向こうの話 一日の始まり
窓から差し込む朝日に目を細めながら、体を起こして目をこする。
一度伸びをしてからベットから降りて着ていた服を脱ぐ、新しい服を棚から取り出して着てから、軽くラジオ体操のような物をする。…もうほとんど覚えてないからそれっぽい動きをするだけだけど。この世界に来た当初は日本の服に比べてゴワゴワしていて嫌だったが、それもこの世界で過ごしていくうちに慣れてしまった。
そしてラジオ体操のような物が終わったら、締め切っていた窓を開けて換気をする。爽やかな外の風が入ってくるのと同時に下の階から焼き立てもパンのいい匂いがしてくる。
一度深呼吸をして匂いを胸一杯に取り込んでから部屋を出て下に降りる。
「おはようございます」
キッチンに顔を出して挨拶をする。キッチンには家主の奥さんであるケンナさんがいた。年は50後半、年相応に皺とシミが多い顔をしているが、動きや表情は老いを感じさせずに寧ろ若々しく見える。ケンナさんは振り返って俺を見ると笑って答えてくれた。
「おはよう、よく眠れたかい?」
ケンナさんは振り返って挨拶を返してくれた。
「はい、とてもよく眠れました。何か手伝いましょうか?」
「それなら、あの人を呼んできてくれないかい?いつもと同じように牧場の方にいると思うから」
あの人とはケンナさんの旦那さんであるセッカさんの事だ。毎朝誰よりも早く起きて牧場にある飼育小屋のヤギたちからミルクを絞っている。俺もその内手伝いたいのだがセッカさんにヤギを触らせてもらえていない。
「分かりました」
ケンナさんの頼みを二つ返事で答えてキッチンにある裏口から外に出る。外には家の前にある道路を挟んで反対側に森があるくらいで、家の方にはほとんど何もない。少し遠くに見える牧場に目掛けて走る。勇者を首になってからそれなりに時間が経ったので、少しは全盛期に比べると衰えたのかも知れないが、それでも他の人よりは速く走って牧場に到着する。
ヤギがいる小屋に入ると奥の方の通路にいるヤギのそばで動いている影を見つけた。俺はその陰に向かって歩きながら声をかける。
「セッカさん、ケンナさんがそろそろ朝ご飯にするので戻って来て欲しいそうですよ」
「おう、わかったすぐ行く」
影はのそのそと動いて立ち上がる。次第に近づいてきて姿がキチンと見えるようになる。白髪の混じった髪の毛を掻いて、来たセッカさんは少し迷惑そうな顔をして俺を見る。
「何かお手伝いしましょうか?」
と、一応聞くが返答はいつも通りだろうと思う。
「いらん、さっさと戻れ」
と返される。この家にきちんと住むことになってになって1年経つが、未だにセッカさんはこの態度である。何が気に入らないのかは分かっているが、そのことをつつくとさらに機嫌が悪くなるので言及はしない。一回オジサンと呼ぼうとしたけど『貴様にオジサンと呼ばれる筋合いはないわぁ!!』と怒鳴られてから、この人の機嫌を損ねるのは面倒だからやめようと思った。
「わかりました。なるべく早く来てくださいね。そうしないとケンナさんに怒られてしまうので」
「わかってるよ!」
俺に対してきつく当たるセッカさんも奥さんであるケンナさんには頭が上がらないようで、ケンナさんの名前を出すと素直に従ってくれる。ただし乱用は駄目なので最後の一押しぐらいの使い方がちょうどいいと思っている。
どの世界でも女性を怒らせるのは良くないからね。
俺はセッカさんの返事を聞いて家に戻ろうと踵を返して歩き出す。しかし数歩歩いたところでこちらに駆けてくる人影を見つけて立ち止まる。
「おはよー!イツカ」
太陽のように明るい笑みをしながら俺よりも少し年下の少女が手をブンブン振りながら駆けてくる。
「おはよう、ノア。今日も元気だね」
そのまま腕を伸ばしてきたのでハイタッチで答えると、ノアは全力で走ってきたからか息が上がってしまったようで背を丸めて呼吸が浅くなっている。
「大丈夫?背中を丸めると苦しいのが中々取れないから、背を伸ばして顔を上にあげて深呼吸するといいよ」
そう言うとノアは顔を上げて深呼吸を始めた。
「ノア!大丈夫か?!」
すると後ろにいたセッカさんが俺を突き飛ばしてノアに駆け寄ろうとした。一応俺は元ではあるが勇者だからそれなりに鍛えられているので付き飛ばそうとしても耐えることが出来るが、そんな事をすればセッカさんの機嫌が弓に撃たれた鳥のように急降下間違いなしなので、素直に突き飛ばされて顔面から着地する。
それにセッカさんの心配する気持ちも分かる。元々ノアは病弱だったようで近くの町の医師には10歳まで行けるかどうかわからないと言われたそうだ。しかし、必死の親の看病の甲斐があってこの現在19歳になってもうすぐ20になる。体も丈夫になり余り病気にはかからなくなったが、親からすればまだ不安な時期だ。何か起きてからでは遅いから親、特に父のセッカさんはノアに対してはものすごく心配性になる。でもノアは最近遅めの反抗期に入ったから少し嫌そうだ。
「だいじょうぶよ」
大分呼吸が落ち着いたようでセッカさんの目を見てキッパリと言い切った。
「本当か?どこか気分が悪くなっていないか?痛くなったら無理せずに言うんだぞ。それから…」
さっきまで俺に向けてた表情は何だったのだろうと言うほど子煩悩なセッカさんを見て、こういう親子の所に生まれたかったなと思う。
「お父さん、うるさい」
そして、そんな心配をバッサリとノアが切り捨てると一方的にまくし立てていたセッカさんの動きがピタリと止まる。クリティカルヒットである。
「うる…さい…?」
これはしばらく動けなさそうだな。以前はこの後に『娘をたぶらかしやがってぇ!!』と俺に逆上して襲い掛かってきたところに、こっちに来たケンナさんに絞められるという流れだったが、最近はノアの言葉の切れ味が増したのか俺に襲い掛かってくることは無くなった。
「…いこう、イツカ」
そんな実の父親を無視して立ち上がった俺の手を掴みノアが歩き始める。
「セッカさん放置していいの?」
もはや、毎朝恒例になっているが、それでも一応聞く。
「いいの、お父さんもう大丈夫って毎回言っているのにグチグチ言って止まらないから、あれくらいしないと止まらないのよ」
「そうだけど、少し優しくしてあげれば?」
毎回燃え尽きた灰のように白くなっているセッカさんを見るのは結構辛い。あと、ショックから立ち直った後に朝ご飯に来なかったことでケンナさんに怒られる姿を見るのは何となくいたたまれたい気持ちになる。
「…イツカがそう言うなら考えてみる」
少し考えた後にノアがそう言った。
「うん、お願い。それと顔洗いたいから一回井戸で顔を洗いたい」
セッカさんに突き飛ばされた時に地面とキスをしたから顔面が泥だらけだ。この状態で家に戻れば、俺もケンナさんに怒られてしまう。それだけは避けたい。
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