虫捕り、そして禁止
「では、始めるぞ。準備は良いな?」
十歩程度の距離に相対する小柄で華奢な少女、フィルミナの問いかけに頷いて答える。対するこちらは自然体のまま、彼女のアクションをしっかりと捉えてから動く。
行うのは『虫捕り』。
ただし捕るのは、彼女が操血術で精製した特別なカブトムシだ。角があるオスは物質精製の虫取り網を使い、メスの方は身体強化を駆使し素手で捕まえる。
なお、操血術はバランスよく使っては“ならない”。
捕まえる際にはオスかメスか確実に見極めた後、どちらか片方のみに重点を置いて臨むこと。
これにより操血術の二種——物質精製と身体強化の切り替え、練度、さらに両方の限界を知ることによってバランスの取り方を学べる、とのことだ。
当然だが、恩恵『半減』の仕様も禁止。
正直、かなりしんどい鍛錬だ。
「行くぞ!」
掛け声とほぼ同時、フィルミナの小さな手から黒い影が空を切った。
……早い! 普通のカブトムシとは比べ物にならない!
だが見えている、オス!
そう思ったと同時、すでに駆け出して手に虫捕り網を精製——重っ!
やっぱりというかなんというか、こんなに豪華で頑丈で大きい虫捕り網なんて、オーダーメイド以外に有り得ないからな。ひたすら捕獲の性能に大きさ、更に見た目の装飾にこだわった逸品中の逸品と言える。
そりゃ重くもなる!
とは言え、やってやれないことはない。
宙を舞う黒い甲虫の軌道に割り込み、そこに虫捕り網を合わせて網の中に捕らえる。網にかかって止まると、立派な角を持ったカブトムシの姿が霧散した。
「ほれ、次じゃ!」
息つく間もなくフィルミナからの催促、黒い影が別の方角へと飛ぶのが見えた。
さらに早くなった、今度はメス!
虫捕り網を解除し、吸血鬼の全力で地を蹴りメスのカブトムシを追う!
今度は直接追いついて、素手で捕まえなければならないが……出来ないほどじゃない。伸ばした手の中にカブトムシを納めると、また霧散して消えた。
……!
視界の端に捕らえたフィルミナから小さな黒い影、同時に二匹!
呼びかけもなし!
それぞれ別の方向に逃げるように、オスとメスが一匹ずつ飛んで逃げていく。速さは、どちらも一匹目と変わらない。
切り替えの手間を考え、まずはメスの方に駆け出して捕まえる。手に捕らえたカブトムシが霧散する前、すでに視線と思考はもう一匹……オスのほうへ。
虫取り網を——!
急に、引っ張られたかのような感覚にバランスを崩した。いや、何かが引っ掛かっていたという方が近い。ほつれた袖が引っかかり、それに気が付かずに歩き出そうとして引っ掛かったような……操血術が乱れた。
駆け出そうとしていた体幹も乱れ、膝が地に着く。自分の筋力を把握しないで、後先考えずに重いものを持った……まではいいが、移動をしくじって荷物に負けた感覚が近い。
くそ、まだ!
「そこまでじゃな」
よく通る、聞き慣れた女の子の声が響いた。
「フィルミナ……」
「言うておらんかったが、制限時間は儂の下にカブトムシが戻って来るまでじゃ」
声の方に視線を向けると、オスのカブトムシが彼女の手に戻るところだった。この空き地を大きく旋回し、丁度飛び立った場所に戻ったのだろう。
もう一度!
そう言いたかったが、軽々しく言うことはできない。
何せこれは、彼女の貴重な力を消費して行っているのだ。自分が出来なかったからと言って、負けず嫌いに任せて要求するのは間違っている。
封印による——まるで『呪い』のような——副作用。子供の姿のままでいる以上、それは今も彼女を蝕んでいるに違いない。
「……セスよ。体調はどうじゃ?」
「え、体調?」
「うむ。体に倦怠感や痛みはあるかのう?」
なぜ急に体調のことを?
そう思いつつ、膝を付いた状態から立ち上がってみると……
「ん?」
全身に気怠さを感じた。
これは、確か……しろがねと戦って休んだ後あたりから感じていたものだ。気にするほどではないし、そのうち無くなるだろと無視していた。
実際湿原での一戦から目を覚ました後は、回復したと思っていたのに……再発している?
「どうじゃ?」
「あ、ああ。何となく身体に怠さがある。全身が重いというか……」
「そうか。ならばこの鍛錬はここまでじゃ」
……仕方ないとはいえ、何とも情けない。
懇切丁寧に指導してくれていたのに、任せてもらった湿原で死にかけた。血を分けて助けられ、それでも愛想を尽かさずにまた鍛錬してもらっているのに……それすら碌にこなせなかった。
「たわけ、何故お主がそのような顔をしておる。今回は儂の責任じゃ」
「えっ?」
訳も分からずに俯いていた視線を上げようとしたが、下から見上げてくる真紅の瞳とかち合う。それが収められた、幼くも妖艶に整った容貌が優しく緩んだ。
「安心せい。お主はすでにこの鍛錬を超えられる域に達しておる。今回は……下拵えが足りんかった、とでも言おうか」
言葉の意味は分かるけど、理解は出来ない。一体どういうことだろう?
「ほれ、付いて来るがよい」
そう言うとフィルミナは踵を返して歩いていく。
「あ、わかった」
頭の中が『?』で満たされつつも、小さな背中に歩みを合わせる。
歩いた先は木の根元、空き地のそこかしこにある何の変哲もない木だ。そこに腰を下ろしたフィルミナが、手で隣に座るように促してくる。
「ほれ、こちらに座るのじゃ」
「……」
言われた通りに、彼女の隣に腰を下ろす。
先程まで虫捕りをしていた空き地を見渡すことが出来た。中々に広く、運動をするには最適な場所だろう。
「セスよ。目を閉じ、呼吸を整えるのじゃ」
目を瞑り、視界に写った空き地を黒に閉ざす。
「身体の熱……いつも操血術で使っている力に集中するがよい」
吸血鬼になって二か月に届かない程度、だがすでに力——フィルミナ曰く血の力——を掴むことには慣れている。今では起き抜けだろうと、食事中だろうと、即座に対応できるという自負があった。
「掴んだなら、その熱を全身に巡るようにするのじゃ。身体の中心から外へ、手足を伝い、指先爪先へと。行き渡ったらまた体に戻るように……隅々まで循環させれば良い」
何に使うでもなく、ひたすらに身体を巡る様にすればいいのか?
規則正しく呼吸を繰り返しつつ、全身に血の力を循環させ続ける。黒い視界の中、何も考えずにそれを繰り返した。
体が熱い、そして……言葉で表すのが難しいが、力が漲るような感覚。
「……うむ。効果は出ているようじゃな」
隣に座っている、と思い込んでいた少女の声が真正面から響いた。
はっとして目を開けると、視界に写ったのは空き地ではなく、絶世の少女によって占められていた。未成熟さと妖しさの競演する容貌が覗き込んでいる。
宝石が霞むほどに綺麗な瞳に、面食らった自分が写っていた。
「えっ、あ……こ、効果?」
「うむ。しっかりと体が温まっているであろう? その汗が証拠じゃ」
見惚れたのを悟られないよう、辛うじて返した言葉に嬉しそうに答えるフィルミナ。彼女が細く滑らかな指でこちらの額あたりを指す。
「汗……うわっ」
彼女が指し示したまま、手の甲で額を拭ってみると……長距離マラソンを走破したかのように、汗がべっとりとついていた。
いや、額だけじゃない。全身にしっかりと汗が出ている。
今着ている服、ちゃんと洗濯しないとダメだな。
まず出て来るのがこれなあたり、つくづく自分の根底には家事が染みついていると思う。
「やはり儂の予想通りのようじゃな。セスよ、これから言うことを守って貰うぞ?」
「あ、ああ。何?」
「今日より一切の鍛錬を禁ずる」
全くの予想外の言葉に、間抜けにも口を開けることしか出来なかった。
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