第28章 kaigi

 (俺も、封を食ったってのは本当なのか)

 席に戻った鹿沼だったが、パソコンの前で座ったままで、仕事は全くはかどっていなかった。

 彼はメールをぼんやりと目で追いながらも、黒田の言葉を幾度となく反芻していた。

 其れらしい肉を食べた記憶が全く無いのだ。

 ここ一週間はイベントの準備に追われ、食事はコンビニ弁当で済ます事が多かった。

 黒田の話では、封の肉は、今までに食べた事の無いような、旨味と風味と舌触り兼ね備えた至高の味だと言う。それこそ最高級の和牛ですら足元におよばないらしい。

 唯一、旨いと感じたのは、イベントの時に誤って御前様が隠し持っていた肉を焼いた味見をした時だ。あれは商談用の高級和牛だったのだから、そりゃあ美味いはずだ。

 他に食べたと言えば、いつも会社のそばの公園に最近出没するようになった、キッチンカーで買ったお弁当。

 肉巻きおにぎりが旨くてよく立ち寄るのだが、もしあの肉が封なら、とっくに惨劇が起きていてもおかしくない。

(実は食っていないんじゃないのか・・・俺が投げ飛ばされても無傷だったのは、きっと偶然だったに違いない)

 彼はそう自分に言い聞かせながら、無理矢理仕事に没頭しようとする。

 だが、エキセントリックな情報が一気に頭に入ってきたせいか、全くと言っていい程に何も考えられない状態が続いていた。

(あの時、俺と黒田を公園外に逃がしてくれた男は何者だったんだ・・・)

 鬼人化した三人を瞬殺した二人の女性――黒田の話ではFのエージェントらしい――に見つからないよう、自分達を公園外に逃がしてくれた壮年の男。

『逃がし屋の烏森』――それが、奴の名だ。

 不思議な事に、Fの二人の目と鼻の先を堂々と通り抜けたのだが、彼女達は全くその存在に気付いていなかった。

 何か起きたのか、彼が何をしたのか、全く理解が出来ない。

 まるで、あたかも見えない壁が彼を取り囲んでいたかのような、不思議な出来事だった。

 黒田の話では、烏森は顔見知りではあるものの、彼の村の者ではない。

 あくまでもどこにも所属せず、フリーで逃避行の手助けを請け負っているらしい。

 今回も、元々依頼をしていた訳ではなく、たまたま居合わせた為に、急遽依頼を掛けたそうだ。

 どうやら、彼は、別人からの依頼を受けてここに現れたらしい。そちらの依頼はどうなったのか、流石に詳細は語りはしなかったが、何かしらのトラブルがあったと思われる。

 もう一つ、気がかりな事があった。

 どうして、Fと関わると厄介なのか。

 黒田の話では、Fは政府の組織らしいのだが、村とは互いに不可侵の関係にあると言う。

 お互いの存在を認めつつも、距離を置いているらしい。

 ならば、別にこそこそしなくてもと思うのだが。

 第一、黒田の存在自体も胡散臭い。

 封を祀る村――何となく閉鎖的な雰囲気の漂うその村、地図上には存在しないとなれば、尚更その真偽も疑わしく思える。

 黒田が村を後にしたのは、隠形の動きを探る為らしい。

 隠形は、食に関わるイベントに罠を仕掛けては、『実証実験』を行っているようで、彼が食肉を扱う商社に入社したのも、そう言った動向を掴むためでもあったようだ。

(深入りしない方がいいな)

 鹿沼はそう心の中で呟くと、雑念を振り払うかのようにパソコンのキーボードを激しく叩き始めた。

 その姿を、黒田はじっと見つめていた。

 鹿沼がまだ彼の話を半信半疑にしか捉えていない。それは彼自身も見抜いてはいたが、それ以上しつこく絡む事は控えるようにした。村の重鎮には報告したが、監視こそすれ、それ以上関わらなくてもよいとの回答だった。

 黒田の報告内容では、鹿沼が封の憑代かどうかは判断出来ないと言うのが、重鎮達の答えだった。

 確かに、彼が武道をやっている事は、以前本人から聞いた事があり、テントを越える高さで投げ飛ばされても、落下したところが芝生の上なら受け身を取って衝撃を凌げるのかもしれない。

 じゃあ、田中と佐藤は誰が殺害したのか。

 タイミング的に鹿沼でないことは確かだ。

 そう、あの時――。

 三人の巨漢達が鬼人化した直後に、黒田はすぐさま村の重鎮にスマホで速報を入れた。

 鹿沼が巨漢達に襲いかかったのはその時だった。最初は優勢を誇った彼だが、三人目の男に取り押さえられ、天空を舞った。

 鹿沼はテントを飛び越え、裏の地面に叩きつけられた。

 黒田は慌てて裏手に走った。

 そこには、惨殺された佐藤と中村のそばに佇む鹿沼の姿があった。

 鬼人化した者が他にもいるのか

 それとも。

 鹿沼が殺ったのか。

 違う。彼が鹿沼から目線を逸らしたのは、ほんの一瞬――鹿沼が中空を舞ったその時だけ。

 それに、彼は鬼人化していない。

 ただ、あの距離を投げ飛ばされて、無傷なばかりが、平然と立っている姿は、ある意味異様とも言えた。

(まさか、鹿沼さんも封を? )

(いつ、どのタイミングで? )

 困惑する黒田の眼に、数メートル先の歩道に佇む一人の人物が目に映った。

 真夏にも拘らず、漆黒の衣服を纏った壮年の男。彼は管理棟の壁に寄りかかりながら、顔を顰め乍ら頭を左右に振っている。

(烏森!? 何故、あの男がここに? )

 黒田は反射的にバックヤードのテントの裏に身を潜めた。

 顔見知りだが、敵ではない。とは言え、この状況で彼がここにいる事が不自然なのだ。

 刹那、鹿沼がテントの中に飛び込んで来る。

 彼はバックヤードにいる黒田の存在に気付かないまま、店頭へと駆け抜けた。

 彼は思い切ってバックヤードを飛び出し、テントの裏手に回った。

「烏森さん」

 黒田は黒ずくめのその男に声を掛けた。

「お、君は――」

 烏森が驚きの声を上げる。

「その説はお世話になりました」

「ああ。覚えていますよ。御伏村の黒田君でしたね」

 烏森は眼を細めた。

「烏森さんはどうしてここに? イベントを楽しみ来た訳じゃないですよね」

 黒田の眼が、射貫くように彼を見る。

「お察しの通りですよ。ただちょっとしくじってしまって、ギャラはゼロです」

 烏森はおどけて両手を上げて見せる。

 そのしくじりの結果が、佐藤と中村のなれの果てだったのか――いや、違う。万が一、自分の不手際が原因だとしたら、クライアントからの報復を受ける前に間違いなくここから逃亡するだろう。

 惨劇であろうが、彼は自分に関係がなければ無関心なのだ。

(直接は関わっていないのかもしれないが、何かしら関与はしているような気がするな)

 黒田の直感が、彼の思考にそう囁く。

 だが、今はそれを追求している場合じゃない。

「烏森さん、その損益の穴埋めをしたいとは思いませんか? 」

「それはどう言う事かね? 」

 黒田の提案に烏森の眉毛がぴくりと動く。

「私ともう一人――鹿沼をここから逃がして欲しいんです」

 

 



 



 


 

 


 

 



 

 

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