幕間
宿場町の女子会
目の前に迫る死。
それは堅い黄土色の甲に覆われた——シールドドラゴンと呼ばれる——龍。
巨大な白龍が空を通り、それに驚いた魔物やはぐれ龍が泊まっていた宿場町に押し寄せました。警備軍の方々だけではなく、私たち冒険者も力を合わせて戦いましたが……ここまでですか。
はぐれ龍……目の前のシールドドラゴンだけではなく、ワイバーンも二体。
他の方々はそちらで手一杯、私の相方も離れられないでしょう。
師からの連絡を受けとり、故郷に帰る途中にこんなことに巻き込まれるだなんて……酷い運命です。もし、一日でも早く出発して居たら……いえ、それはそれで後悔します。
私たちなしだと、このはぐれ龍どころか先の魔物の群れですら死者が出たでしょうから。
私に死を与えようと、鋭い爪を振りかぶる黄土色の龍。
死にたくありません、私は……
刹那、一陣の影が躍り出ました。
迫っていた死の影、それを打ち払うかのような一撃。さらに力を込めて三連撃。それを受けた龍があっけなく倒れ伏しました。
まるで私を……守るために駆けつけてくれたかのよう。
気が付くと、高揚と共に鼓動が激しくなっていました。
高鳴りとともに、全身を温めるかのように。
迫る死の影を打ち払った戦槌、それを何処かへ仕舞ったお方。
後ろ姿だけですが、それでも分かります……すっきりとした細身のお身体、手足が長く均整がとれた背丈。
ネイビーよりも濃いインクブルーを主体としたジャケット、それのフードを被っています。
ありがとうございます、あなた様は?
そう問いかける前に、あなた様は振り向いてくださいました。
フードの中にあったのは、穏やかで整った……戦場には到底似つかわしくない柔和な容貌。純白の髪は雲よりも白く、ルビーよりも赤い瞳は優しい光を携え……
ああ……そうなのですね?
これが、運命なのですね!
「怪我はありませんか?」
私を安心させるかのように微笑みつつ、
「立てますか?」
手を指し伸ばしてくださる。
この方が……私の運命のお方!
「ああ……セス様、あなたは何処へ」
今はそばにいない運命のお方。
今日あのように出会ってから、私の胸を満たすのはあなた様。こうして宿で夜食の後のひと時も例外ではありません。
「セス・バールゼブルさんっすかぁ……何者なんすかねえ?」
テーブルの反対から私の唯一無二の親友にして相方、ジャンナが呟きました。しかしその答えは決まっています。
「私の運命のお方です!」
「あっ、そうじゃないっす。はぐれ龍三体を瞬殺出来るのに、冒険者でも軍人でもないって、何者なんだろうなーって……」
「たしかに……」
はぐれ龍を一掃して、一陣の風のように去ってしまったあのお方……その場の後始末をした後に聞いてみても、誰も存じ上げませんでした。
ギルドで冒険者としても登録されておらず、警備軍でもそのような方はいないと、ですが問題ありません。
「でも、きっとまた巡り合えます。その時にお聞きしましょう」
「あれ? なんか心当たりがあるんすか?」
眼鏡のレンズの奥、スモークグレーの瞳で半信半疑を表していますが……自信を持って言えます。
「私の運命のお方ですから!」
「あっ、はい。そうっすね」
ジャンナが頬杖をついて、瞳と同じ色の三つ編みを軽く弄り出しました。
なんでしょう……時々彼女はこんな反応と表情を見せます。
「あーりゃりゃ、『赤毛の処刑人』レベッカ・キャンベルもこうなっちゃ形無しだね」
苦笑気味に声をかけてきたのは、ここに泊まるうちに仲良くなった女将さんでした。なんでしょう……女将さんの表情もどことなくジャンナと同じような……
「全く……今まで袖にされた男共が可愛そうっすね」
「あら、あなたがそれを言いますか?」
「そいつらの自業自得っすよ。顔見ないで胸見てくる人しかいないっすから」
ため息交じりに、彼女がそういって胸を突き出しますが……本当に『丸いお山』といった立派なものが強調されます。同性として羨ましいと思う反面、動きにくいだろうな、と現実的な声も聞こえてくるようです。
「やれやれ、あたしもあと二十年若ければ張り合えたんだろうけどね……」
三人、顔を見合わせて誰ともなく、自然に吹き出してしまいました。
「それにしてもさ、そんなに男前だったのかい? その『運命のお方』って」
その言葉、私は全力で肯定いたします!
「はい、それはもう! 青空に浮かぶ雲より白い髪、ルビーよりも鮮やかな真紅の瞳、柔和で整ったお顔、スラリッと伸びた手足と均整の取れた身体……」
「あ、やばいっす」
何か聞こえたようですが些事、ここはセス様のことを優先しなくては!
「なによりも! あの状況で迷いなく飛び出してくる勇気と優しさ! そしてはぐれ龍三体を一掃する強さ! それを鼻に掛けずに去ってしまう気高さと爽やかさ! さらに……」
「へぇ、話には聞いてたけど本当なんだねぇ。後から来て一気に片付けて、何も言わないで去っていっちゃった、ていうの」
「そうそう! そうなんすよ! あたしもお礼を言いたかったっすけどねー……」
話を遮られてしまいました。
あのお方、セス様の素晴らしさでしたらあと30分は語れますのに……
「あたしも一度見てみたいもんだねぇ」
「自分も顔くらい見たかったっすね。ウチらの業界じゃいないタイプっすもん」
そうです!
見返りも何も要求せずに、事件を片付けて颯爽と立ち去ってしまう高潔さ!
ですがそのせいで、あなたに今回の謝礼金をお渡ししようとしたのに……どうにもならないだなんて、歯痒いです。
「あー、冒険者には少ないかもねぇ。そういう男性」
「欲心的な人や豪快な人は掃いて捨てるほどいるんすけどね……寡欲で瀟洒な男性なんて、ほとんどいないっすから」
実感のこもったジャンナの言葉、本当に同意します。
しつこいだけならまだしも、中には金品や宝石をちらつかせるような手合いまでいるくらいです。
しかもそれで要求するのが、一夜だったりする時なんて……何度殺意を抑えることになったかわかりません。
「しかも顔まで穏やかで整っているなんて、マジ絶滅危惧種っすね」
「顔は心を映す鏡っていうしねぇ……」
ええ! ええ! そうでしょうとも!
セス様のお心、それを映したからこそのあの柔和で誠実なお顔なのでしょう!
「そうだったら、冒険者に『これからなる』可能性すらほぼなくなるっすね。そんな人が好んでこんな業界に来るわけないっすから」
大きなため息をしつつ、手を後ろ頭に当てて椅子に寄り掛かるジャンナ。彼女の半身を一気に支えることになった、椅子の背もたれが微かに音を立てました。
「ジャンナちゃんは詳しく調べなかったのかい? その人のこと」
「調べるも何も……今日は襲撃事件のことで一杯一杯っすよ。ギルドや軍に聞いたのだって、合間にどうにかっすからね」
「そうでした。あなたも今日の戦闘で疲れてたのに、ありがとうございます。ここの夜食分は私が持ちます」
あのお方のことで、他のことが盲目になってはいけません。
いくらセス様とは運命で結ばれているとはいえ、流石に何もしないのは罪です。調査が得意なジャンナに頼んで出来る限り動いてもらっていたのでした。
それを聞いた彼女はパッと笑顔に変わりました。
「いやいや、あたしも気になってたんでどのみち調べてたっすよ。明日は他の宿とか、定期船の船乗りさんにも聞いてみるつもりっす」
「平気かい? ただでさえ今回の件で疲れてるし、事後処理もまだまだあるんだろ?」
「興味本位なんで、無理ない範囲でやるから平気っすよ」
笑顔のまま、片手をひらひらとするジャンナを見て、私は本当に良い相方と巡り合えたと実感できます。
しかし、それだけにちょっと気になります。
「およ? どうしたっすか?」
いけない、ついついジャンナを睨みつけるようにしていました。
「ははーん、これはあれだね。調べるうちにジャンナちゃんも、その運命のお方に惚れちゃったらどうしようって思ってるんだね」
なんて鋭さでしょう。
一瞬の間。
「う、うええぇぇ! あたしは、そんなんじゃないっすよ!」
ジャンナが背もたれから一気に離れ、テーブルに乗り出すようにして否定しました。
「『今は』でしょ? 調べて行くうちにどんどん気になって……出会って話してみるとずっと素敵で……なーんてことだってあり得るさ!」
「ちが、ないっすからね!」
真っ赤になって両手を振って否定するジャンナ。可愛いと思いますけど、本当にそうなってしまうとやはり複雑な気持ちです。
「あたしは、その、そもそもそういうのわからないっすから! てか、師匠以外の男性の手すら握ったことないっすから!」
どんどん真っ赤になって、訳の分からない否定を繰り返してますが……というより、私もセス様に出会うまでそうだったのですけど……
「ありゃりゃ、こりゃ『紫煙の魔女』に春が訪れるのは大分先みたいだね」
女将さんが『やれやれ』と言わんばかりに、額に手を当てます。
「ジャンナが好きになってしまっても、仕方ありません。それくらいセス様は素敵でしたから」
未だに真っ赤になっているジャンナを見て、私にも少しの悪戯心が湧いてきてしまいました。
「う、うえぇぇぇぇぇぇぇ! レベっち、何言って……そ、そ、そんな……」
私の幼馴染にして相方、『紫煙の魔女』の二つ名を冠するCランク冒険者、ジャンナ・エヴリーの滅多に見れない姿を見るのは……正直に言って快感に近いものがあります。
「……くすっ」
ですが、限界です。
もう笑いをこらえきれません。
「くっ……あっはっはっはっはっは! いいねぇ、あたしの若い時を思い出したよ!」
女将さんも限界だったようで、大笑いしました。
「……あ、あぁー! あたしのことからかって遊んだっすね!」
「たまにはいいでしょう? それに、ちゃんと夜食の代金は受け持つから許してください?」
「いいや、それは叶わないねぇ」
女将さんが、食べ終わった食器を片しながらそう言います。
「あんたらだって、ここを救ってくれた恩人さ。夜食も事後処理が終わるまでの宿泊料も、まとめてあたしが奢るからさ」
その言葉とウィンクを残し、食器を持って厨房に帰っていきました。
セス様、会って改めてお話をしたいです。
あなたのことを知り、私のことを知ってもらいたいです。
私は……こんなにも人に恵まれています。
あなたはどうでしょう?
どのような方と過ごしておられますか?
それとも……
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