金欠邂逅と踏みつけ
運良く町のすぐそばまで来ることが出来た。
誰の目にも付いていないし、入口に近いが人目に付きにくい場所も見つけられた。
だが……ここで大きな問題に直面する。
「ふむ……」
自分の正面に腰を下ろした少女、フィルミナがそう呟いた。相も変わらずに長い黒髪と白い肌、真紅の瞳が美しい。
容姿も恐ろしく整っているが、今はその眉間に皺が寄って困惑の色に染まっていた。
「……参ったな」
恐らく俺の眉間も同じように皺が寄っているだろう。
その原因は、お互いの間に広げられたそれ……現金にあった。
「儂はまだ今の金銭に明るくないのじゃが……これは少ない、のか?」
「ああ、少ない」
フィルミナの問いに一言で答える。
神殿守の仕事を終えて、着の身そのままでここに来たのだ。金など必要最低限しか持ち歩いていなかった。
当然、今日まで必死に貯めていた分を持ってくる猶予などなかったわけで……
「お主の服も買えぬか?」
「いや、服だけなら何とか……」
服だけなら何とか、値切って買えるかも。というくらいの額しかない。
どこをどうしようと今日の食事代に宿代、その他諸々は捻出できそうにない。これから稼いでいくにせよ、当面の資金が足りなすぎる。
「ならば、まずはお主の服を整えるしかないのう。お主が街を歩けないと始まらん」
「……」
無言でフィルミナを見る。
「儂は無一文じゃし、お使いくらいは儂が請け負うぞ……なんじゃ? その目は」
「いや……」
フィルミナを、資金を挟んで正面にいる少女――自分の背丈の腰か腹辺りまでしかない――を見る。
「お主……儂が姫だから箱入りで、そんなことを出来んと思っておらんか?」
「うん、それ以前だ」
この際、金銭がまだイマイチ把握できていないという部分には目を瞑ろう。というより、今教えて最低限を憶えてもらえばいいだけだ。
「なんじゃと!」
「当たり前だろ! どう考えても迷子と思われて終わりだ!」
そう、フィルミナはどう見ても少女でしかない。如何に妖艶な雰囲気を持ち合わせていても、その体躯はどうしようもないのだ。
見た目だけだと精々10歳に届くか届かないか、といったところか。
そんな娘が一人で街中の雑踏を歩いていたら、迷子として警備軍に連れて行かれるのがオチだ。
手持ちの金銭を活かす手段がない、金銭そのものも不足、せめてどちらかがあれば……
「むう……仕方あるまい。セスよ、こっちに来るのじゃ」
「?」
疑問には思ったが、疑っても断ってもどうにもならない。
とにかく言われた通りに隣に座る。
「そうじゃ、そのままじゃ」
フィルミナが立ち上がる。だが、その視線は座った自分とそう変わらないところにある。
やはりどう見ても少女と幼女の中間、という年齢にしか見えない。
「ふむ……」
真紅の視線を合わせてくる。それの美しさだけでも気圧されるのに、顔立ちも恐ろしいほどに整っている。
目の前で見ても、どうすればこの妖しさと幼さを両立させられるのか、わからないほどに。
そのフィルミナの顔が一気に近づいてきた。
「動くでない、そのままじゃ」
肩に置かれた手には全く力が入っていない。
にもかかわらず、その言葉だけで動けなくなってしまった。
そのまま……フィルミナが俺の首筋に噛みついた。
ブツリ、と自分の皮膚が貫かれる感覚。
「ちょっと! フィルミナ!」
次いでそこから一気に、何か大切なものが抜けていく感覚があった。こちらの視界が暗くなってきた頃になって、フィルミナが俺の首筋から離れる。
「……ふぅ、ご馳走様じゃな」
そう言って舌なめずりをした。真っ赤な舌がまた扇情的に映る。
「急になにすんだ!」と抗議したかったが、出来なかった。ふらつく頭と暗くなってくる視界によって、横になるしかなかったからだ。
「まあ、見ているがよい」
そう言ったフィルミナの姿が、一瞬にして闇に包まれた。
自分でもどう言えばわからないが、そうとしか表現できないことが起きたのだ。今までそこにいた少女が、暗幕のような闇に包まれた。
そして、その暗幕がまた一瞬のうちに消え去ると……
「どうじゃ? これが儂の本当の姿じゃ」
そこには今までの少女は居なかった。
艶やかな黒髪と白磁の肌、それには変わりなかった。だがそれを持つ者は全く違う姿をしていた。
スラリと伸びた手足、凹凸をこれでもかと強調するかのような女性的な肢体、顔のラインや目元も子供らしさがなく恐ろしいほどに整っている。
「フィルミナ・リュンヌ・ヴィ・テネブラリス、これこそが鬼の姫じゃ」
妖艶で美しい……いや、妖しいまでに美しい妙齢の女性が名乗った。
……フィルミナ、なのか?
さっきまでの、腰を下ろした自分とほぼ同じ目線だった少女とは似ても似つかない。
だが身に着けている衣服――黒を基調として赤いフリルを飾った大人っぽいワンピース――にも、変わりがない。
「ふっ……驚いておるようじゃの。そもそも先程までの姿がおかしかったのじゃ」
こちらの呆気にとられた反応に満足したのか、フィルミナ……と思われる女性が得意げに語り出した。
「儂とて吸血鬼にして鬼の姫……あのような姿では示しがつかぬ」
語り出したが……彼女の話など全く耳に入っていない。
それよりも、さらに衝撃的なものが俺の目に入ってきていた。
「これならば買い物も出来るし、お主も文句あるまい。それとも、これ以上の強欲を犯すか?」
フィルミナが身に着けているのはワンピースだ。
彼女の背丈や体型に合わせてサイズが変化する物らしい。そうでなくては手足の長さはもちろん、何よりもそのふくよかな胸を収めつつ締まったウェストにピッタリ合わせるなど不可能だ。
そう推察しつつも、しっかりと『それ』に目を奪われている。
「出過ぎた欲は身を亡ぼすぞ? なに、今は一時的でも儂の力が完全に回復すれば、常にこの姿を拝める。そうしたければ精進するがよい」
いくら背丈に合わせられる衣服であろうと、所詮ワンピースである。そして俺は地に臥せっている。
詰まるところ、俺は地べたに寝そべっているが彼女はその前にいる。そして、ワンピースはひらひらとしたスカートなわけである。
『お召しになっている物は黒が基調ですが、履いているものは黒一色なのですね』
その言葉を堪える。
「なにせ、『月すら霞む至宝』とまで称えられた儂の美貌じゃ。お主が努力し続ける価値はあるじゃろう」
スラリと伸びた足、程よく肉が付いた腿、そこから黒い三角形に繋がっている。
端的に言えばそうだ。
見続けてるのがバレたら不味いことになるのだが、それでも目を反らせず凝視してしまう。
「お主、聞いておるの、か……」
瞬間、フィルミナの顔が一気に紅潮した。
あっ、ヤベ、バレた。
「貴様ぁ!」
気合い一閃!
ズンッ! と自分の頭に足が振り下ろされた!
痛ったぁああああああ! 目ぇ! 目がぁあああああああああ!
両目あたりを踏まれたぁ! すっげえ痛ぇ!
ふらつく頭にさらに衝撃を受けて悶えるしかない。
「わ、わ、儂の姿に見惚れて居ったかと思えば……よりによって! し、下着を覗くとは……このエロ餓鬼め!」
もはや耳まで真っ赤になってスカートを抑えるフィルミナが怒鳴る。そして聞き捨てならないことを言った!
「エ、エロガキってなんだよ! 俺が全部悪いのか!」
「そう……」
そこでフィルミナの言葉が途切れる。
暗幕のような闇に覆われたかと思うと、次の瞬間……
「……え? な、なんでじゃあ!」
妖艶な美女は消え、華奢な少女がそこにいた。
「ど、どういうことじゃ! しばらくはあの姿のままでいられるはず……封印の副作用か?」
少女に戻ったフィルミナが、わなわなと震えている。頭の中は混乱に満ちているようだ。反対にこちらの頭は急速に冷静になってきた。
「……それじゃあ一発芸にしかならないな」
「むぐっ! エロ餓鬼めぇ……」
キッとこちらを睨みつけてくるが、怖くもなんともない。肩が震えているし、ちょっと涙目だし、未だに頬も赤みを浴びているせいか。
「エロガキって……あれは不可抗力だろ? そもそも俺が地べたにこうしてるのも、フィルミナのせいだし、考えようによってはそっちが露出狂と……」
「許さんぞ貴様ぁ!」
飛び掛かかってきたかと思えば、両手で思いっきり頬をつねり上げてきた!
「ひてててててて!」
「儂に対してそのような無礼な言葉! いくら眷属とは言え絶対に許さん!」
「ひゃめろ! ふぃうひは!」
「止めん! 先の発言は万死に値する!」
「おふぃふへ!」
「やかましいわ!」
ぎりぎりと両頬が鈍い痛みに晒され続ける。
決して強い力ではない。それどころか見た目相応の少女の力だが、今の自分が振り払うのは難しい。
貧血による眩暈やら脱力感がしっかりと圧し掛かっているからだ。
「ふぃうひはぁ……」
なおも「むぅぅぅぅぅぅ……」と唸りながら抓ってくるフィルミナ、相変わらず涙目のままで、頬の赤みも取れる気配がない。
そんな彼女に、これまでの妖しく大人びた雰囲気は全くなかった。
もう気が済むまでやらせておくしかないか……と半ばあきらめたその時、
「……ふふっ」
笑い声が聞こえた。
気のせいかと思ったが、フィルミナの手から力が抜けたのでそうではないようだ。声が聞こえた方に目を向けると、初老の女性がいた。
「ああ、ごめんなさいね。覗くつもりはなかったの。ただ、とても楽しそうな声が聞こえてきたから……」
そう言って口元に手を当て、上品な笑顔を浮かべた。
白髪混じりの長い髪、笑顔がなくても優しそうな顔つきをしている。年のころは……テオドール先生よりは若い、40歳くらいだろうか?
「えっと、お騒がせしてすみません。ちょっと連れと、意見の衝突がありまして……」
とりあえずは適当にはぐらかそうとしてみる。まさかこうなった経緯を一から説明するわけにはいかない。
「あなたたち、この辺りの子じゃないわね。ここには来たばかり?」
「はい、それで今後のことでちょっと……」
女性の視線がこちらやフィルミナ、そして広げられた現金、と移動した後に改めてこちら――正確には俺の服――に向くと目を見開いた。
……しまった! どうにか泥とかで汚れたってことにして誤魔化せるか?
「……そう、あなたたちも『血の落日』で苦労したのね」
「血の、落日? それは……」
そこまで口から出て、思い当たることがあった。
昨日の夕焼け、太陽が血を流したように真っ赤に染まっていた。そして、あの後から自分の人生が大きく変わったのだ。
「昨日の真っ赤な夕焼けのことよ。あれ以来、魔物や龍が凶暴化して各地で被害が出たらしいの」
頭をぶん殴られたような衝撃が走る。
村に魔物――グレンデル――が入り込んだのは、偶然や結界の不備じゃなかった?
やはりあれは……何か大きな予兆だったのか?
「ここは王都のすぐ近くだったから、救援が早かったけど……離れていた村とかは酷かったそうね」
自分の村のことを思い出して、胸が痛んだ。
あれ以外の魔物は入り込んでいないだろうか?
俺のことで変に話がこじれていないだろうか?
……俺は、どう思われているだろうか?
考え始めると不安は尽きない。
「あなたたち、私の家に来ないかしら?」
「えっ?」
思わず耳を疑った。
だが女性の表情から、嘘や揶揄いといった感情は微塵も見えない。
「ここに来れたけど困ってるんでしょう? 私のところなら無料で休めるわ」
「有難いですが、ご迷惑じゃ……」
「たわけ」
そこまで言ったところで、今まで沈黙を守っていたフィルミナが口を挟んできた。
「この方のご厚意を断ってどうする気じゃ? 儂らに選択の余地はないぞ」
「……うっ」
さっきまで涙目で頬をつねってきていたとは思えない、冷静で的確な判断だ。今度はこっちが唸るしかない。
「ええ、困った時はお互い様よ」
フィルミナの大人びた言葉と態度に多少驚いたようだが、女性の表情はすぐに戻る。
「それに……お下がりでいいなら君の服もあるし、ウチの旦那は器用なの。散髪もそこそここなせるわ」
もはや運命か、と言わんばかりの好条件だ。
服もそうだが、髪もナイフでバッサリ切っただけなので、控えめに見ても乱雑になっている。
「……お言葉に甘えます」
「ええ、遠慮なんてしないで。せっかくの男前なんだもの、そんな恰好のままにしておけないわ」
そう言って女性が、柔らかく微笑んだ。
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