第六章 女神は舞い戻る

愛好家とモラリズム

Report51: カメコウ

 タイ王国連続テロ事件から暫く、世間を賑わせていた事件は沈静化し、ほとぼりが冷めたようだった。

 茶の間でもニュースを見なくなり、日常を取り戻し、相変わらず小さな事件やいさかいはあれど、タイは平和だと言っていいだろう。


 今は時季で言えば冬で、青々としていた夏の空とは違い、甕覗かめのぞき色の空が頭上を支配している。

 タイの冬は寒くはなく、気温は平均で二十度くらいだ。日本人の感覚で言えばだが、過ごしやすいと言える。


 あの事件の後も、リセッターズはこれまで通り雇われ部隊として、また“便”として、仕事を請け負っていた。

 一つ変化があったとすれば、皆、街を出歩いていると声を掛けられるようになった事だろうか。この地では新人である筈の俺やカメコウ、ロジーもだ。それだけ知名度が上昇したという事なのだろう。

 カメコウの事を「デブ! おい、デブ!」と罵倒する子供の姿や「なにあれ、キモ~イ」と、すれ違い際に嘲笑していく女子高生を見る度に何とも不憫な気持ちになるのだが、俺の母国、日本では「薮蛇やぶへび」という言葉がある。つまり彼を庇って巻き添えになるくらいなら、静観を決めた方が良い、という事だ。

 別に薄情なわけではない。事の度に俺は心中で思っている。友よ、さらば……君の事は忘れない、と。俺にも仲間を想う気持ちはある。


 メガミに関してだが、元々タイでは有名になりつつあった。しかし最近ではやたらと人気が出るようになってしまい、陰でファンクラブが設立されているようだ。

 それらが鬱陶しいのか、通勤で電車を使用していた彼女は自家用車を買うようになり、また、あまり表立って外を出歩かなくなった。

 ともあれ、我々リセッターズにも穏やかな日々が続いていると言っても過言ではないのだろうか。俺は眼前の、歩いているだけで防犯ブザーを鳴らされたカメコウの寂しそうな背中を見ながら思った。


「カメコウって趣味とか無いの?」


 まるで父親の仇を見るような目でカメコウを睨んでいた女の子を、俺は優しく諭した。彼女は防犯ブザーを引っ込めると、去っていった。その姿を見ながら俺はカメコウに語りかける。


 俺はと言えば、だ。皆俺の事は「ラッシュ」と呼び、大森精児おおもりせいじと呼ぶ人間は、最早一人も居ない。

 年末年始に日本へ帰る事もなく、最近ではメガミに供されたあのホテルに泊まり込んで過ごしていた。

 だって、家族には勘当され、友達も居ない。そんな俺が故郷に帰った所で何も無いからだ。強いて言うなら、おせち料理は恋しいが……。


「デュ……趣味? フィギュア集めとか、かなぁ?」


 膝に付いた泥を叩き落としながらカメコウが答える。どこで付着したのか。恐らく先程少年に蹴りを入れられていた時ではないか、と推理しながら俺は彼の顔を見ていた。

 何も残っていない故郷に帰るより、リセッターズの面々と共に居る方が遥かにマシだと思う。それが例え週休ゼロ、有給休暇ゼロ、定時上がりゼロだったとしても……。まるで糖質ゼロ、カロリーゼロ……何かの飲料のCMだろうかと錯覚する程だ。

 今ならば、ストロングゼロに逃避するニッポンの社畜の気持ちが少し分かる。


 だが、誤解しないで欲しい。俺はこの仕事が全くもって嫌いではないという事を。

 ゼロが付いて嬉しいのはお酒だけ。最近そう思うようになった。脇腹の贅肉も少し気になる年頃だ。


「タイでは、デュ……僕の欲しいフィギュアが無いからさ、3Dプリンターで自作しようかなって考えているんだよね、ゲプ」


 そう言いながら、彼はポケットから小型の一眼レフカメラを取り出し、俺に写真を見せてくれた。


「カメコウ、お前……!」

「だ、大丈夫だよぉ! もう盗撮はしていないんだ!」

「でも、これって……」


 画面を覗き込むと女性の写真が多く映っていた。どこから撮ったのか。恐らく本人の許諾を得ていないであろうアングルの写真が、本体に多数保存されているようだった。

 正直、これは盗撮である。しかも何がまずいかと言うと、被写体の女性が金髪でガーネットの瞳、我らが上司メガミだという事が、事態の不味さに拍車を掛けていた。

 バレたらこれは……最悪カメコウが死ぬ。

 俺にも仲間を想う気持ちはある。彼がタフな事は重々把握しているが、なんだかんだ一緒にやってきたチームメイトだ。失うのは惜しい。


 ところで……今の時代はフィギュアを自作できるのか? 知らなかった。

 ……待てよ?

 カメコウは案外手先が器用だから、作らせたら面白い物が見られるかもしれない。


「カメコウ、一緒にフィギュアを作ってみない? 協力するよ」

「え、本当? 嬉しいなぁ~。じゃあ今度の休日に、デュ……一緒にやろうよ」


 週休ゼロ、有給ゼロ、定時上がりゼロ。おまけに薄給だ。ちょっとぐらい副業してもバチは当たらない筈。

 俺たち二人はメガミのフィギュアを作る事になる。互いに約束した、“今度の休日”……それは四十日後の事だった。

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