Sat., Oct. 7
18. さわれない顔
翌日。メイリは、朝からアルバイト。私のことを心配しながら、名残惜しそうに部屋を出て行った。
1人になった部屋でベッドに座り込んで、ヘッドセットを準備した。起動させて、デバイスと同期させたら、はい、出来上がり。目の前に見えるのは、私とメイリの部屋じゃなくって、あの図書館に変わる。本当の足を動かしてるわけじゃないけど、館内を1人で歩いていく。
検索機能を立ち上げて文字を打ち込む。たったそれだけのことを、私はずっと、出来ないでいた。
『第19地区 初等学校 立てこもり事件』
その文字に、少しだけ血の気が引く。だから、あの人の声を思い出す。
大丈夫、大丈夫。
これだけのキーワードで、もう十分。新聞記事に中継動画、論文に政治家のコメントに……。情報が次から次へと集まって来る。情報の種類を(一番シンプルだからっていう理由で)新聞記事だけに絞って、指先で触れた。
新聞記事フロアは、2階にあるみたい。
──所蔵フロアまでワープする?
──所蔵フロアまで徒歩で行く?
歩いて行ったら、きっと途中で逃げ出しちゃう。だから私は、ワープを選んだ。
次の瞬間、目の前は不愛想な書架に変わっていた。
整理整頓されて並ぶ、灰色の書架。その中でいくつか、ちかちか点滅する光を見つけた。全部手元に持って来るように操作すれば、光は一瞬で私の目の前のテーブルに並ぶ。それを、古い順に並べていく。
『十九地区初等学校で立てこもり事件発生 児童を人質に立てこもりか』
『立てこもり事件 二年生クラス十八名が人質に』
『十九地区立てこもり事件 ベランダに児童の姿を確認、犯人は男性』
『立てこもり事件 特殊部隊介入へ』
『立てこもり事件 校舎内より爆発音 死傷者の有無不明』
最初は、新聞社が出した速報の記事が並ぶ。それが、時が経つほど情報が増えていき、そうして、あっという間にすべては終わってしまった。
こうして見れば、なんて短い出来事だったんだろう。
『立てこもり事件終結 犯人は射殺、特殊部隊一名死亡
第十九地区にて発生した、刃物のようなものを持った男が児童十八名を人質に立てこもった事件にて、地区警察は、特殊部隊との協力の元、約四時間の犯人との交渉の末現場へ突入。犯人の男を射殺した。死亡した男は、先週末まで本学に警備員として勤務しており、警備ロボット導入による解雇を逆恨みした犯行と見られている。
今回の事件では、十八人の児童に負傷者は出なかったものの、犯人の説得にあたっていた特殊部隊の隊員一名が、犯人が仕掛けた爆発物により死亡した。
特殊部隊は隊員の犠牲について、「現場判断に対し、議論の余地がある点は理解している。しかしながら、その上で、児童救出のために命を賭した若く優秀な隊員に対し、敬意を持って冥福を祈ることは決して揺るがない。遺族の方々への哀悼の意を述べると共に、児童たちの一日も早い心身の回復をお祈り申し上げる」とコメントを発表した』
ああ、これがあの人だ。私がずっと知らなかった、あの人のことだ。
何も知らないのに、ずっと声を信じて生きてきた。たった1人の、あの人。
記事に指先で触れる。
──コピーしますか?
そうじゃないんだよ、と誰かに言いたくなる。私が触れたかったのは、こんな平べったい点の集まりじゃなくて、人の形をした、希望の光だったのに。
記事は、事件後も増えていた。さらさらとタイトルだけを眺めて、ひとつの記事に行き着いた。
記事に触れる。画面が切り替わる。
私はずっと、あなたのことを、何にも知らずにいた。
『第十九地区立てこもり事件 死亡隊員の氏名・顔写真公表 再発防止呼びかけ
第十九地区立てこもり事件にて死亡した特殊部隊隊員の氏名と顔写真が、遺族および同僚の意思により公表された。
死亡したのは、コガネ・エンバー・クロフォード隊員、享年二十六歳。公表された顔写真は、特殊部隊隊員登録時のものと発表されている。
以下、クロフォード隊員の父、カミーユ・ドライバー・クロフォード氏のコメント。
“この発表は、息子を偲び、その勇気を称えるためだけのものではありません。立てこもり事件の再発防止、および事件解決の際の警察等部隊員の死傷を防ぐための取り組みへの足掛かりです。コガネは、よき息子であり、よき兄であり、よき仲間であり、よき隊員でした。彼の正義感の強さは、私たちが一番知っています。きっと彼も、私たちの取り組みを喜んでくれているでしょう”
以下、コガネ・エンバー・クロフォード氏の顔写真』
彼は笑っていた。特殊部隊の隊員なんて、そんな仰々しい立場の人じゃないみたいな顔で、笑っていた。まるで、私のことが見えてるみたいに。
四角い顔に、短く切りそろえた金色の髪。真っ直ぐな眉毛と、存在感のある鷲鼻。それだけなら、彼と目を合わせた誰もが、委縮して目を逸らしてしまいそう。
もしかしたら、彼はそれをわかっていたのかもしれない。目じりを下げ、口角を上げて笑う彼は、今にも「怖がるなって!」と喋り出しそう。「君、あの時の子か! 大きくなったな!」それくらいは、言ってくれそうに見える。
言ってくれたら、いいのに。
彼の写真に、指で触れる。
──コピーしますか?
違うよ、もう、ばか。
出来るものなら、やってみてよ。
あの人を、もう一度ここに出せるなら、出してみてよ。
それが出来るなら、私も、考える。
ごめんなさいって気持ちと、なによりも、ずっと一緒に戦ってくれてありがとうっていう気持ちを、一度に伝えられる言葉を。
図書館を出る。ヘッドセットを外せばもう、目の前はいつものベッドの上。開けっ放しにしておいた窓で、カーテンが笑うように揺れていた。
頭の中で、名前が回る。コガネ・エンバー・クロフォード。
だから私は、通信画面を開く。
“ユウヒ・スズキ・クロフォード”
無機質な呼び出し音の後に、あの声が聞こえた。
『はい』
「あなたのこと、わかったよ」
『僕のこと?』
いきなり話し始めたのに、まるでユウヒは、私から通話が来ることを知っていたみたいに、平然と話し始めた。
外にいるのか、時々、ユウヒの声に風の音が混じる。それから、なにかの音色も。
「亡くなったあなたのお兄さんは、私を助けてくれた人。だからあなたは、私のことを憎んでたんだね」
音色は止む。ユウヒの声も、聞こえなくなる。風の音だけが、静かに何かをつぶやいている。
沈黙を聞いていれば、通信画面に、メッセージが浮かぶ。本文はないけど、それはユウヒから届いた。位置情報が載っている。
『今から、ここに来られる? 君が来るなら、いつまででも待ってるよ』
通話が切れる。
きっともうすぐ、私たちはたどり着く。
私は、ベッドから起き上がる。
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