鬼の姫は危ういと思い、
「セスよ」
こちらの問いかけに振り向くのは少年、肩越しに真紅の瞳と合う。
優しげだがどこか愁然とした雰囲気、純白の髪が更にそれを際立たせておる。座ったままの姿勢で何か作業をしておったようじゃ。
「フィルミナ、どうしたの?」
「それはこちらの台詞じゃ」
昼間に奪還したプンクト砦、今はその城壁——通常なら兵士が周囲を見回し、時に外敵の迎撃をする場所——におった。
「もう夜も更ける。このような場所で一人……お主、何をしておる?」
「……あー、うん。ちょっとね」
相も変わらず座ったまま横顔だけで返答しおった。
新月の夜、星しか明かりがない中でも吸血鬼の前では関係ない。漆黒の闇も真昼と変わらずに見通せるが、流石に身体を透過して見通すことは出来ん。
セスが座り込み……何か、作っておる? という程度にしかわからん。
「『ちょっと』、では解らんぞ。明日は一度エコールに帰る。何もないとは思うが、体を休めておいた方が良い」
「もうすぐ終わるから大丈夫。フィルミナこそ休みなよ。俺のわがままに付き合わせちゃったからさ」
生意気な、話を逸らす気か。
しかし……我儘とはのう。お主の性格や、湿原から目覚めて真っ先にした『あれ』を考えれば、自明の理であろうに。
何よりお主の『それ』は、尊く——決して軽んじてはならんことだというのに。
「この砦の犠牲者……『軍人達を供養する』と言ったことか? 今更であろう、お主ならそうすると思っておった」
「それでも俺が言い出したから、みんなを巻き込んじゃったかなって……」
「安心せい。本隊が到着すれば、どの道そうしたであろう。遅いか早いかの違いじゃ」
ドリュアデス含め魔物を全て掃討した後、儂らでプンクト砦の調査を行った。
結果、生存者はなし。
犠牲者の痕跡や遺品らしきものが見つかるだけであった。
『……チッ』
解っておったはず。
しかしそれでも、その惨状を許容出来かねたのであろう。アラン殿が苦虫を潰したような表情で舌打ちをする。
『……セス様? お加減が悪いのですか?』
声の方に視線を向けると炎よりも赤い髪、レベッカが屈んでいたセスに問いかけておった。
『ああ、これがあったから……せめて『あなたを弔って、これをお届けします』って約束したんだ』
立ち上がって差し出したセスの手の中にあったのは、ロケットであった。中から写真——幸せそうに寄り添っている家族——が覗いておる。
『セス様……私も……』
『みんなは休んでて。俺、出来る限り弔うよ。これでも元神殿守で、神官を目指していたし……葬送の仕方も覚えているから……』
『あーあー聞こえないっすねー。あたしは好きにするっすよ? 供養するも休むもあたしの自由っす』
そう返したのは黒の三角帽に黒のローブを纏うジャンナ。
今はそっぽを向いているため、眼鏡の奥にある灰銀の瞳もどんな表情もしてるかわからん。瞳と同じ色の緩い三つ編みを揺らし、そのまま歩いていく。
『あたしは公国側の跳ね橋あたりに行くっすよ。魔物共がそっちから来たなら、主戦場はそっちっすからね』
『ジャンナ、儂も行こう。儂の力は調査に優れておる』
自然、言葉が出てきた。
『……勝手な行動するんじゃねぇ』
全員を諫めるアラン殿。
眉間に皺が寄り、不機嫌を隠しもしないで巌のような腕を組んでおる。
『セスとフィルミナの嬢ちゃんは、公国側の跳ね橋からこっちに向かってこい。お前ら二人なら、調査も回収も文句なく出来るだろ』
『俺とレベッカ、ジャンナは王国側から担当するぞ。いいな?』
そうしてプンクト砦の葬送が終わる頃には、すでに日が落ちておった。
今宵——新月の夜——はこの砦で一晩過ごし、明日の早朝にエコールへ向けて帰ることになる。
「して、何をしておったのじゃ?」
まあそれはとにかくとして、話を逸らさせてなるものか。
一人で深夜にコソコソと……攻城戦に葬送にと疲弊しておるのに、この上さらに何をしておるのじゃ、こやつは。
「ぐっ! その……」
「その? 何じゃ?」
セスよ、悪いが目を瞑るつもりはないぞ。
お主は他人のことには遠慮なく心を砕くが、自分のことには滅法鈍いということは分かっておる。何せ頑丈な吸血鬼の身体が、疲労で悲鳴を上げるまで修練し続けるような奴じゃからな。
そのような奴に、心配し過ぎるということはないのじゃ。
ふう……と観念したかのような溜息を一つ。そして座ったまま、180度回って見せてきた物は……
「ふむ、花……折り紙じゃな。そういえばアモルでミミにも送っておったな」
「花の種類は違うけどね。これは胡蝶蘭」
そうして見せてきたのは様々な色の花冠、それを白い花弁が覆うようにしている小さな花……それが30輪を超えるほど。
「これで最後……うん、出来た」
「それを作っておったのか。この砦の者たちは既に供養したであろう? それは誰のためじゃ?」
「俺が殺した、魔物に……」
儂の問いに、儚い——触れただけで崩れそうな笑顔でセスが答えた。
ガン、と頭を殴られたような気がした。
「ああ、俺が自分で決めてやったことだし、言い訳するつもりはないんだ。ただ……別に、殺したかったわけじゃなかったしね」
「いや、頭に血が上った時もあるし……なんていうんだろ。殺意がなかったと言えば嘘なんだろうけど、それでも……」
「命を奪ったことに変わりはないから。今更、こんなことして……女々しいだろ?」
そこまで言うと、数十輪——恐らく、40を超える——の胡蝶蘭の折り紙を抱えて立ち上がるセス。
「村でのグレンデル」
「アモルでのワイバーン」
「宿場町でのシールドドラゴン達」
「湿原でのワーム達」
誰に聞かせるつもりでもないのであろう。ただ自戒の言葉として、これまでセスが屠ってきた魔物が挙げられていく。
言葉を紡ぎつつ、城壁の端へ。
胡蝶蘭の花を抱えつつ堀へ向かっていく。リーニエ河から寄せた、そこと繋がっている水場へと。
「そして……ここで葬ったアイアンゴーレムとコボルト達に、ドリュアデスの種子」
「魔物の弔い方とは違うかもしれない……それでも、どうか安寧を」
セスが、紙の胡蝶蘭を堀へと撒いた。
そして祈りを捧げる。
ああ、やはりじゃ。
こやつは、セスは……優しすぎる。
故に危うい。
儂が言わねばならん。
覚悟を決め、吸血鬼の——『従者』のことを告げ、踏み止まらせるようにせねばならん。
それが儂の——『セス・アポートル』という人を『セス・バールゼブル』という鬼にした——責務であろう。
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