第25話 友達の最期


「なんだろう、あれ」


 ラナは海面に浮く、金属の塊に泳いで近づいてみることにした。

 しかし、


「ん」


 ラナが海に足を踏み入れた途端、金属の塊はまるで彼女から逃げるように、海のなかへ潜っていってしまった。

 ぶくぶくも海面に泡を立てて、あっという間に消えたソレをラナは呆然と眺めていた。


「ラナ、どうしたっすか?」


 ほうけていると、ラナの背後から馴染みある声がかけられた。

 カインだ。彼はより深海への素潜りのために開発された、いくつかのアイテムが入ったバッグを背に今日もサポーターとして浜辺へやって来たのだ。


「カイン、さっきあそこらへんに金属の塊みたいなのが浮いていたのよ」


 ラナは見たまんまの光景をカインに伝える。

 カインは少し沈黙し、あごに手を当てて思案げにした。


「……金属の塊? それって水に浮くものなんすか?」

「うーん、わからないけど、本当だってば! わりと大きい感じのやつが浮かんでたの!」


 ラナは目をキリッとさせて、カインを睨みつける。カインは「殴らないでほしいっす!」と困り顔で、両手をあげて降参した。


「まあ、とりあえず、気にしても仕方ないっすよ。深海の底で人が生きてたりするのがこの世界なんすからね」


 カインは感慨深げにつぶやく。

 ラナは彼の言わんとしていることを汲み取って、「うん、エイトは生きてるよ」と言って、今季初の素潜りへと挑んでいった。


 ──数日後


 今季のラナは絶好調であった。

 今までにない深海2,500mへの挑戦も着々と進んでいる。


「ラナ、見るっすよ、これが新しい魔導具の『発光シード』っす。ヒビを入れると明るく光ってしばらくライトの代わりになるっす。海底に植えることで、わずかながら光を放って道標にもなるっす。これなら迷う心配と、暗闇への精神負担の問題を同時に解決できるっすよ」

 

 ラナは新しい魔導具を受け取り、カインに礼をいってさっそくひとつ割ってみた。

 ラナのドラゴンすら泣き出す握力によって簡単に殻は割れた。『発光シード』のなかから、光が漏れはじめる。


 ラナはこれは使えそうだ、と思い残りの種たちをポーチにいれた。

 

「ラナ、ちょっといいっすか」

「ん? どうしたの、カイン」

「今回の素潜りでどこらへんまで進むのか確かめておこうと思って」


 ラナはポニーテールに髪を縛りながら、カインがおかしな事を聞くな、と不思議に思っていた。

 カインとラナで、暗闇の深海領域のマップは確実に作られてきた。しかし、それはラナしか知ることは出来ず、カインは知っても大した意味がないために、彼はこれまで聞いてまで知りたがらなかったものだ。

 

「ここの崖をおりて、その先に設置した休憩所。最低ラインはそこかな」

「なるほど、となると海抜マイナス2,850mくらいまでは堅いっすね。なるほどなるほど……エイトは近いかもしれないっすよ」

「だといいけどね」

「あ、そういえば、身体の方は大丈夫っすか? 水圧、水温、暗闇……生身でここまで潜るとかなりキツくないっすか?」

「うーん、まだ余力はあるかな。すこし締め付けられる感じが強くなってきた気がするけど。……でも、エイトがこの先にいるんだもん。距離も近づいてる気がする、必ずいって見つけるよ」

「そうっすか」


 カインはラナの体調を心配しているようだった。

 彼はラナにとって、ここまで支えてくれた、もうひとりの相棒のような存在だ。

 口には出さないが、ラナはカインのことを心の底から大切な友達だと思うようになっていた。

 

「じゃ、いってらっしゃいっす。サンドウィッチでも作って待ってるっすよ」


 カインはニコリと微笑み、海へ入っていくラナを見送った──。


 ラナが海へ消えていった。

 それはある夏の日。

 昼下がりの浜辺のことだった。


 カインは深海についての情報をまとめたレポートを書き上げて、海を眺める。

 このレポートは地味にラナとカインの活動の重要な資金源だったりする。

 実はラナたちの活動は深海の重要な研究として、アクアテリアスの学者たちに高く売れるのだ。

 カインがラナに進捗について訪ねたのも、ラナの代わりにこのレポートを完成させるためだ。


「書き漏れはなしっと。んー、それじゃそろそろいくっすかねぇ……」


 カインはレポートを閉じてぐっと伸びをした。

 ひと仕事やり終えた後の気分は最高だ。


 ──ザザ


 そんな彼の背後、浜辺を踏む足音が聞こえた。


「ん?」


 カインは呑気にふりかえる。


「え……」カインは呆気にとられて目を見開く。

「貴様がカインだな」

 こもった声はそう言った。

 そこには、自動小銃をゆったりと構えた男たちが立っていた。



 ───────────────────────────────


 

 

 ラナは『深度計』に搭載されたミニライトを起動させ、現在の海の深さを確認する。


(水深2,600m……)


 記録の更新だった。

 ただ、ラナに感情の起伏はない。

 それはいちいち記録更新して、一喜一憂していてはエイトのもとにたどり着くまでメンタルが保たないと判断してのことだった。

 

 淡々とこなす。

 メンタルに波紋は作らず、ひた潜る。

 それが生身で海の底を目指す者の心得だ。


(そろそろ『発光シード』使おっかな…)


 ラナはここまでにいくつも植えてきた、光る道標を振り返って見る。

 それそろ、新しい『発光シード』を使っても良いような気はしていた。


 ラナは足元に光る種を植えていきながら、これまでの自分の歩みについて考えていた。


 自分はこの5年間、必死に強くなった。

 今ではレベル135にもなり、申請さえすればいつだってギルド最高峰ドラゴン級冒険者の仲間入りすることができるだろう。

 かの伝説の英雄マクスウェル・B・テイルワットと並びたつ称号だ。

 これほど光栄なことはない。

 

 ただ、それほど光栄な事だからこそ、ラナは迷っていた。

 相棒、エイト──もちろん人間の方──を置いていくことは出来ない。

 子供の頃にふたりでいっしょに抱いた大望でもあるドラゴン級冒険者への昇格。


 それは、それこそは2人一緒じゃないとダメなのだ。

 

(……)


 ラナは暗い海のなか、光る種を植えながら働かせる手をとめた。

 この数年間、ラナにはふと、我に帰る瞬間があった。

 ずっと悩み続けて、体を動かし続けているあいだには襲ってこない″挫折″の二文字が、単純な作業に没頭するときだけは顔を出す。


「ぅ、ぅ……」


 ラナは海底で膝をおり、泣いてしまった。

 暗い海の底、涙は落ちない。

 ラナはこんな孤独の中だからこそ自分の抱える最大の不安と対面してしなければならない。


 エイトはとっくに死んでいるのではないか。


(エイト、どうして、わたしを置いていってしまったの……わたしはまだエイトに何も言えていないのに……)


 エイトと共にしたい事が沢山あった。

 ラナの父親に6年間も基礎修行をさせられ拘束されて、ようやく冒険者になって、ものの数ヶ月でエイトは消えてしまった。

 ともに国一番のお祭り『神聖祭』にも出てみたかった。

 冒険者稼業が軌道に乗ったら、のんびり釣りなどをしてもいい。山へ登るのも楽しいだろう。鍛え、育てた自分のドラゴンに2人で乗って、ドラゴンに困った顔をされながらじゃれあい、夜空をロマンチックに飛んだら最高だ。


(ねえ、エイト知ってる…外国にはこの国にない沢山の綺麗なモノや、凄いモノ、珍しいモノがあるんだよ)


 そんな世界を2人で旅したかった。

 2人で終わる時までいたかった。

 

 だが、それは叶わない。

 だって、エイトはもう──、


(わたし……あの頃から、一歩も前へ進めてないな……)


 ラナは肩を落としながらも、目元をぬぐい、再び光る種を植えはじめる。


 ゴールの見えない暗闇。

 否、ゴールすらないかもしれない暗闇。

 そのほうがずっと可能性が高い。

 どこまでも分が悪いギャンブルだ。

 

 それでも、ラナは諦めるわけにはいかない。

 エイトはそれだけ大切な人だから。

 悪夢のような絶望と狂気に身を任せても、必ずこの暗い海の底から救い出す。

 

 誓いは揺るがない。

 絶対なんてないのだから。

 だから0.01%に全賭けする。


(……これで3,000m。すこし近くなったかな?)


 ラナは暗闇でまぶたを開き、何も見えない深海を見つめる。


「……ぅ?」


 ふと、した瞬間ラナの知覚が何か不気味な波の流れを感じとった。

 ラナは海に潜るとたびたび謎の生物に襲われていた。

 姿が見えないので、その正体がなんなのか未だにわかってはいないが、およそ大きな魚だと見当をつけている。


(なにか、デカイのが、くる……!)


 ラナは手元の槍を引き絞って構えた。

 今か、今かとソイツが来るのを待ちわびる。

 

 だが、いっこうにそれは現れなかった。

 かわりにゆっくりと奇怪な、それでいて″規則正しい波の音″が聞こえて来た──。



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