第五章 女神は微笑まない
タイ王国連続テロ事件
Report40: 与えられた自由と絶望
◇◇◇
真夜中、日付が変わろうとする頃、俺はヤワラートにある《リセッターズ》の事務所に顔を出した。しかし、誰も居なかった。
次の日の朝九時も、その次の朝も……かつてそこに居た、愉快な彼らの面影はなかった。
今でも半壊しており、窓はシートで覆っただけ。外からの雨風で吹き荒んでいた。
あの日、ワットプラケオから撤退する最中、トゥクトゥクの車内で他のメンバーと連絡を取り合った。ロジーは一命を取り留めていたらしく、病院に向かわせるとの事。それから、危険だから事務所には戻るな、とメガミが言っていた。
「《リセッターズ》は解散とする。お前も、暫く休め」という言葉を最後に、連絡が途絶したのだ。心配であった。自らの事もそうだが、何より彼らが……。だから俺は、メガミの忠告を無視して事務所に顔を出した。
約一ヶ月前、通勤途中、線路へと落下して人生が終わった。正確には、人生は終わっていなくて、助かっていたんだが。
目を開けたら金髪の美女が居て、犯罪歴を盾にしてタイへ来るよう強要された。いずれにせよ、人生が終わったと言えよう。
あれから自由なんてないのだ、と思っていた。アウトローな自称傭兵集団に身を置き、馬車馬のように扱き使われて……毎日、朝九時に来るよう強制されていた。
残業代も出ない、そもそも定時という概念すらない、労働基準法なんてクソ喰らえだ、そんな横暴なリーダーの下で、俺は働いていた。
しかし、今、《リセッターズ》が解散となって、俺は晴れて自由なのではなかろうか。
前科もリセットされ、過去を知る人間もこの地には居ない。……これ程までに喜べる状況はないだろう。お膳立てしてくれて、リセットしてくれてありがとう、そう深謝できるくらいだ。
……それなのに、何故だろう。嬉々として訪れたこの自由を、余暇を、全く楽しめなかった。
《ブラックドッグ》が襲撃されたあの日、俺はゾフィと町を闊歩しながら考えていた。このゾフィという男には、帰る場所があるのだろうか、と。
仮に《リセッターズ》が終焉を迎えて、俺が解放されたなら。
日本に戻って、俺はまた罪を犯すのだろうか、俺に帰るべき場所はあるのだろうか、と。
郷愁を感じた事は一度もなかった。俺の居場所はもうここしかないのだ、と心中で悟っているが故、なのかもしれない。
……過去に決別し、俺はメガミを選んだから。
惚れているとかそういうのではなく、あの場所が、あの時間が、あの仲間が、何だかんだと言って好きだったから。
雨が降り注ぐ中、俺はヤワラートを彷徨っていた。ほぼ毎日、こうしている。時には酒に溺れ、した事もなかった喧嘩もして、日々を過ごしていた。
「あの子は……」
ヤワラートを彷徨っていると、車椅子の女の子を見かけた。以前、チンピラに絡まれていた所をペイズリーと共闘して助けた子だ。学校の制服を着ているから、今から登校する所なのだろう。傍には付き添いの女性が居た。
生憎の雨天だが、歯牙にもかけない姿は子供故なのか。それとも、彼女には夢や目標があり、そこに向かってひた走っている最中なのだろうか。だとしたら、まだ幼いのになんて立派な人間なのだろう。
不自由そうに見える彼女は実は自由で、何処にでも行ける筈の俺が、何故だか酷く不自由に感じられた。
彼女はこちらに気付くと、ぺこりと会釈をした。
俺は薄ら笑いを浮かべる事しか出来なかった。
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