3-5 智奈とこみえ一族

 サバノ亭の奥に通されると、油や酒、タバコで汚かった内装より、綺麗な生活空間があった。

 智奈たちは、大きなテーブルの周りに並ぶ椅子に腰掛けた。


「なあに、あんたもうお酒飲めるの! じゃあとびきりのお酒出してあげる。二人はとびきりのジュース出してあげようね」

 曄は、キッチンスペースの棚から赤黒い酒を出して木のコップに注ぎ、能利の前に出した。

「いや、お構いなく……」

 遠慮する能利の頬は、笑みを隠しきれていない。

「ああもう、せっかくできた可愛い友人に迷惑かけんじゃないわよ」

 能利の前のテーブルにいるクズネが、ぽつりと呟く頃には、もう能利は酒を舐めている。

「美味しいですね、これ」

「芙炸さんの手で絞り上げた果実からできてるからね。その辺の機械よりしっかり味出てるわよ」

 それを聞いた三人は、微妙に顔をしかめる。


「いいなあ」

 霧亜が、能利の前に出された飲み物を眺めた。

 智奈と霧亜の前には、緑色のジュースがおかれる。これも、酸味がきいていて美味しいジュースだった。


「来年な」

「一口」

 霧亜が能利のコップに手を伸ばすと、能利は指をならした。

「あっづ!」

 霧亜の手には、一瞬炎が灯る。


「能利と飲まない方がいいわよ」

 クズネが、ぽつりと霧亜に呟いた。

「ずっと言ってるよね。能利、お酒飲むとおかしくなっちゃうの?」

 智奈が聞くと、クズネは押し黙った。

 能利を見ても、目を逸らしてチビりと赤黒い飲み物を飲む。

 功路とレンミの両親は、家で酒を嗜んではいたが、少し陽気になる程度だった。あれ以上お酒でおかしくなってしまう人を、智奈は見たこと無い。



 見廻が退散し、ひと段落した芙炸が戻ってくる。

「お騒がせしました。どうです、うちの飲み物。お、あなたは飲めるんですね。よいよい」

 戻ってきた芙炸は、智奈たちの向かいの椅子に座った。


「まさか、あなたが混血だとは思いませんでしたじゃ。安心してくだせえ、わしらは混血人種、賛成派ですからね」


 芙炸と曄の夫婦は、うっとりとこちらを見つめる。見つめる先は、霧亜の髪の毛だ。

「成人していない、こみえ一族に会えるなんてなあ」

「ええ、本当に。ルルソから抜け出してきたの? 辛かったでしょう」

 頼子は、哀れみの目で霧亜を見つめる。

「それが謎なんだよ、なんでそんな珍しいんだ?」


 能利も、霧亜のことをまさかこみえ一族だったなんて、と驚いていたのを智奈は思い出した。こみえ一族とは、そんなに珍しい一族なのだろうか。


 霧亜の言葉に、芙炸は目を丸くする。

「こみえ一族に育てられてないのですか」


 霧亜は、ライルで育ったこと、智奈と兄妹であることだけを、夫婦に話した。

 それを聞いた芙炸は、後ろにひっくり返るのではないかというほど、仰け反って驚く。

「まさか、ご兄妹! しかも力を抜かれていない混血! 奇跡が重なっておりますじゃ」


「兄妹って、珍しいんですか?」

 第一の世界の中国でやっていた、一人っ子政策のようなものだろうか。

「こみえ一族は、親や兄弟を殺して体力を吸い取り、最強の戦士を作り上げる技術を持つ少数民族ですじゃ」


 智奈は、芙炸の言う意味がわからなかった。

 親を、兄弟を殺す? 自らの手で?


「知ってた?」

 智奈が能利に聞くと、能利は首を横に振った。

「名前だけ。滅んだと思ってた」


 芙炸はうんうんと頷く。

「百五十年前の戦争で、多くのこみえ一族が駆り出され、死んだとされています。今はルルソに身を潜めているという事だけが、このメネソンでは伝わっています。だから、外を歩くこみえ一族は大変珍しいんです。あの一族は他との交流を好みませんから」


 智奈たちの今いるメネソンは、体術師の多い国。だからこそ、体術師の一族の顛末が語り継がれているのだという。


「だから、こみえに智奈が狙われてるのか」

 霧亜が合点のいったように、深く青い瞳を智奈に向けてくる。

「あの森で毒で怪我してた時か?」

 能利の言葉に、智奈と霧亜は驚く。

「なんで知ってんだ」

「智奈とナゴのの怪我を治した」


「能利だったのね、助けてくれたの。ありがとう」

 ナゴが、ゴロゴロと能利の手に頭を擦り寄せる。

「ありがとう」

 智奈も頭を下げる。ずっと、霧亜かと思っていた。


「お前、オレたちのストーカーか?」

 霧亜が冗談交じりに言う。

「それはお前の——」

 言い淀んだ能利は、口を噤んで酒を呷った。

「いい飲みっぷりね」

 曄が、新しく能利に酒を注ぐ。


 芙炸は、じっと智奈と霧亜を見つめた。

「こみえに既に狙われてるんなら、ルルソには絶対に近付かん方がいい。こみえに攫われるか、どちらかが殺されますぞ」


「母さん、こみえのこと一切教えてくれなかったな」

 ちびりと霧亜は緑色のジュースを飲む。


「弥那さん——お母さんって、どんな人だったの?」

 ふと聞いてみる。そういえば、この世界に来た時に見た、写真の印象でしか、智奈はお母さんを知らないのだ。


「暴力的だった」

「え」

 霧亜の顔を見るが、冗談を言っているようでもない。いたって真面目な返しをする顔だ。

 正直、知らない人ではあるけれど、優しい人だとか、綺麗な人だとか、そんな言葉を予想していた。

「なんでも、腕っ節で解決できると思ってるゴリラ」

 あの、写真に写っていた白銀で髪が長く、穏やかに笑う女性のイメージとはだいぶかけ離れる。しかし、智奈はこの世界に来た頃に言っていたサダンの言葉を思い出した。


 ——弥那に全力でぶっ飛ばされるんでやめてもらえます、そういうの。


 弥那という、智奈と霧亜の母親は、体術師として強いだけでなく、人そのものが強い人だったのかもしれない。


 会ってみたかったな。

 もう、会うことのできない、本当の母親を思い、写真の中の弥那に向かって、智奈は笑いかけた。

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