敗北と求職
ぐつぐつと煮えている鍋の中にあるそれ――白の不透明に浮かぶ各種野菜と鶏肉――を睨みつつ、昨夜の手合わせを思い出す。
伝説の龍帝しろがね様……いや、しろがねとの手合わせ。
自然、歯を食いしばる。
負けた、完膚なきまでに叩き伏せられた。
鬼としての膂力と操血術、それに頼って今までを切り抜けてきたような自分では、当然の結果だろう。そもそもの実戦は四度目、修練も三週間程度、それで伝説の龍帝に勝てる……いや、一矢報いれるほど世の中は甘くない。
伝説の龍帝と手合わせ?
お前は何様だ? 歴代最強の天才様か? 世界はお前の味方か?
都合よく奇跡が重なってどうにかなるとでも思っているのか?
分かっていた、つもりだった。
勝つつもりでやったとはいえ、それは自分の弱さを自覚して強くなるため……勝てないだろうとわかってはいた。
だが自分も男だ。プライドがある。
俺はあそこまで完敗し、悔しさを誤魔化せるほど老成出来ていない。
塩と胡椒での調整は終わっている。
あとは……下拵えしたブロッコリーを加え、白ワインとバターでさらに味を調えていく。
……鬼の筋力や五感、吸血鬼としての操血術、それだけじゃ足りない。
もしも同じくらいの力を持つ敵と出会えば、負けるのは経験の浅い自分の方だ。そこを補う『何か』が要る。
鍛錬は当然続ける。その上で魔物やはぐれ龍の討伐依頼で経験を積んでいく。
それは当然だ。
だが、足りない。
そもそも龍帝しろがねは、現時点で自分とは比べ物にならない経験を積んでいるのだ。数年、十数年という生易しい物ではない。
比喩も誇張もなしに、少なくとも300年以上の開きはある。
それを埋めなくてはならない。
フィルミナを……鬼の姫を守り、決して孤独にしないでそばにいるとする。
同じ時代に生きた龍帝をも想定しなくて、そんな大願を持てるものか。
普通に考えれば無理だ。すでに経過した時間を埋めることなんてできない。
じゃあ普通じゃない、または普通と違った考えをしなければならない。
自分が普通じゃないところ……恩恵『半減』。
……駄目だ。
これしか浮かばないが、これじゃあどうにもならない。
……よし、このくらいだろう。
二皿にそれぞれよそい、食卓に持っていく。
もちろんどちらも大盛りだ。
とにかく、空腹を満たそう。
腹が減っているといいアイディアが浮かばないばかりか、マイナスの方へ際限なく思考が向かってしまう。
「うむ、それがお主の得意料理か」
既に席に着いていた彼女、フィルミナの前にシチューが入った大皿を差しだす。
「うん、悪くないはずだよ?」
もう片方の大皿を向かい合う空席に置き、自分がそこに座る。
今いるのは『学術都市エコール』にある宿屋、そこの食堂だった。
1~4人程度で囲む食卓テーブル、シチューの他に切り分けられたパンをたっぷりと用意してある。さらにトマトを加えたリーフサラダも付けた。
早朝、夜明けからそう時間が経っていないため、他の宿泊客もまだ夢の中なのだろう。事実上、食堂を貸し切り状態で使っている。
「そこを疑ってなどおらん。ただ楽しみなだけじゃ」
「はは、期待を裏切らないといいな。じゃあ……」
「「いただきます」」
フィルミナから教えてもらった言葉、食材とそれを食べられることに感謝を告げるものらしい。
「……うむ! やはりお主の料理は美味じゃ!」
シチューを付けたパンを食べ、屈託のない笑顔でフィルミナが答えてくれる。綻ばせた頬が微かに朱色に染まっているのが可愛い。
「よかった。こんなものでよければ、いつでも作るよ」
思わずこちらの表情も緩んだ。
誰かと食卓を囲み、「美味しい」といって食べる。それがどれだけ幸福なことかを噛みしめる。
少し、胸に満たされた不甲斐なさと悔しさが紛れる気がした。
「本当に、最低限の物で……最初からこうだった、わけではなかろう?」
「もちろん、最初は失敗したよ。失敗も成功もして、色々と試していっただけ……」
鮮烈な閃光が頭を駆け巡る。
「うむ、努力に裏打ちされた味ということか! 納得じゃ!」
緩み切った表情で、シチューにパン、時折サラダと次から次へと料理を食べていくフィルミナ。
自分も作った料理を食べつつ、思う。
試してみる価値はある、と。
早朝、一日が始まる前の時間……宿の厨房を借りて作った料理を二人で食べる。
しろがねとの手合わせに負けた後、目を覚ますとフィルミナに膝枕をしてもらっていた。
世話をかけてしまったことを申し訳なく思ったが、「眷属の面倒くらいいくらでもみよう」と笑って許してくれたのだ。
見た目こそ少女だが、本当の姿は妖艶な美女……すぐにそのことを思い出してしまい、嬉しくも恥ずかしいような気持ちが溢れてきた。
目の前で言い訳出来ないほど完敗したこと、そして気を失ってからずっと膝枕をしてもらっていたこと……
そんな男が彼女を助けて守ると、身の程知らずな願いを抱いていたこと。
それらを誤魔化すように、すぐさま荒野を走り抜けここ――『学術都市エコール』――に辿り着いた。
時間は早朝、店はまだ開かずに個人売買が集まった朝市が開くかどうかという時間だ。
とにかく開き始めたばかりの宿を取り、厨房を借りて朝食を作ったのだ。流石に早朝からの飛び入り、しかもすぐさま食事を要求するのは傲慢と言わざるを得ない。
買い込んでいた分と朝一で揃えた食材を自分たちで調理し、こうして宿の食堂で朝食にしているわけだ。
「しろがねは副作用を解くなら、『大森林』に行けって言ったんだよね?」
「うむ、『解ける』とは言っておらんかったな。ただ、何か手掛かり……または有用な薬草でもあるのかもしれぬ。しかし手合わせの結果から言ったことじゃ。相応の危険はあると覚悟しておいた方が良い」
「そっか、ここで調べ物の手間が省けたのは嬉しいけど……」
「何!」
何気なく確認した今後の目的地と行程、それを聞いてフィルミナが椅子を飛ばして立ち上がった。
「もしや、大図書館とやらに行かぬつもりか!」
「あ、えーと……明確に目的地がわかったならそれでいいかもと……」
フィルミナの勢いに押される。
なんだろう?
副作用を解けるなら早い方がいいと思ったからそう言ったんだけど……あ、そう言えばフィルミナの趣味は……
「……だけど他にもいろいろ調べたいし、寄ろうか」
その言葉を聞いてフィルミナの方から力が抜けた。さっきまでの迫力も消える。
「そうであろう。情報は取得しておくに限るからのう」
飛ばした椅子を直し、座り直して再び食事に戻るフィルミナ。
そういえば、彼女の趣味の一つは読書だった。アモルでもよく本を買っていたな。
内心、大図書館のことを聞いて楽しみにしていたのかもしれない。
そう思うとちょっと微笑ましい。
「して、いつ頃行くのじゃ? やはり一休みしてからであろう?」
「すぐにでもいいよって言いたいけど、大図書館の前に行くところがあるんだ」
「それはどこじゃ?」
大図書館は特に制限なく開放しているがそれは一部だけだ。より多くの資料を閲覧するには、しっかりとした身分が必要となる。
「冒険者ギルドだよ」
そう、まずは自分たちの身分を成立させなくてはならない。
アモルではグレンさん達のご厚意に甘えていたが、本来なら今の自分たちは『いないはずの人物』と言ってもいい。それでは今後の旅にも支障を来すだろう。
「成程。書物で軽く読んだだけじゃが、『冒険者』ならば儂らにピッタリの身分であろう」
「なら話は早いね。これを食べ終わったら……」
「ひと眠りして休むのじゃ」
変わらずに食事を続けつつ、だがしっかりとした口調でフィルミナが言った。
「前に言ったであろう? 鬼も『食事』と『睡眠』による回復は重要……本当なら荒野で野宿してきた方が良かったくらいじゃ」
「たしかにそう聞いたけど、冒険者登録くらいなら俺だけで……」
静かに、シチューを掬っていたスプーンを置き、
「や・す・む・の・じゃ」
真紅の瞳に有無を言わさない光が宿っている。
「わ、わかった。部屋で一休憩……」
「ね・る・の・じゃ」
「あ、はい」
さっきの『大図書館に行かないかも』と言われた時とは、比べ物にならない迫力と威圧感。
最早「はい」としか答えられなくなった。
「それでよい。お主は放っておくと倒れるまで動き続けそうじゃ」
それに満足したのか、迫力と威圧感が嘘のように消えた。
すでに食事に戻っている。
「フィルミナ……心配してくれてありがとう」
「儂だって、ベッドと布団で寝たかったからのう」
彼女の頬、それが朱色に染まっていたことは黙っておいた。
朝食をとりシャワーで汗と砂を流す。その後また寝るという、事情を知らない人からしたら呆れられそうな生活。
しかも驚いたことに……目を覚ましたのは翌日の朝である。
「まさか……一日中眠り続けるなんて……」
そう、仮眠のつもりが就寝となってしまった。満腹感と疲労感に身を任せてベッドに入ったところまでは覚えている。
その後、確かな安息感と空腹感で目を覚ますと、あたりが薄暗かった。
しまった。少しのつもりが夜まで寝てしまったか? と思ったがそうではない。
カーテンを軽く手で退けて窓の外を見ると、日が昇るところだったのだ。日が沈むところではない。
驚いてもう一つのベッドを見ると、フィルミナがしっかりと眠っていた。
起こさなくてよかったと思う。
「あれだけ死力を尽くせばそうもなろう。儂の言うことを聞いておいてよかったであろう?」
隣を歩く少女、フィルミナが得意げにそう言う。
「全くもってその通りです」という他ない。
何せあれだけ寝て休んだというのに、まだ少し体に怠さのようなものが残っているのだ。
いや、これは単に寝過ぎただけかな?
一日予定がズレたがやることは変わりない。
今は冒険者ギルドへの前に来ていた。
「じゃあ登録に行くけど、かなり目立つと思う。フィルミナは大丈夫?」
「任せて置くがよい。しかしお主、そのままで行くのか?」
フィルミナの視線の先には、俺が腰から下げた剣――刀――があった。手合わせのあとに龍帝しろがねから手渡されたものらしい。
細身で軽く弧を描いた刃が黒塗りの鞘に収まっている。持ち手もあまり見ない模様をあしらった異国の――極東独自の製法で作られた――剣で、切れ味と強度を高度なレベルで両立したものらしい。
素人の自分でも、見事な業物と分かる名剣……いや、名刀だ。
「うん、使うつもりはないから」
「まあ、お主がそういうなら何も言わん」
フィルミナから渡される時、「しろがねが『使うも売るも好きにしろ』と言っておった。お主に任せる」と言われたことを思い出す。
じゃあ好きにしてやろう、俺はこれを使わない。
その上でいつか突っ返してやる。
包帯で柄と鞘をグルグル巻きにして封じたままで叩き返す。
その時には、きつい一発のおまけ付きでだ。
あんなボロボロに負けといて、さらにそいつが残していったものに頼ってたまるか。
まあ……子供の負けず嫌い、ただの強情だ。
そして、冒険者ギルドの扉を開けた。
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