3-7 金色の青年の災難
———— Unknown
森の中に、青年は身を潜めていた。
右目の痛みはまだ引かない。今でも鮮明に覚えている、この封印魔術をかけられた時と同じ痛みが襲っていた。
「突然クズネが呼び出すから何かと思ったら、ナンパしてたのか?」
「あれをどう見たらナンパに見えるんだ」
枕にしていた、商店街で青年を連れ去った獣化動物の腹がぐるぐると鳴る。今は獣化を解き、龍から鯉の姿へ変わっている。
「
「うるさいな」
真上からがさがさと音がすると、八つの目が突然目の前に出現した。
「ウサギと鳥、狩ってきたのはだーれだ」
「クズネ様はお優しい、蜘蛛様仏様」
鯉が歌う。
青年の身長よりも数倍大きい、体毛の多い大蜘蛛が、木の上から自分の糸を伝ってするすると下りてきた。尻から出る糸には、グルグル巻きにされた獲物達がゴロゴロとくっついている。
礼を言うと、クズネはタランチュラほどの手のひらサイズまで小さくなり、青年の黒いフードに隠れた。
「ほれ、早く焼きたまえよ」
ぺとりと鯉は青年の頭にヒレを置く。
この鯉の獣化動物から、生臭さが無いことだけが本当に救いだ。
鯉は、自分から動こうとはしない。物心ついた時から一緒にいるが、自ら動こうとした姿を見たことは無い。
青年が枕にしているのは、丸々と太った鯉だ。大型犬ほどの体長で、ヒレで歩こうと思えば、亀のようにこれは歩く。
が、ヒレで歩くのは亀よりも遅いため、海や川を渡る際に乗っている。鮫や鯱のような肉食海洋生物に喧嘩を売るのが好きな、鯉が龍に獣化する獣化動物だ。
獣化動物というか、獣化魚というか。
「そろそろ、お前食べ頃だよな」
「私は珍味だぞ。小僧がわかる味ではないわ」
青年は鼻で返事をした。
霧亜と一緒にいた少女は、真っ直ぐに自分の家に帰ったようだ。ライルの商店街から少し外れた、小高い丘に住んでいるらしい。
場所を探知してくれるクズネの子蜘蛛を、少女の身体を突き飛ばした時につけていた。
蜘蛛が常にくっついている衝撃的事実を少女が知る前に、回収してやりたいものだ。
青年は足元に積んであった円を描く石の中に薪や落ち葉を入れ、そこへ向かって指を鳴らすと、ぼうと薪に火がつく。
指先の魔法陣と、焚き火の魔法陣を連携させて、摩擦で発火させる仕組みだ。
蜘蛛の巣に包まれた兎を一匹手に持つと、燃え上がる焚き火の火が、蛇のようにこちらに近付き、兎の周りを包み込んだ。
手が焼けることは無い。
自分の火で火傷するなんて、どこかの火の苦手な水使いくらいだ。
青年はいい具合に焼きあがった兎を鯉へと放った。大きな口は凄まじい吸引力で兎を丸呑みする。
「クズネ様のとって来た兎は美味いなあ」
フードから小さな声で、礼の言葉が聞こえてくる。
賑わうライルの街並みから、だいぶ外れた森の中。青年は鬱蒼と木々が生い茂る中に、小さな結界を作って、ライルにいる間を凌いでいた。
この結界に入っていれば、外界からは探知できないようになっている。例え近くに人や動物が通っても、普通は気づかない。
食料は、先の通りクズネがとってきてくれる。たまにいらぬ大型昆虫をとってくるのが本当にいただけないが、それは彼女にきれいさっぱり食べてもらっている。
近くには大きな川もある。移動はこの鯉の獣化動物ザンリに乗れば、なんの不自由もない。
霧亜と少女に出会ってから、誰かから常に見られているような違和感がつきまとう。
青年は結界の濃度を高くして、更に外界に悟られないよう気を張っていた。
右目が痛くなることなんて、今まで一切なかった。
この封印魔術式、青年の師匠に聞いたところ、これはどこかの体術師の体力が封印されているという。
しかも、かなり血の強い家系の体力らしく、一般的な体術師のものより量も質も良いらしい。誰がかけたのか、誰の体力なのか、なぜかけられたのか、魔術式を見るだけでは解読できず謎だったが、青年にとって、これはいい機会でしかなかった。
少年は混血に生まれずして、混血に成ったのだ。
普通の魔術師よりも、何倍も素早く、高く動ける。魔力の減少無しで。
何よりものプレゼントだった。魔術師からしたら、喉から手が出るほど欲しいものだ。
そのおかげか、他の魔術師達に引けをとったことがない。
普通の魔術師が、混血に勝てるわけがないのだから。
クズネの子蜘蛛が伝えてくれる、蜘蛛の糸から伝わる気配から察するに、少女はだいぶ家から離れた。
少女に出会い、少女と身体が触れてから右目が痛み出した。この封印と何か関係があるに違いない。手がかりを、すぐに帰すわけにもいかなかった。
コンコン。
青年は身動きをぴたりと止め、音のした方へ意識を集中させる。
ここは結界だ。外界にバレるわけはない。特に昨日から警戒して結界を強めているのだ。近くの木を小動物か何かが当たっただけだろう。
コンコン。
青年は音のしたところから飛び退いて最大限離れ、結界の向こうを見る。
そこには、黒いコートの男が立っていた。木ではない。明らかに、青年の作った結界を、ご近所挨拶でもするかのように指でコツコツと叩いている。
完全に居場所がバレている。ここから反撃するにしても、あの男の意図が掴めない。
誰だか知らないが、青年は観念して結界を消し去った。
隔離していた外の空気が入り込み、じんわりと暖かさが肌にまとわりついてくる。
「やあ、
友達のお父さんが挨拶してくるかのような感覚で、男は片手を上げる。非常にお気楽な雰囲気を醸し出しているが、全くといって隙がなかった。
青年がここから逃げ出そうとでもしようものなら、すぐにでも瀕死レベルの魔術を繰り出してきそうだ。
青年は魔力を見ることは出来なかったが、気配には敏感だった。
男の放つ膨大な魔力と、隠れた戦闘力がひしひしと感じられる。 殺気がないはずなのに、どうにも動けぬ男のオーラが恐ろしかった。
「いやあ、随分と探したんだ、能利くん」
孤児院から逃げ出してから、探されるような生き方しかしてこなかったことは間違いないが、この男に探される
全く知らない男だ。
「覚えてないか、流石に」
男は栗色の天然パーマのようなふわふわの髪をかしかしとかく。
「封印を解こうと探しても、全く気配が見当たらなかった。結局こんな期間が経ってしまって、申し訳ない。どこかに匿われてたのか?」
意味がわからなかった。
わかりたくなかった。
封印の事を知る人物は、相談を持ちかけた青年の師匠と、あと一人しかいない。
封印をかけた張本人。
青年の体中の毛がぞわりと逆立った。この男が、約十年前に青年の目に封印魔術を施したのだ。
「しかも、やっと出てきたと思ったら気配遮断しながら歩きやがって」
言いながら、男はゆったりと少年に近付いてきている。
応戦しなければならいのに、後ろに下がらなければ、頭を回転させたいのに、頭も動かなかった。
それが、あの魔術師の策略や魔術でもなんでもなく、ただの男の放つ恐怖であることに気付いて呆然とした時には、男は目の前に立ちはだかっていた。
「君は何も知らなくていい。何も知らずに、そいつを返してくれ」
男の手が青年の右目へとのびる。
男の青い瞳に、青年は懐かしさを覚える。
つい昨日も、似た青い瞳を見た。久しぶりだった。大きくなってたな、あいつ。
昔の思い出が走馬灯として走り、青年は息を吹き返すように意識が現実に戻った。
足が一気に動き出す。バク宙の要領で後ろへ大きく飛び退いて、空中で杖を出現させ、木を思いっきり叩き、太い枝に降り立った。
青年の立つ木が根っこから轟々と燃え出す。
おお、と男は感心するように口笛を吹く。
炎で男を燃やそうとした時には、既に男の姿はない。
辺りを見回すと、突然目の前に男は現れ、少年の首を掴むと木の上から地面に叩きつけた。
思ったより痛くないのは、男が地面を柔らかい砂に変えたからだろう。その砂は、そのまま蟻地獄のように中心に向かって流れ出し、少年は手足が拘束されて身動きがとれなくなった。
「その力、馴染みがいいだろう。他の家系じゃそこまで馴染まない。君の素質も相当あるが、こみえは人馴染みがいいんだ。こみえの人を魅了する力は、魔術で作った呪いのレベルだ。近くにいる人間を狂わせ、最強の魔術師も底辺に落とす」
男の表情に、暗い影が落ちる。が、すぐに
「ま、好きになったから仕方ないんだけどな」
青年は男の言葉にポーカーフェイスを保っていたが、内心は驚愕と歓喜で打ち震えていた。
こみえなんて、夢物語の一族だと思っていた。本当にあの最強の戦闘狂一族は存在したんだ。そして、自分の中にそのこみえの力が存在している。
「愛娘の力、いい感じに使ってくれてるようだな。どうだ、混血は。楽しいだろう」
もう青年が逃げられないほど手足を拘束されたのを確認すると、男は蟻地獄の縁に立って、少年を見下ろす。
図星だった。この力を使って、人より強くなった。負けるはずない力を得た。
当たり前だったのだ。体術の力がこみえの一族だったのだから。
なのに、目の前の魔術師に、負けた。この魔術師は、格が違いすぎる。
「こみえの力は、まだまだそんなものじゃない。力に飲まれれば君は心を失ってしまう。息子をかばってくれた友達思いの能利くんには感動するんだが、とんだ手違いが生まれたまま、十年も経ってしまったことは謝る。それは息子に渡すはずのものだったんだ」
返してもらうよ。
男が手を広げて能利の右目を隠した。強烈な痛みが青年を襲う。焼けるような熱さが、目玉を溶かす勢いで、焼け焦げる匂いと共に走り回る。目から煙が立っているのがわかった。
殺される。 この、わけのわからぬ黒いコートの男に。
短い人生を、やっと知った自分の体術の力を、もっと使ってみたかった。
悔いばかりの人生を思い返した瞬間、痛みがすっと引いた。身体の拘束がが取れていた。
痛みにいつの間にか目をつぶっていたようだった。ゆっくりと目を開けると、見上げたところに黒いコートの男はいない。
そこは見知らぬ部屋と、三人の人間が立っていた。
見知らぬ顔。
知った顔。
見覚えがある顔。
突然の光景に、青年は身体中の力が抜けた。
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