう?
開いていた扉の奥から、金髪でガーネットの瞳の、端正な顔立ちの美人女性が入ってきた。
瞬間、俺は激しく咳き込む。
「……じゃあ、自己紹介してね」
「リタだ、よろしく」
リタこと、メガミが俺達に向かって恭しく挨拶をした。俺の隣に居た男子学生、ティラシンが「結構可愛いな……」とかボヤく。日本語の授業で一緒だった学生だ。
……ティラシンはもうちょっと人に疑いを持った方がいい。あいつはむしろ、献体を作る側の人間だぞ。おじさんは君が心配だな……。
「おい、また転入かよ」
「でも……イイね」
「ああ、そうだな……」
後ろの席の大学生達がこそこそと話し合う。メガミの見た目に騙されているようだ。
貴様ら、遺体を前に、先ほどの粛々とした態度はどうした!
心なしか鼻の下を伸ばしているようにも見えるんだが……。
「リタ君、どこか適当に座ってね」
「はい」
教授に促され、メガミがこちらへと歩いてきた。
うん、分かってはいたけど。あえて言わせて貰おう。
……んなベタなッ!
何番煎じ所の話じゃない。煎じすぎて味しないよ、そのお茶。水だよ、真水。
「……サプライズだ」
「監視の間違いでは?」
俺の近くを通り過ぎる際、ぼそりとメガミが呟いた。
「んなアホな!」と座席から立ち上がってしまいそうになる所を、グッと堪える。
メガミはそのまま俺の真後ろの席に座り、サムチャイの講義を聴き始めた。
座席の幅は案外狭い。少し後ろに反れば、会話が出来る距離だな。
俺は少し椅子を後ろに反らすと、口を開いた。
(どうしてここに? 何も聞いていませんけど!)
(手こずっているのでは、と思ってな……)
それなら、連絡してくれれば良かったのに。
加勢に来たってわけではないのだろう。もしかしたら、俺が現を抜かしていないかを調べる目的もあるのかもしれない。
(実際に見て分かった。私が思うに、ヤツは黒だ)
メガミは周囲を気にしながら、ひそひそと会話を続ける。
どうやら周りの人間には気付かれていないようだ。
(何故?)
(あれは人殺しの目だ)
そうメガミに言われ、サムチャイを
人殺しの目か……俺には分からないな。
疲れているというか、目の周囲の筋肉に力がないというか……。俺の洞察眼で感じたのはそんな所だろうか。
老いによるものと判断したのだが……、大抵の悪人は顔に出る。見てきたもの、体験してきたもの、それらが人相に現れるのだ。
これは自論なんだが、本当にヤバイ奴ってのは、それが見た目に出ない連中だ。
きっちりと頭の中まで狂っている。善悪の区別が紛失している。そういう奴らだ。
(ですかね? 見ただけではちょっと……)
(アメリカに居た時に見た、シリアルキラーと同じ眼をしている)
話を聞いている体を装いつつ、サムチャイの観察を続ける。
好々爺然とした雰囲気の中に、類稀な知性を持っているように感じた。頭が良い人間なのだろう。
だが、それが却って冷淡さ、狡猾さを醸し出しているようにも見えた。腹黒い人間……なのかもしれない。
「リタ君、何か質問でもあるのかな?」
「いえ、何でもありません!」
サムチャイがメガミに詰問する。対するメガミは愛想よく言葉を返した。
……おっと、何やら喋っているのがバレたかもしれないな。
そう判断した俺は、対話方法を変える。ノートの端に文章を書いて、紙を千切って丸める。そのくしゃくしゃの紙を後ろの席にポイ、と投げた。
メガミがそれを拾い、紙を広げる。俺の書いた文章を読んでいるようだ。フフン、といういつもの笑い声が微かに聞こえた。
今度は、後ろの席から紙が飛んできた。メガミからだろう。
<でも、証拠がありませんよ>
<カメコウにアイデアあり。一旦退くぞ>
俺は、何だか学生時代を思い出していた。こんな感じで授業中、友達とやり取りをしたっけ。懐かしいものだ。
青春。学生時代の娯楽というものは、偏に皆、望んだ者には供給されるべきだと思う。そして、その後には輝かしい未来が待っていて然るべきなのだ。
それを……人生を、搾取している人間が居るのだとしたら。それを許してはいけない。
この短い間だったが、タイの学生達の目標、夢、笑顔を見ていてそう思った。彼らの為に、犯人を見つけなければ……。
望んでもない人間が殺され、臓器を、肉を、商品として売る。そんな話があっていいわけがない。不快極まりない話だ。
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