発覚、画伯としての才能!
場所を移し、空き地から自分達が借りている宿の一室へ。
すでに見慣れた内装に新たに持ってきたものが一つ、黒板——移動しやすいようにキャスター付き——があった。
「では、これを使って説明していこう。準備は良いな?」
その前に立つは、誰もが目を見張る美少女フィルミナ。腕組をしつつ、仁王立ちでこちらに向かい合う形になっている。
わずか10歳ほどのはずなのに、どこか妖しい魅力と威厳に満ちていた。
「あ、はい。お願いします」
向かい合うは自分、部屋にあった椅子に座るセス・バールゼブル。
まるで神官が一人の神殿守に対して、講義を行うかのような形になっている。成績が振るわなくて受ける補講は、こんな感じになると聞いたことがあった。
「うむ、まず思い浮かべるは『馬車』じゃ」
そう言って近くに用意していた台に乗り、黒板上部に白チョークを滑らせていく。ちょっと背伸び気味なので、見ているこっちがハラハラするのだが……平気のようだ。
ちなみにこの黒板は、この宿の倉庫の肥やしになっていたらしい。宿のご主人がフィルミナの頼みを聞いて、引っ張り出してくれたのだ。
「まず……馬に荷車、そして御者。大きく分けてこれが『馬車』の構成じゃ」
黒板に二頭引きの馬車……を記した後、フィルミナがこちらに向き直る。これも台の上なのでヒヤヒヤなのだが、彼女は何でもないことのようにこなした。
考えるまでもなく、フィルミナも吸血鬼。身体能力……バランス感覚や体幹も人の子供とは比にならないのだろう。
「そこでこう割り振ってもらうぞ。馬は操血術と筋力、荷車は肉体、御者は……精神、と言えばよいか」
「……精神?」
その部分だけ、ピンと来なくて聞き返す。
「そうじゃのう、お主自身の意識……思考、と言った方が良いか」
なるほど、つまりは自分自身の判断能力というわけか。御者は馬の制御はもちろん、荷車に何を乗せるか、また乗せることが出来るか、とかも考えるからな。
「多少強引かもしれんが、これで話を進めていくぞ」
「わかった」
こちらの返答に頷いた後、「では、具体的にお主の場合を描いていくぞ」といい、フィルミナがまた黒板に向き直る。右に移動し、馬車の隣——黒板の空いた部分——にチョークを走らせていった。
まずは馬からのようだが……いや、ちょっと……
「でかくないか?」
思わず口を突いて出た。
先に書いた馬車の馬と比べて一回り、いや明らかに二回りは大きい馬が二頭描かれていく。誰がどう見ても角張って大柄だ。
「よっと……それだけ、お主の成長が著しいということじゃ」
まずは筋骨隆々とした巨躯を誇るであろう馬……が二頭、黒板に描かれた。
それにしても、自分は中々に見所があったらしい。あのフィルミナがこう言うのだ。ちょっと、自信を持ってもいいだろう。
……まあ、『恩恵』でのインチキは成功しているということか。
「これだけ成長の早い者は儂とて初めて見る。正直、異常じゃ」
こちらを肩越しに振り返るフィルミナと視線が合う。相も変わらず、妖しいまでに綺麗な紅い瞳だった。
前言撤回。
どうやら自分が思い付いた『恩恵』の使い方は、大当たりだったようだ。龍帝しろがねに負け、その圧倒的差を少しでも埋められるように考えた『半減』の使い方。
それは想像以上の効力を発揮しているらしい。
鍛錬中に意識していたのは、『必要鍛錬量の半減』。
少しでも、先を——遥かな高みに辿り着いている人達に追いつけるように考えた、自分なりの『半減』の使い方。
ここエコールに着いてからとは言え、それは凄まじい効果を発揮しているようだ。いや、ひょっとしてその前……アモルからも効果は発揮していたのではないだろうか?
自分なりにひたすらに、一生懸命に、少しでも早く身になるように鍛錬を繰り返していた。その際に無意識に使っていなかった、とは言いきれない。
むしろそう考えた方が、彼女ですら驚く成長速度は自然……
「……しかしじゃ、良いことばかりではない」
フィルミナの言葉に意識を戻すと、彼女が再びチョークを滑らせていた。小気味いい、カッカッという音とともに白線が伸びていく。
二頭の強靭な馬に繋がる、どうやら今度は荷車部分を描いているらしいが……いや、ちょっと……
「小さくない?」
隣にある例として描かれた馬車、そちらの荷車よりもちょっと大きいくらいだ。どう考えても、巨大な馬に釣り合っていない。
この馬達が本気で引けば、荷車のほうが持たないと確信できるくらいに差がある。
「……多少誇張しておるが、『虫捕り』が出来なかった頃のお主はこの状態であった」
これ、どう考えても荷車のほうが持たないだろ。
そのくらいの差が黒板に記されていた。この二頭が全力で引けば、荷車部分は宙に浮き、水切りのような動作しか出来ない。
そう確信できる格差だ。
「ここに描いた通り、肉体が操血術と筋力に付いて行けておらん。それだけ異常な成長速度だったということじゃな」
「ここからが最大の問題じゃが……通常なら御者が荷車を気遣い、馬を制御して全力で走らんようにする。しかし、お主の場合は違う」
「お主はとにかく運転が上手い。常に馬に全力を出させつつ、荷車を壊さずに走らせ続けられたわけじゃ。しかも……」
口を挟む隙もなく、言葉を続けたらと思ったらフィルミナがまた黒板にチョークを走らせる。
今度は荷車に四角い物体、おそらくは荷物を載せていくが……『そんな荷車にそこまで乗せるなよ』と思うくらいに描かれた。
「この御者は必要とあらば、自分から荷を引き受ける奴じゃ。こうして荷車のことを考えず、とにかく他人のために荷物を積み込んでしまう『たわけ』じゃな」
これって……遠回しに俺への小言になってないか?
言い換えれば、「こいつは必要なら、己を顧みずに働く『たわけ』」ってことだよね?
「……聞いておるか?」
「あ、ああ。聞いているけど、ちょっといいかな?」
けど、それとは別に気になることがあった。
「なんじゃ?」
「いや、俺の体はもう完全に『鬼』になっているんだよね? それでも耐えられないって有り得るの?」
そう。レーベ湖で月が見下ろす時に、確かに彼女は言った。「すでにお主は完全に『鬼』となった」と。
体は完全に『鬼』になって、人知を超えた強靭さと回復力を備えていると思ったのだが、違うのか?
……おい、なんだその反応。なんで額に手を当てて、こっちに聞こえるくらいの溜息をつくんだ。
「『鬼』になったとしても、お主は今で二か月程度……まだまだひよっこだった、というだけじゃ。人とて変わらんじゃろう?」
「言われてみれば……そうか。鍛錬すれば体ももっと強くなるんだな?」
「本物の阿呆か、お主は。体が酷使されて悲鳴を上げている、と説明しておるじゃろう。その上で鍛錬? 何を聞いておる」
あ、はい。すみませんでした。
「話を戻すぞ?」
フィルミナの問いに頷きだけで答える。
「先ほども言ったように、この御者のせいで荷車は限界であった。さらに……」
チョークが荷車の車輪……であろう円の中心にもう一つ丸を加えた。
「この御者は、荷車の負担を『半分』に出来る特殊な道具を持っておった。何かは分かるであろう?」
「うん、恩恵『半減』でしょ?」
こくり、と頷くフィルミナ。
「なまじそのせいでこの御者は……さらにこう、こうしてしまうわけじゃな」
黒板にチョークが滑るが、「壊れる、壊れる!」と言いたくなるくらいに荷物が加算していく。二頭の馬はともかく、荷車にはどう考えても耐えられない量の荷が乗っている。
「……と簡単に言えば、お主の異様な努力と成長速度に、肉体の成長がついてこれんかったわけじゃな。それの確認に『虫捕り』、改善に『集中法』をしたわけじゃ」
「……俺に必要だったのは、鍛錬や努力じゃなくて『休息』だったってことかな?」
フィルミナが頷く、だが何故か難しそうに眉間にしわが寄っている。
「うむ。しかし、これに関しては儂に責任があるのう」
「えっ?」
「指導する者として、教え子の体調や練度を計り損なうとは……恥ずかしい限りじゃ。すまなかった、セスよ」
長く艶やかな黒髪が重力のままに流れる。フィルミナが頭を下げたのだ。
「ちょ、違う! 俺、俺が言わなかったせいだ! 体が怠かったけど、『まあ平気か』って言わなかったんだ。だから……」
そもそもが、『半減』による短縮のようなものを行った結果だ。彼女に言わなかった自分が悪い。絶対にフィルミナのせいじゃない。
下げていた頭を上げ、深紅の視線が再びこちらを映した。
「ふむ……それはいつからじゃ? 『半減』で誤魔化しておったか?」
「え、えーと……しろがねに負けた後、からかな? 半減は、多分していたと思う。コンディションはなるべく好調を維持しようとしたから……」
「当然といえば当然じゃが、『半減』の恩恵はお主と相性が良い……いや、良すぎるのう」
「? それってどういう意味?」
神託の儀により、女神から授かるという『恩恵』。
確かに、わざわざ本人に沿わないものを授けることもないと思うが……そして相性が「良すぎる」とは、どういうことだろう?
「まあ、『恩恵』については後程にするとしようかのう。今は……こちらのほうじゃ」
フィルミナがこっちを向いたまま、肩越しに黒板——に描かれた馬車——を指す。
「ああ、わかった」
こちらの返答に、軽い笑みとウィンクで答えるフィルミナ。見た目の年齢にそぐわない、色気と妖しさに満ちている。
「……この数日の、『集中法』も用いた休息により、お主の身体もしっかりと追い付いた。今後は、『集中法』によって適度に、心身を整えていくべきじゃな」
言葉を紡ぎつつ、最後の下方に空いたスペースに馬車が描かれていく。
巨大な体躯を持った二頭の馬、それに見合う立派であろう荷車、指揮するは御者……三種全てのバランスが整った、立派な馬車があった。
「これにて……『吸血鬼』としての、『基礎修練』は完了した、ということじゃ」
黒板に描き終わると同時、足場の狭さを感じさせない流麗な動作で振り返ったフィルミナ。その表情は、柔らかくて嬉しそうだった。
自然、こちらの力も抜けて笑みがこぼれてしまった。
「何か質問はあるかのう?」
「……フィルミナの予定では、どのくらいで『基礎修練』の完了を目指していたの?」
「うむ。鍛える前は……最低1年超を予定しておった。それにしても、最低限の物と考えておったがのう」
うん、改めて『必要鍛錬量の半減』は凄い効果なんだな。多分だけど……鍛錬するごとに加速度的に伸びて行っているんだろう。
「他にはあるか?」
「これから先は、どんな鍛錬になる?」
「基礎の熟練を忘れず、『技』の習得に移る。あとは個人の強みを掴み伸ばしていくぞ。詳しくは後日じゃな」
自分の武器、ということだろうか?
確かに今は気に入っている武器はあるけど、どれかに絞るということはしていないな。
「他にはどうじゃ?」
「……う、ん。ない、よ?」
「何じゃ歯切れの悪い……引っかかる物があるなら、遠慮なく言うがよい」
しまった。
ついつい頭に残り続けていた点——最初に思ったこと、とでも言おうか。それのせいで、変な答え方になってしまった。
「いや、その……話の内容とは、関係ないんだけど……」
「構わんぞ。申してみるがよい」
ごくり、とつばを飲み込む。
「じゃあ、怒らないで……聞いて欲しいんだけど……」
「うむ、良いぞ」
彼女の背後にある黒板——正確にはそれに描かれた馬車、のような名状し難きもの——を見つつ、思い切って言葉を紡ぐ。
「フィルミナって……絵を描くの、苦手なんだなって……」
無言でチョークを投げつけられた!
ちょ、「怒らないで」って言ったのに!
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