Wed., Oct. 4

10. 頬をなぞる

 水曜日って授業自体は少ないけど、木曜日の古典の予習があるから少しだけ気が重い。今週の課題は、戯曲の一部のリーディング。言い回しが独特で、結構疲れる。


 本から顔を上げる。ここは、図書館。大理石みたいな真っ白な壁が特徴的で、大きな吹き抜けからは太陽の光が降り注いでる。観葉植物もたくさんある。

 昔の図書館は、学校や街ごとにいくつもあったって授業で習った。同じ本がそこらじゅうに置いてあったなんて、なんだか贅沢。その頃の名残のせいで、ここが18時で閉まっちゃうのは納得いかないけど。


 ほら、やっぱり集中力が切れてる。私は伸びをしてから、誰もいない図書館をぐるりと見渡した。すると、目の前に文字が現れる。


──他のフロアに移動しますか?

はい / いいえ


 “いいえ”に触れた私の手は、いつもより色が白い。だって私の手じゃないもの。

 ここはバーチャル空間。だから手の色は変だし、誰も周りにいないし、本のことなんか気にしないで、日の光が降り注いでる。


 消えた文字の名残を思い浮かべて、ふと、昨日のことを思い出した。検索バーを立ち上げて、文字を打ち込む。


『義体 機械頭 スペック』


 何度か検索を繰り返してみたら、黒い円筒型の機械頭の画像が出てきた。義体の製品ページみたい。それを選択すると、また目の前に文字が出る。


──所蔵フロアまでワープする?

──所蔵フロアまで徒歩で行く?


 情報が見られるのは同じフロア。もちろん徒歩を選んで、本棚の間を実体のない体で進んでいく。

 すぐに、黄色く点滅する本棚が見えた。近づくと、黄色い光は1冊の本だけに切り替わる。それに触れると、まるで本を開くみたいに、情報が現れた。


『SAU-33201型(生産終了)


【概要】

 機械頭導入初期推奨モデルとして開発された、廉価義体


・耐久年数……5〜8年を想定


・対象年齢……

 5歳程度〜15歳程度

 ※ユーザーの成長に応じ、担当技師・カウンセラーが判断

 ※進学、免許・資格取得、就業に制限有。詳細は【使用制限】欄を参照


【稼働状況】

 生産終了のため、新規導入不可。継続利用者のみ、指定医療機関にてメンテナンス可

 稼働中の場合は、速やかに上位互換義体への移行を推奨


※移行推奨理由

 複雑な思考および重ストレス環境下における過負荷時、システムのフリーズが発生しやすい。ユーザーの生命維持活動に鑑み、強制シャットダウン機能及び自動バックアップ機能は既装備。ただし、再起動時に身体機能低下・記憶障害等のエラーが発生する事案が確認されている』


 まだまだ続く、見慣れない言葉から目を上げる。言葉がずきずきと痛むのは、単に、私が知らない世界の話だからってわけじゃない。

 これが、ユウヒなの? あの、音楽が好きで、話しやすくて、優しいユウヒ?

 そう思ってしまったから、言葉は私の目を貫いて、頭の中でぐちゃぐちゃに回って、心をずしりと重たくした。


『お前、なんであいつが機械頭になったか、知ってるか?』


 この程度の情報、調べようと思えば私にだって調べられる。だから、もしクリストファーが機械頭のことを知ってたって、不思議じゃない。調べようと思ったこと自体は、不思議だけど。

 単純に、ユウヒの弱みを握りたかった? でも、そんな相手のことを、クリストファーは彼なりに気遣ってた。


 キングの考えることはわからない。住む世界が違うから。でも、今だけはご近所さんくらいには感じる。だって、今の私には、クリストファーと同じ疑問が浮かんでる。


 どうして機械頭を使うことになったの?

 どうしてわざわざ、この機械頭を使ってるの?

 



 数時間後、私はユウヒと2人でクラブ・ジャックにいた。もちろん、誘われた時は躊躇ためらった。だって、昨日倒れた人がダンスなんて!

 だけど、私たちがいるのは、ダンスフロアじゃない。ここはステージの真後ろにあるスペースで、従業員用の個室席が並ぶ場所。


 音が良くないから従業員用なんだけど、音が小さい分、君にはいいんじゃない?

 ユウヒにそう言われた通り、ダンスフロアにいる時よりも、音に体を揺らされる感じはしない。でも、私にとってはこれでも十分、立派な音楽だ。


「ドリンク持ってくる。コーラでいい?」

「う、うん。ありがとう」


 背後のカーテンを開けて、ユウヒが共有通路に出る。ここに入れるのは、クラブ・ジャックの従業員とその知り合いだけみたい。

 個室はカーテンで仕切られてて、他の席にいる人の会話は聞こえない。3人くらいは座れそうな黒いソファと低いテーブルが置いてあって、ダンスフロアの方を向いてる。でも、向こうからこっちは見えないってユウヒは言ってた。


 廊下から、女の人たちの声がする。ユウヒと話してるみたい。


「あー、BUGバグじゃん」

「やあ。そのワンピース、似合ってるね」

「サンキュー。その頭で、どうやってコーラ飲むの?」

「僕のじゃないよ、友達の」

「ここだったら、それ取ってもよくない?」

「残念。この頭は取れないんだ」

「嘘お」

「本当だよ。それじゃあ、楽しんで」

「アンタたちも!」


 ユウヒはカーテンを開けると、長い足でひょいとソファを乗り越えた。私たちの間にヘルメットを1つ置いたくらいの、ちょうどいい位置に座り込む。ふわりと、レモンの葉っぱの香りがした。


「どうぞ」

「ありがとう。ユウヒの友達、他にも来てたんだね」

「友達? さっきの子たちは、知らない子だよ?」

「あ、あんなに仲良く話してたのに?」

「友達なら、僕の頭が本物だってことくらい知ってるよ」

「そ、そっか。そうだよね」


 するとユウヒは、ダンスフロアの方を見て肩を揺らした。空気をかき混ぜるように、人差し指を揺らす。


「ほら、この前公園で弾いた曲」


 言われるままに、耳を澄ませる。響く低音に、なにかをこするような音。繰り返される言葉が、光の中に散っていく。芝生で聴いたのとは全然違うけど、聞こえる言葉はおんなじだった。


「あーあ。あいつ、僕をからかってるな。君を連れてきたの、知ってるから」

「え?」

「今度あいつが女の子連れてきたら、仕返ししてやろう」

「ユウヒ、なんか楽しそうだね」

「そうだね、ここは楽しいよ」


 ソファに座ったまま、ユウヒは腕を揺らして踊っている。ダンスフロアも、両手を上げての大賑わい。世代も見た目も形も、何もかも違う人たち。笑いながら大声を上げて、両手を鳴らして音楽に飛び込んでいく。


「色んな人がいていいね」

「そうなんだよ。だからいいんだ」

「綺麗だね」


 ユウヒはくるんと私の方に顔を向ける。もちろん、その機械頭にはなにもない。左側に、ダンスフロアの照明がちかちかと映っては消える。それ以外はちっとも動かない。


「僕も、そう思うよ」


 何度も何度も、いくつもの色がユウヒを照らした。もしも彼に瞳があったら、その中にも色が見えたんだろう。でも、もしも瞳があったら、私の間抜けな顔が映っちゃうんだ。

 ユウヒは首を傾げる。


「君のそれ、癖?」

「え?」

「話す時に相手の顔をよく見る、それ」

「は、初めて言われたよ? そういうの、苦手だし……」

「僕の思い過ごしかな? 今まで、そんな風に見られたことない気がしてさ」

「そ、そうなの?」

「だってこんな機械頭、見たってなんにもわからないだろ?」


 なにも変わらない機械頭。どこを見てるのか、いつ話し出すのか、笑っているのか。ユウヒの顔には情報がない。まるで、そこだけぽっかりと開いた、真空の宇宙みたいに。

 宇宙に触ってみたい。言葉はうまく出て来ない。頭の中に浮かばない。手を伸ばす代わりに、上手に言えたらいいのに。


「……でも、ユウヒはずっと、その頭を使ってるんでしょ?」

「まぁ、親から最後にもらったものだからね」


 答えは自然に響いたけど、どこか輪郭ははっきりしてた。聞かれた時のために、準備してた答えなのかな。でもそれにしては、使い古された気配がない。


「お、お父さんとお母さん……。もしかして、亡くなったの?」

「死んだとは聞いてないから、生きてるんじゃないかな」

「ご、ごめんなさい」

「死んだのは僕の兄だよ」


 音楽は、ずっと遠くで鳴り響く。それなのに、まるで目の前にスピーカーを置いたみたいに、轟々と頭の中を巡った。


「兄が死んで、親が不仲になって、しょっちゅう喧嘩するようになったんだ。それを止めに入ったら突き飛ばされて、頭をぶつけてこれ。8歳とか9歳とか、それくらい昔の話さ」


 まるで物をつつくみたいに、指先でユウヒは自分の顔を弾いた。

 私には聞こえない。でも、ユウヒには聞こえたはず。機械頭を弾いた時にする、かちんという冷たい音。


「実は、ずっと前からこの頭に願掛けしてるんだ。僕の願いが叶ったら、この頭とさよならしようってね。遅かれ早かれ、そうしなきゃならないし」


 肩をすくめながら、ユウヒは言った。


「でも、この頭じゃなくなったら、僕のことなんて、誰も見つけてくれないだろうね」


 そんなことないよ、なんて言えなかった。だって、顔のあるユウヒが、ダンスフロアに紛れてしまったら。きっと私は、彼をすぐには見つけ出せない。どんなに大声で叫んでも、音楽が私の声をかき消して、人の波のダンスに変えてしまう。

 だから、その代わりに私は決めた。


「私がユウヒを見つけるよ。諦めないから安心して」

「そりゃあいいね。頼もしいよ」


 ユウヒは首を傾げた後で、わざとらしく自分の頭を指先で掻いた。まるで、いたずらが見つかった子どもの、照れ隠しみたいに。

 けれど、不意にその動きをやめると、しばらく黙り込んだ。


 黒い機械頭は、こっちを見てる。なにを考えているのかわからない、真っ黒な、なんにもない顔。


 細い腕が伸びてきて、片方の手が私の顔を包んだ。乾いた指先は冷たい。その親指の腹が、たった一度だけ、私の頬をなぞる。


「……どうして、君だったんだろう」


 引き寄せることもなければ、突き飛ばすこともない。

 ただ、腕を伸ばせば届くほど遠くで、ユウヒは、そうつぶやいた。

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