駆け出した代償

 ……どうなった?

 俺は、気を失っていたのか?


 どうやらうつ伏せに寝ているようだ。

 顔の横側面から胸、腹と冷たい地面に当たって……いや、埋もれている。そういえば、ヤチマナコで足が埋まって……!


 一気に覚醒したまま、飛び起きようとするが……全身の骨が割れているかのような激痛!


 痛い!

「……あ、がぁ!」


 堪えようもなく情けない声が自然と漏れた。

 全身に脂汗が一気に噴き出す。



 落ち着け、「痛い」と泣いて叫んでもこれは引かない。何よりこれは、自業自得だ。

 呼吸を整え、心を落ち着かせ、走る痛みを飲み下す。


 冷静に……あの状況でも俺はまだ生きている。この痛みはその証拠と考えろ。

 全身の骨が割れたかのような激痛の次に、肩や胴に牙を突き立てられた痛みが走ってくるが、それも同じだ。



 静かに呼吸だけを繰り返し、僅かに動かした頭と瞳の動きだけで周囲の様子を探ると……あたりの風景が一変していた。

 深い緑の草木も、色とりどりの花も、茶と黒に焼け焦げて煙を上げている。物が焼ける独特の匂いもそこら中に満ちていた。

 湿った大地も抉られて穴だらけで、周囲の植物と同じように所々から煙が上がっている。



 なんだ、これ?



 痛みも大分マシになってきた。

 慎重に、身体になるべく負荷がかからないように、ゆっくりと確実に肘をついて上半身を起こす。

 抉れた地面と焦げた植物に混じり、何か大きなものが障害物かのように転がっている。もちろん、これも真っ黒に焼け焦げているが……



 これ、ワームじゃないか?



 そう自覚すると、はっきりと形を捉えることが出来た。

 騙し絵と同じで、一度それと気が付くとしっかりと本質が見えてくる。先程まで焦げた肉塊のような物体でしかなかったそれは、間違いなく自分の命を奪おうとしていた魔物……その一部だった。


 どうやら頭部らしい。

 生えそろった牙が並んでおり、八つある眼は蒸発している。


 周囲の環境、どころかこのワームすらも一掃する破壊力……何があったんだ?

 一帯が何か、凄まじい熱と衝撃に晒されたのだろう。

 辛うじて分かるのがその程度の物だった。


 そして……


 起き上がり、立ち上がる。

 手を着き、膝を立て、二足で立つという普段は気にも留めない動作。それを、慎重に慎重を期して行う。

 だが、それでも身体の節々やら筋肉が痛みを訴える。


 どうにか立ち上がれたが……歩けるかな?

 足を引きずるように、響く痛みが最低限になるように、どうにかこうにかといった具合に目指した方へと進めるが……


 遅い、木から降りたナマケモノより遅いかもしれない。


 視界に見えているワームの死骸、普段なら数歩で歩み寄れるだけの距離、それが万里に匹敵するかのように感じる。



 ……真っ黒焦げだな



 ようやく目の前まで来て、出てきた感想がそれだった。

 物が焦げる匂いの中、一際特徴的な香りが鼻に届いてくる。おそらく、これがワームの焼けた匂いなんだろう。

 おそるおそる、ワームだったものに手を伸ばし触れてみる。


 触れた部分がボロッ、と軽く崩れた。

 驚いて手を引っ込める。そして引っ込めた手を見ると、振れた指先に黒——炭が付いていた。

 見ると崩れた内部も漆黒、完全に炭化してしまっているようだ。



 ……動く気配はない、か。



 こうして近くに来ても、直接触れても何の反応もない。何が起きたかはさっぱりわからないが、どうにか自分は生き残れたようだ。


 周囲を改めて見回すと、そこかしこに同じような炭の塊が転がっている。

 大抵が衝撃で引き千切られているようだが、中には衝撃を免れたのか……そのまま黒焦げになったようなものもいた。



 首を落とさなきゃ死なないと思っていたけど、全身を丸焼きにしても死ぬんだな……いや、そりゃそうだろう。逆にそれで死なない生き物はなんだ?


 頭のなかで冷静なツッコミが入る。

 さらに、『生き物は全身を炭になるほどの熱を与えられたら、死ぬ』などという至極当然なことを、まるで豆知識であるかのように披露する文言が浮かんできた。

 だがどのみち、手持ちの装備でこの巨体を丸焼きには出来なかったし、湿地でそれだけの火力を出す方法にも心当たりはない。



 ……じゃあ、今あるこれは何なんだ?

 何が起こったんだ?



 この圧倒的な熱と衝撃によるであろう破壊力……自分には出来ない。というか、これが出来るならヤチマナコに嵌まって食い殺されるような、そんな無様な状況になる前に決着を付けられていただろう。


 ならば、こんなことを出来る者……心当たりから探る。


 湿地にも関わらず、複数の巨大ワームを炭にする大火力を行使できる……全力のフィルミナと龍帝しろがね、自分が知る限りはこの二人だ。



 フィルミナはないだろう。

 『呪い』のような封印の副作用によって、魔力やらの消費が異様に厳しくなっており、全盛期の力を発揮するのはほぼ不可能だ。

 しかも、ここに来るまでに操血術の固有能力——生命の精製——を使ってまで索敵してくれていた。

 とてもそんな余裕はないだろう。



 では、しろがねはどうだ?

 こちらもあり得ない。

 荒野で別れてから自分たちをずっと見守っているほど暇ではないだろう。龍の皇帝として、『龍仙境』とやらに帰っているはずだ。

 湿原でのことは知らなかったかもしれないが、大森林に行く資格があるかどうか腕試しもしたのだ。

 今は宿に置いているが、別れ際に餞別として刀も一振り貰っている。

 これで『実は心配で後をつけていた』など、笑い話にもならない。


 念のため空を見渡してみるが、雲一つない。

 西に太陽が傾き、東の空から宵が迫ってきている。

 暮れの薄明があった。



 じゃあ……全く未知の第三者?

 何の心当たりもメリットもないし、何よりこれはギルドや国でも手を焼いていた案件だ。そこに無断で首を突っ込んでくる人などいないだろう。

 何かするにしても、ギルドか国に一報入れるか依頼がなければわざわざ来ない。


 じゃあ、一体……まさか……



 その時、吸血鬼の鋭敏な聴覚が声を捉えた。



 心臓に湧いてきた感情、それのままにそちらに足を進める。

 相変わらず遅い、身体に痛みが走る、だがその苦痛を上回る歓喜と共に歩んでいく。


「……おーい! セス!」


 段々と、声が近くなってくる。

 足を進める。


「セス様! どちらですか!」


 聞きたかった声、みんなは大丈夫なのか?

 足を進める。


「セスっちー! 返事して欲しいっすー!」


 そうだ、俺はこの人たちを助けるために跳び出したんだ。

 足を進める。


「セスよ! 返事をするのじゃあ!」



「こ、こっちだあ! 俺は、ここだぁ!」

 みんな、揃っている。

 その事実でついに胸に満ちてきていた歓喜が声になって溢れ出した。叫ぶ時に響いた痛みも苦にならないくらいに嬉しい。


 足を進めつつ、思う。

 アランさん、レベッカ、ジャンナ、そして……フィルミナ。



「……こっちじゃ! セスの声がこっちから聞こえたのじゃ!」

 フィルミナの声だ、どうやら元気らしい。


「本当か! こっちだな!」

「セス様! すぐに参ります!」

「そうと決まれば、ダッシュっすよ!」


 みんなが、いる。

 自分の目の前にあった草木を掻き分けて出ると……



「セスよ! 無事か!」

「おお……てめぇ、勝手なことしやがって!」

「セス様ぁ! お怪我はありませんか!」

「いやいや! セスっち、ボロボロっすよ!」



 求めていた光景が、そこにあった。

 死ぬほど……いや、死んでも守りたかった大切な人たちが、こちらを見つけて駆けてきてくれている。


 みんな、無事なんだ。

 そう確かめられた瞬間、目頭が熱くなってきた。


 よかった。あの時に跳び出したから、この人たちを……迎えに来てくれる居場所を守れた。

 これなら何の後悔もない。






 ……そうだ、何の後悔もない。

 だからまた跳び出す、何度でも。






 もう欠片も残っていなかったはずの力、魂から捻りだすようにかき集めたそれで走り出す。

 もうこれが最後でいい、『操血術』で無理矢理に身体を動かしていく。


 一歩、全身の筋繊維が切れる。

 一歩、全身の骨に亀裂が入る。

 一歩、全身が鉛に変わったかのように重くなる。


 一歩……全身の血管が、破裂していくかのような感覚。



 それがどうした、後悔なんか微塵もない。



 なりふり構わずに強化したせいか、目に映る光景がコマ送りのように流れていった。



 まず初めに捕らえたのは、湿原から忍び寄る影だった。

 それには見覚えがあった。大きさも動きも、自分が対峙していたそれだからだ。


 それが、姿を現した。


 プリッとした、グロテスクな肉感をした深緑の巨体。

 頭頂部にある口とそこに生えそろった牙、申し訳程度にある小さな点のような八つの目、体に不釣り合いな三対六本の小さな足。


 特異種のワーム。


 俺は本当に馬鹿だ。ちゃんと7匹数えないで……全部黒焦げになっているか確かめないでどうするんだ。


 こちらから見て一番右、ジャンナと彼女に手を引かれたフィルミナに襲い掛かろうと湿地から飛び出してきたそいつが、忍び寄る影の正体だった。

 アランさんもレベッカも完全に油断していた。

 そもそも、影を捉えられたのは自分がみんなを見渡せる位置だったからだ。ほぼ並んで駆けていた中だ。二人がそれに気づかなかったのは、仕方ないともいえる。



 全身が弾け飛ぶような痛みの中、ジャンナがフィルミナを庇って抱いたのを見た。自らの背をワームに向けるようにしたのだ。



 大丈夫だ、ジャンナ。俺が絶対に助けるから!



 庇う女性と庇われる少女、それに襲い掛かろうとするワーム、躊躇なくその間に入り……ただでさえ弾け飛びそうな苦痛に晒されている身体に、さらなる衝撃が圧し掛かってくる。


 視界の半分が漆黒に染まる。

 それと同時に右目から何か鋭いものが入り込んでくる感触があった。肩や腹、腰辺りにも同様の感覚が走る。


 それがどうした。


 ワームの前に出していた右手から鈍い音が聞こえた。次いでさらに『ボキボキ、グチャッ』、と骨を砕きつつ咀嚼する音が鳴る。耳だけではなく、繋がっているため身体に響いてくるのだ。


 それがどうした。


 俺がやることは……やるべきことは……膝を付かないで、このまま立ち塞がり続けることだ。自分が折れると、その背に庇ったジャンナとフィルミナはどうなる?



 やれ、折れるな、右目が潰れようと右腕が挽肉になろうと……お前が、『セス・バールゼブル』が、やることには変わりない。

 盾になるだけでもいい、ワームそのものならアランさんとレベッカもいる。たった一匹なら二人でしっかりと対処してくれるはずだ。



 一度自ら死地に飛び込んだ、そしてその時に死ぬ覚悟をしていた。

 拾った命でジャンナとフィルミナを助けられるなら……俺が助かったのはこのためかもしれない。


 偶然か奇跡か……いや、間違いなく奇跡だ。

 ヤチマナコに嵌まり、食い殺されるだけだったはずが助かった。

 それもワームたちを返り討ちにした上でだ。


 もしもその奇跡を起こしたのが、自分だというのなら……このためだ。

 その代償を払うのが、今だ。


 暮れていく薄明の空——黄昏——の元で、自分の命が削れていくのを感じた。残った左の視界も黒に染まる中、一つだけ願う。



 奇跡の代償を払うだけ、だとしても……フィルミナを、泣かせたくないな……どうにか、生き延びれないかな……


 自分の往生際の悪さに、少し笑えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る