4-5 智奈と拭えぬトラウマ

 真人や壮介たちのいた小学校に行く前、智奈は別の小学校にいた。

 そこにやってきた転校生は、綺麗な顔立ちをした、髪も淡い金色で、目も透き通るような青。まるでお人形のような少女だった。


「こんな毛玉だらけじゃ可哀想だ。切ってやろうぜ」

「保護犬の毛は可愛く刈るんだよ、テレビでやってた」


 ハサミのシャキシャキという音。

 決して綺麗な美容院で聞こえるような、ハサミさばきの音ではない。適当に、そこに対象物があるから、ハサミを振るうだけ。

 少女は“ やめて”の言葉も発せず、ただ泣きながら、されるがままになっている。


「さすがにやばいよ、先生に言おう」

 隣にいる女子が、智奈に囁く。

「う、うん」

 覚えている。頷くことしかできなかった。


「嫌ならやめてって言えばいいじゃんか!」

 核である男子の怒鳴り声。

 クラスがしんと静まり返る。


 智奈は覚えていた。その時、感じた違和感。

 綺麗な金髪の髪を切られ、男子に怒鳴られ、硬直したその少女は、男子の袖を掴み、はにかんで言った。

「Sorry」


 Sorryの意味くらい、小学四年生の当時でも知っていた。

 でもどうして、彼女が謝るのだろうか。謝るのはあいつの方のはずなのに。


 智奈は、先生に助けを求めに行くのか、男子を止めようとしたのか、わからないが、立ち上がってしまった。


 クラスの視線が一気に集まったこと。顔が、熱を出した時くらい熱くなったのを覚えている。


「なんだよ、光谷。お前もそう思うだろ。やめてって言えば済む話じゃんな?」


 その時の智奈の手は震えていた。足も震えていた。それでも、智奈は歩み寄り、自分の髪の毛だらけの彼女の手を取って、クラスを出て、保健室へと向かった。

 お人形のような彼女は、智奈の知る英語の挨拶「Sorry」と「Thank you」を、何回も泣きながら繰り返していた。


 その次の日からだった。


「目青いから、こいつもヤンキーだ」

「この目見ると石になって動けなくなるぜ」


 近付くな。

 近付くな。


 仲良くしていた子達も、別のクラスの子も、智奈に触れたら、死んでしまう病原体のような扱いへと変わった。

 みんな離れてしまった。

 クラスの中で、机と椅子に、みんなと同じく座っているのに、自分だけぽっかりと浮いた感覚。


「I feel sorry」

 聞こえてくる、お人形の少女の言葉。

 いじめの対象が変わり、友人と一緒に歩けるようになった少女。

 初めて聞いた彼女の“Sorry”と、意味合いが違うことは、言い方のニュアンスで理解した。彼女も、加害者側についたのだとわかる言い方。


 なんで、目が違うだけでそんなことを言われるんだろう。


 なんで、生まれが違うだけで指を指されるの。


「お前の心はまだ弱い。友人が離れる事が怖いのだろう。いい子でいれば、嫌われないと。否定も肯定もなかなか出来ない、薄い人間だ」


 そう。

 嫌われたくないから、意見が言えない。

 けど、言った方がいいって知った。

 嫌なことは嫌。好きなことは好き。

 言い合った方が、分かり合える。


「霧亜……」


 ——お前、オレの妹なんだなあ。


 白髪に、深く青い瞳の兄が言った言葉。

 淡く青い瞳を生まれながらに持っていた智奈が、本当の家族だとわかった瞬間。


 自分は、ここで生きていてもいいのだと、偽りを演じずに生きれるのだとわかった。



「智奈!」



 霧亜の声が耳に届く。


 智奈の家族。智奈のお兄ちゃんだ。

 群青色の瞳と、智奈と同じ髪色の父親と、白銀で、灰色の瞳を持つ母親。



「智奈!」



 きっと、霧亜が一緒にいたら、あの頃も別の乗り越え方があったのかもな。


 出会えて良かった、唯一のお兄ちゃん。



「霧亜」


 智奈は小さく呟いた。



 今まで目を瞑っていたのか、はっと目を開けると、そこは湖のままだった。ただ、連れ立っていた一行より人が増え、騒がしい光景になっている。


 手に痛みが走る。

 智奈はしゃがみこんでいて、見ると座り込む足元に、智奈の手に噛み付くナゴがいた。

「智奈あ」

 智奈が目を覚ましたことに気付くと、今にも泣き出しそうな声を発するナゴ。

「ナゴ……」

 智奈がナゴの頭を撫でると、ナゴは悲しげな声で鳴き、智奈の手に頭を擦り付けて来る。


 前に目を向けると、何故か、湖に横たわる霧亜がいる。土埃で、綺麗な顔が汚れていた。眠っているかのように目を瞑る霧亜の姿。


「霧亜?」

 手を伸ばして肩を揺すっても、霧亜が反応することはない。


 智奈がトラウマを思い出している間に、何故か眠ってしまったようだ。もしかしたら、智奈と同じく嫌な思い出を強制的に見ているのかもしれない。


 ふと顔を上げると、智奈の命を狙っていた殺し屋の男女がいることにも気付く。

 そしてそこに、我が父親が、杖を振るって高速で近付く姿。

 その場面を見た一瞬で、嫌な予感が智奈の身体を駆け巡った。


「お父さん!」


 声を出さなければいけない。

 智奈は大声で父親を呼び止めた。

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