4-6 霧亜と初めての夢

———— Kiria



 智奈が抱く白虎が、突然暴れ出した。


「どうした、どうした」

 オレが、智奈から暴れる白虎を受け取ろうとしても、海から揚がった魚のように暴れて、智奈は押さえているのがやっとのようだ。


 慌てる智奈だったが、突然、智奈の動きが止まった。白虎が智奈の腕から落ちるのを、ラオがなんとかキャッチする。

「あっぶな。どうしたの、智奈」

 智奈から離れた白虎は、泣くのを止めている。


「智奈?」

 オレが呼びかけても、智奈は微動だにしない。目の前で手を振っても、虚ろな目はオレの手を映してないようだった。


「あきのちな、玄武に連れていかれちゃった」

 ロクリュが呟く。

「連れていかれた?」

 能利が聞き返した。


「玄武の五塵は声よ。玄武は、玄武の世界にその人を連れ込んで、一番怖いことを真っ暗な中聞かせるのよ」


 突然、流暢なロクリュの言葉に、オレはたじろぐ。なんで、こいつ玄武のこんなこと知ってんだ。

「お前、なんで知ってんだそんなこと」


 そういえばそうだった。白虎の時も、空を飛べば塔に辿り着けると提案したのはロクリュだ。アズやナゴ、クズネが暴走した時も、ロクリュの言葉で智奈は解決させた。


 ロクリュは、黄金のように光る瞳をこちらに向けて、にっこりと微笑んだ。

「わあは、なんでも知ってるのよ」


 智奈の力が抜けたのか、崩れ落ちるのを、オレはなんとか支えて、その場に座らせる。

「智奈! しっかりしろ智奈!」

 肩を揺すってみても、智奈の反応はない。しかも少し震えている。マントを着ているから寒さに震えてるわけじゃない。何かの術にかかってるんだ。


「五塵がそうなら、聴覚をどうにかしないといけないのか?」

 思わず能利も、ロクリュに問いかける。


 ロクリュは首を傾げた。

「自分で乗り越えるしかないのよ。あきのちな自身が。霧亜も、そうよ」


 ロクリュが言い終えた瞬間、目の前が真っ暗になった。



 女の人が泣いている。



 知っている声が、泣いている。

 聞いた事のある声が、泣いている。


 真っ暗で何も見えない。


 でも、そこはオレたちの家のはずだった。


「どこいくのパパ」

 小さな妹の声。


「安全な所だよ」

 親父の優しい声。


 本当に、安全な所だ。

 そこにいれば、安全だったんだ。


「にいに、ママ、いってきます」

 智奈が、オレに手を振る。

「智奈、生きて……」

 母さんが、泣いている。


「パパ、ママないてるよ」

 不思議そうな智奈の声。


「大丈夫。大丈夫だよ」

 親父の声が、遠くなっていく。



 突然、家の家具や食器が、ひっくり返る大音量。


「霧亜!」

 母さんの、オレの名前を叫ぶ声。


 オレは、こんな母さんの声を知らない。

 怒られた時も、オレに声をかける時も、こんな悲痛な声を聞いたことはなかった。


「こみえの依頼はお前だけだ。子供がいるのは知らなかったが、こんな弱点を連れてるなんて、こみえらしくないんじゃないか」

 聞き覚えがある。が、誰だかわからない。男の声だった。


 男の子の苦しそうな声。

 さっき、母さんはオレの名前を呼んだ。これが、この苦しそうな声は、オレか? こんな大事件の覚えがない。


「やめて! お願い! お願い、します」


 さらに聞いたことの無い、母さんの弱々しい声。こんな母さんの声、聞きたくなかった。


「飲め。それで俺の任務は完了する。完了すれば、俺はこの子の治療をしよう。子供は依頼に入ってない。飲まなければ、このまま毒を注入し続ける。この子はもって後一分だ」


 毒?

 任務……。


 オレの中で、引き出しにしまわれていたピースがはまった。

 この声、青龍のいた青い森で、智奈を狙ってきた男だ。


「飲んだから! 早く! 霧亜を助けて!」


 母さんの、聞いたことの無いガラガラとした声の叫び。


 オレの……オレたちの母さんは、自殺だった。自殺だったはずだ。父さんが、智奈を連れていなくなって、辛くて、オレを置いて、自殺したはずだ。


 毒を飲んで。


「母さん! 母さん!」

 小さなオレが、返事のない母さんを揺する音。

 泣きじゃくって、声も枯れて、次に叫ぶのは、もう一人の頼るべき人。

「父さん助けて! 父さん! 父さん!」


 知らない記憶。

 でも、こっちが真実なんだとしたら?


 足先から身体中にかけて、鳥肌がぞわぞわと上がってきた。


 母さんは、殺されたんだ。

 あの男に。


「霧亜」

 小さくない、オレを知らなかった、今は傍にいるはずの、智奈の声。



「智奈だけは絶対ぜってぇに渡さねえぞ!」



 突然、視界が開けた。

 そこは、元いた玄武の湖。

 

 辺りを見回すと、右隣には、まだ智奈が気を失っているようでオレにもたれかかっている。

 左には、心配そうな能利とラオの顔。


「良かった、起きた」

 ラオはホッと息をついた。今にもオレにビンタをくらわせようとしている格好に気付き、丁重にお断りする。


「智奈は、まだ起きないのか?」

 軽く肩を揺すってみても、眠っているように目を開けない。息をしてはいるから、一応心配はないだろうけど。ナゴは、智奈の側について尻尾をだらりと落としている。


 きっと、智奈もオレと同じ状態に玄武にされてんだ。何を聞かされてるのかわからないが。

 ロクリュの言っていた通り、自分で玄武の聴覚への嫌がらせに勝たなきゃ行けないんだ。

 オレは智奈の頭を撫でる。

「頑張れ。勝てよ」


 オレの目の前が真っ暗になる前までは智奈が抱いていた白虎は、今は大人しくロクリュに抱かれている。

 赤ちゃんでもまあまあ大きい白虎は、前足を持たれているだけだから、ギリギリ足が地面に届かないくらいにプラプラと揺れていた。


「みんなこまっちゃうから、玄武さんがこわくても、泣いちゃダメだよ」

 ロクリュは、両腕でなんとか持っている白虎に話しかける。

 白虎は、謝るかのように耳をパタリと倒した。


「能利もラオも、なんともなかったか?」

 オレが聞くと、二人は頷いた。


 とりあえず、智奈が起きるのを待つしかないのか。どうにかして、玄武をここで見つければいいのか?


 頭悩ませタイムに入ろうとした時、岩場に囲まれる湖に、嫌な雰囲気が巡った。

 簡単に嫌な雰囲気って言っても、能利はこの正体に気付いているようだ。


 殺気。


 空気の流れが確実に変わった。


 オレたちがそれに気付いたと、向こうも察知したのか、一気に魔力がその場に展開され、湖の周りの岩が高熱を発し、煙を上げだした。

 湖の真ん中に、三人の男女が現れる。


「おい……おかしいだろ。なんでお前がここにいるんだよ」


 オレの前に立ちはだかったのは、第一の世界の公園で、泣き叫びながら見廻に連れ去られて姿を消した、魔術師の母親と、体術師の父親。

 そして、混血として生まれて、オレと第一の世界での同級生で、壮介が好きすぎるあまり、オレたちのせいで、となってしまった、菅野もも子。


 その家族が、今、オレたちの目の前に立ちはだかっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る