少年は暴発する
「悪いが明日の稽古は中止にしてくれ。その代わり、俺の弟子を紹介するからよ」
六日目の稽古終了後、アランさんがそう言ってきた。
すでに日は暮れ、お互いの姿や得物も見えにくくなっている。これ以上の実戦稽古は事故につながる可能性が高くなってしまう。
「連絡があったんですか?」
「おう、手紙が来てな。二人とも明日の夕方には着くそうだ」
どことなく、アランさんの表情が緩んでいる気がする。まあ、嬉しくないはずがないし当然か。
「そう言えば、どんなお方ですか?」
「二人ともお前と同じくらいの女の子だ。美人だが……Cランクで二つ名もある冒険者だ。スケベ心を持つのは止めとけよ?」
「はは……肝に銘じます。けどそうなると、仮登録からずっと冒険者をしてたってことですか?」
一般的に成人と認められるのは16歳、つまり冒険者として独り立ちできるのもその年からだ。
自分と同じくらいだとすると16~18歳ということになる。1年か2年でCランクの二つ名持ちの冒険者になるのは、奇跡の大天才じゃないと不可能だろう。
「……ああ、俺の後くっ付いて、仮登録からそこまで来ちまった。これでも小さい頃は、信用できる女性に面倒見てもらってたんだけどな」
「ひょっとして、娘さんですか?」
「そんなようなもんだ。ま、詳しいことは明日な!」
変わらないように見える笑顔、だが瞳の中には複雑な光があった。
「二人ともお疲れさん!」
「いい勝負だったな。明日は見られないのが残念だぜ」
「惜しかったねえ、セス君。奢りはまたの機会ね」
周りで見ていた人たちも、お弟子さんとアランさんの関係に触れようとしない。多分、本人以外が言うべきことじゃないんだろう。
「ご苦労じゃったな、セスよ。ほれ、水でも飲んでおくがよい」
いつの間にかそばに来てくれていたフィルミナ、彼女が持ってきてくれた水筒の中身を遠慮なく喉に流し込んでいった。
「……この後、儂の指導も受けるのか? 偶には休んでもいいのじゃぞ?」
自分達『鬼』にしか捉えられないくらいの声、気遣ってくれるのは素直に嬉しいが……出来るなら、少しでも多く鍛錬しておきたい。
最近、多少の気怠さを感じるが気にするほどじゃない。休んでいる時間は最小限にしなくては。
「俺は平気だよ。それとも、フィルミナはもう休みたい?」
「お主がそういうならば良い。ただし、手は抜かぬぞ?」
ニヤリ、と鋭い犬歯を見せて笑う彼女、それを見て思う。
どっちかというと、鍛錬よりも吸血の方がきついんだけどな。
そして翌日——自分たちがエコールに到着して七日目。
大図書館で書物を漁り終わった後、今日は空き地ではなく冒険者ギルドへと向かっていた。
「今日も収穫がなかったね」
「うむ……こうなるとしろがねから、『大森林』のことを聞いておいて正解じゃったの」
たしかに。
エコールの大図書館が完全に空振りになっても、次の心当たりがあるのは精神的にも助かる。
「だけど、その前に厄介な魔物がいるのが問題だね」
「それをどうにかするため、アラン殿らが動いておるのであろう? それに……お主もただ大人しく見ているつもりではあるまい」
流石に見切られてるか。
だが正攻法では、Dランクになったばかりの冒険者では相手にされない事態だ。それなら、特例や特別を認めてもらうしかない。
今日までの実戦稽古で出来る限りの経験を積んだ。そしてアランさんに力も見せてきたつもりだ。
街道の魔物討伐、それを率いるのはBランク冒険者であるアランさんである。彼に実力を認めてもらえれば、Dランクでも討伐に参加できるかもしれない。
あとは……アランさんのお弟子さんがどんな人か、ということか。
「しかし……美人の冒険者二人。お主、鼻の下を伸ばすでないぞ?」
「あのさ、流石に心外なんだけど」
なんでそんなことを言われるんだ。
少なくとも女性にだらしないということはないと思うし、彼女の前でそんな醜態を晒した覚えもない。
「そうかのう? 宿場町で助けた相手にデレデレしておったではないか」
思い出した瞬間、背筋に冷たいものが流れる。
夕焼け空のような赤い髪、それと相反するような青空の瞳、整った目鼻立ちにさらにクリっと丸い目が印象的な美人。
だけど、流石にあれはちょっと怖かった。
どうして初対面で様付けなんだ?
運命のお方ってなに?
わからない、けどそれ以上に怖かった。
あの有無を言わせない勢いはなんだったんだ?
「……なんか、すまなかったのう」
こちらの表情や顔色らを読み取ってくれたのか、フィルミナが素直に軽口を謝罪してくれた。
「いや、いいよ。次に会うことがあったら……もっと、その、冷静に対話できると思うし……」
うん、大丈夫だ。
そもそもまた会うなんて保証もないけど、ちゃんと次に会った時の想定も出来てるから大丈夫!
当然ながら頭で想定したこと、すべて実際に上手くいくということは絶対にない。
いやそれどころか、悲しいくらい想定通りにいかなかった事の方がずっと多いと思う。現実とは得てしてそんなものだろう。
自分の手をしっかりと握りしめる、ふんわりとした赤髪をショートに整えた女性を見てそう思う。
「ああ……ああ、セス様! 私は信じておりました! やはり私達は運命の赤い糸で繋がっているのですね!」
「えーと、まず、ですね……」
「はい、何もおっしゃらずとも結構です! まずは交換日記でしょうか? それとも……一足飛びにデートでしょうか? 私はどちらでも……」
やばい、話が通じない。
どうする? どうしよう。
『まずは落ち着いてください、運命とか言われても自分にはよくわかりません。とにかく、お互いのことを話しましょう?』
そうして冷静に対話していくはずだった。
だが頭で考えていたことと、今の状況は悲しいくらいに違う。相も変わらずの勢いに終始押されっぱなしになってしまっている。
というか交換日記とかデートとかってどういうことだ?
付き合ってすらいない、どころかまだお互いの名前くらいしか知らないし……お見合い開始1分程度の関係くらいしかないんだけど?
「セスよ、お主……ひょっとして宿場町で助ける前から、この娘と知り合いじゃったのか?」
フィルミナの言葉に、その可能性を考えて記憶を遡るが……
「……いや、全然」
全く思い当たることがない。
「いやですわ、セス様。私はあの時、あなた様に助けられました……その運命の時が最初の出会いです!」
片手を火照った頬に手を当て、うっとりと表情を蕩けさせる赤毛の女性——たしか、レベッカさん——とは反対に、こちらの頭はどんどん冷静になる。
ですよね。
だって俺フィルミナと旅立つまで、ほとんど村から出たことなかったもん。精々、神殿守になるために王都まで言ったくらいだし。
そりゃ村の外に知り合い……ましてや、好いて焦がれてくれる女性なんかいない。
「難儀なものじゃな。その……夕餉くらいは儂が奢ろうか?」
おい、やめろ。
その気の使われ方は逆に辛いんだぞ。
「まあ……可愛らしい娘ですね。セス様の妹様でしょうか?」
ずっとこちらを捉えていた空色の瞳をフィルミナの方に向け、レベッカさんがそう言った。
彼女からすれば悪意はないんだろうが……フィルミナからすれば、ちょっと面白くない発言だと思う。
「違う、儂の名はフィルミナ・テネブラリス。仮登録の補助者じゃ」
どうやら彼女も抑えてくれるようだ。
まあ、見た目が子供というだけで、本性は見眼麗しい大人の女性だ。疑うのは失礼だったかもしれない。
「こやつ……セス・バールゼブルの相方にして、生涯を共にするものじゃ」
やったな? やりやがったな、お前。
うん、間違いではないし現時点ではそう言っても何の間違いもないよ? けど言い方とか、それを言うタイミングとか、あるって思うんだよね。
「……なるほど、『相方』ですね? あくまでも『相方』のフィルミナ様ですね?」
怖いよ。
なんか、変なオーラの様なものが、レベッカさんの全身に漲って見えるのは気のせいだと思いたい。いや、気のせいということにする。
青空の瞳は見たものに、言いようもない威圧感と圧迫感を与える光が宿っていようとも、多分それらは何かの間違いだった。
そう片付けてしまうためにも、気のせいだったということにしてしまいたい。
「そうじゃ、セスと一緒の部屋に寝泊まりしておる唯一無二の『相方』じゃ」
お前ちょっと待て!
冗談だろ?
なんでこのタイミングでさらに被せるんだよ!
全くの事実なだけに本当に質が悪い!
「……」
ああ、もう駄目だ。
レベッカさんから出るオーラとも言えるものが、殺気のようなものに変化してきている。どうにか止めなければならないのだろうが……どうやって?
おれにはとてもできない。
「あ、あぁー! 一緒の部屋と言っても寝床は別っすよね! あくまで『相方』で『伴侶』とは別っす!」
助け舟!
この大時化のなかでそれを出してくれたのは、アランさんと同じテーブル——レベッカさんの隣——に着いていた、黒い三角帽子とローブを身に纏った女性である。
眼鏡の奥にある瞳は落ち着いたスモークグレー、同じ色をした髪を三つ編みにしている。
「ま、それはそうじゃ。誓い合った者以外とはそういったことは考えられん」
よし、持ち直した!
フィルミナも嘘を用いてまで煽るような発言はしない。ならば後ろ暗くない事実を言っていけばいいのだ。
レベッカさんの威圧感を固めたような、どす黒いオーラも収まってきている。
ありがとう。
知的で馴染みやすい雰囲気を出してくれている明灰色の女性、本当に感謝しかない!
あとで改めてお礼をしに行こう、と心に決める。
「……それでもセスの寝顔は見放題じゃ。役得と言っておこう」
フィルミナァァァァァァァァァ!
なんでだぁ! なんで鎮火しかけたところに油を注いだんだお前!
もう駄目だ、お終いだ。
レベッカさんのオーラのようなものが、先程とは比べ物にならないくらいに高ぶってきている。
どうして? どうしてこんなことに……
「いやいや、ただでさえ穏やかで整っておるが……眠って力が抜けるとさらに可憐になってのう。あれを知らぬ女子は損しておるなぁ」
おま、お前……本当に何がしたいんだ?
「ふ、ふふ……セス様? どちらの宿にお泊りでしょう?」
誰が言うか!
やばい展開だ、周囲の空気が質量を持ったかのように重いのがその証拠!
打つ手がない、浮かばない。
やばいやばいやばい。
誰かどうにか……
「なんだ、お前ら知り合いだったのか」
その言葉で割って入ってくれたのは共通の知り合いにして、この場を設けた人物——アラン・ウォルシュさん。
よし、このまま話題を流してしまわないと!
「ええ、まあ……宿場町でちょっと……今はとにかく、改めて自己紹介や今後のことを話しましょう?」
「ああ、そうだな。レベッカもセスの坊主達も、こっちに座って好きなもん頼め。俺の奢りだ」
よし、いい流れだ。
「……そうですわね」
乗り切った! 勝ったぞ!
肩から力が抜けるのを感じつつ、アランさんと助け船を出してくれた女性が座るテーブルに着く。
……座って気が付いたが、全身にしっとりと汗をかいていた。
適当に空いている椅子に座ったが……レベッカさんが自分の椅子を隣——俺をフィルミナと挟むような位置——に移動し、何食わぬ顔で席に着く。
「……あの、「どうかお気になさらず」
えぇ……全然乗り切れてなかった。
フィルミナに視線を向けても、軽く肩を竦めるだけで助けてくれる気はない様だ。「精々頑張るがよい」そう聞こえてきそうな薄笑みだけで返される。
お前……あれだけ煽っといてなんだそれ。
「はっはっはっ! 両手に花だな、羨ましいぞセスの坊主!」
何言ってんだ、こいつ。
辛うじて口から出るのは防げた。
だがいつ自分の発言が暴発してももうおかしくはない。
「あー、じゃあ全員揃ったところで改めて自己紹介と、今後のことを話すか……その前に……」
場を仕切るアランさんの視線がこちらを捉えた。
髪と同じ黒の瞳、戸惑うような曖昧な光が見えているが何だろう。もう好きに進めてくれ。俺はもう何も言えない。
「セスの坊主、これは確認なんだが……お前、こど……いや、幼い、じゃなくて……極端に若い、そんな女にしか興味がないとか、そんなんじゃないよな?」
「ふざけてんのか、あんた」
暴発、今度は完全に止めようもなく言葉として出た。
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