第83話 ジャンパーを着る美少女は、僕にコーラを飲ませない




「彩香さん、何やってるの?」

「べ、別に何もっ!?」

「そう? ならいいけど」


 朝、トイレから帰ってくると彩香さんが僕の席に座って突っ伏していた。声を掛けると、彩香さんはガバッと顔を上げて慌てたように顔を横に振った。


 そこでふと気がつく。彩香さん、僕のジャンパーを着ている。

 ちょうど僕のココロを読んだのか、彩香さんは焦った顔で言葉を紡ごうと口を動かす。


「あっ、こ、これはそのっ……」

「寒かったの?」

「そ、そうっ、ちょっと寒くて……ごめん」

「いや着てていいよ」


 そっか、寒かったのか。今日はあったかい日なんだけど……寒がりなのかな?

 そう思いつつ、手を横に振って彩香さんに言いつつ、僕は彩香さんの席に腰を下ろした。そしてふと、彩香さんの鞄から丁寧に畳まれた白いジャンパーを見つけた。


「ん?」

「あ……」


 僕が首をかしげると、視界の端で彩香さんが絶望の一音を漏らした。


 なんで彩香さん、わざわざ僕のジャンパー着てるんだ?

 そう問うように彩香さんに目を向けると、彼女はキョロキョロと目を泳がせて愛想笑いを浮かべた。

 なんとなく愛想笑いを返すと、彩香さんはうんうんと頷く。


 そのまま見つめていると、ごまかすことができないと悟ったのか、逃げるようにフードを被って机に突っ伏した。


 状況を完全に把握するまでにかかった時間は数秒。


「はぁ」


 僕はため息を一つ、彩香さんの頭に手を伸ばし、フード越しに撫でる。彩香さんはピクリと肩を跳ねさせて、でもこれといった反応はしない。時々体をピクピクさせたり弛緩させたりしているだけだ。


 すると彩香さんが呻くように言った。


「ごめん、柚――……嘘つきました……」

「うん、なんとなく分かるし、別にいいよ」


 彩香さんの頭を撫でつつ言う。どうせ、僕のジャンパーの方が着心地が良かったのか、極小の可能性だが、僕の匂いに包まれたかったのか。そのどっちかだろう。


「嘘をつくのは悪いことだけど、彩香さんは照れ屋なんだから」


 だから許してあげる、という文言は省略してココロの中で付け加えると、彩香さんは顔を上げて僕をキッと睨んだ。が、その睥睨に覇気はない。


 彩香さんはむむむぅと唸って立ち上がり、僕のジャンパーを乱暴に脱いだ。そんなんしたら生地が傷むでしょ、と文句を言おうとすると、先に彩香さんが口を開く。


「トイレ!」


 そう威嚇するように言った彩香さんはまっすぐに教室から出て行った。

 え、なんで怒ったんだろう、と思いつつ、ふと視線を下の方に向けると、鞄から彩香さんのジャンパーが覗いていた。


 これは出来心だ。ほんの小さな悪心だ。だからこそ逆にあらがえない。

 気付けば僕は彼女のジャンパーに手を伸ばし、袖を通していた。彩香さんはぶかぶかなジャンパーを好むから、大きさはちょうどピッタリだった。

 その瞬間、まさしく『オワタ』の境地に僕はいるのだと気づき、やけくそにフードを被り、机に突っ伏す。


 彩香さんの匂いに包まれる。彩香さんに包み込まれているとすら錯覚するほど、柔らかい匂い。

 ふっと我に返るとうたた寝していたことに気がつく。

 なんか暗いな、と顔を上げると、教室の蛍光灯の光を彩香さんが遮っていた。彩香さんが無表情で僕を見ていた。


「うわぁっ」

「柚、何してるの?」

「あ、いやっ、これは……。さ、寒くて……」

「……そ」


 咄嗟に口から出てきた嘘は、バカでも言わないぐらいバカな言葉で、彩香さんは思考停止したみたいにちょっと固まって、短く答えた。


 僕はどうしようにもできず、恥ずかしくなって机に突っ伏す。

 すると、フード越しに頭を撫でられた。その手は優しくて、撫でられると落ち着いてしまう。


「柚はダメな子、悪い子。でもいい子」

「どっちだよそれ……」

「ふふん」


 顔を上げると、彩香さんは僕と同じ目の高さにいた。

 机にしがみついてしゃがんでいる体勢。

 僕をまっすぐに見つめる彼女にドキッとして、顔が赤くなる。


「柚、そのジャンパーあげる」

「えっ……」

「その代わり、柚のちょうだい?」

「――……なにそれ、僕のジャンパーでエッチぃことする気?」


 ずっとやられっぱなしっていうのはイヤだ。ちょっとぐらい彩香さんを焦らせたい。

 そう思って言うと、彩香さんは少々の沈黙の後、立ち上がって肩をすくめ、手の平を宙に投げた。

 その目は演技か、それとも無意識か、若干泳いでいる。


「さぁ? どうでしょう?」

「っ――……ほ、本気だって、彩香さんはそういう人間だって、僕、認識するけどいいの? 演技ならいますぐやめときなよ?」

「演技ってなんのこと? まぁ、ホントのことかも知れないし、私のことそういう人間だって認識してもいいんじゃない?」

「うっ……へ、変に妄想させるようなこと言わないでよ!」

「妄想するのは柚の勝手。お好きにどうぞ」


 言って、彩香さんは僕の後ろに回る。衣擦れの音を聞くに、僕のジャンパーを着ているようだ。

 僕の予想通り、チャックが上がる音がして、フードを被る音がした。


 もう知らない、と僕はココロに呟き、彩香さんの匂いがする袖に顔を押し当てた。


 楽園だった、と言うのみだ。



 *



「ひゃぁっ!」

「柚」

「なに!?」


 放課後。先生との個人面談があった彩香さんを待つため、僕は一人、教室に居残っていた。何もしないのも時間の無駄だと、単語帳を開いていると、後ろからヒンヤリ冷たいものを当てられビックリする。

 振り返ると、彩香さんの手にはコーラ。

 目だけで問うと、彩香さんは素っ気なく言う。


「これあげる」

「んぁ? いいの?」

「ん、そう。あげる」

「ありがと。鶏からクンで恩は返す」


 ちょうどこんな飲み物が欲しかったところだ。

 お礼を言って受け取り、キャップを回してボトルを傾ける。

 うん、炭酸が少し抜けているけど美味しい。——うん、これ栓開いてたよな? ってことは……これ、間接キス? やばい、ドキドキしてきた。


「柚、口開けて」

「ん? んん!?」


 コーラが口の中にあるのに? と頬を膨らませて振り向きつつ問えば、唇をこじ開けるようにして口の中に何かを押し込まれる。

 丸くて、固い形状。


 同時、口の中のコーラが勢いよく泡立ち、鼻にコーラが逆流してツンとする。


 メントスコーラ。

 その原理は詳しくは解明されていないが、主な要因はメントスが含むゼラチンやアラビアガムが界面活性剤となりコーラの表面張力を低下させ、多孔質な構造であるメントスの表面は気泡を作るのに最適な場所として作用し、一瞬にしてコーラ内の泡が吹き出すのである。


「んんんん!?」


 説明は結構。僕は慌てて窓を開け、口の中のコーラとメントスもろとも吐き出す。そうでもしないと鼻からコーラが飛び出るところだった。

 彩香さんはドン引きした声を出す。


「うわぁ……」

「げほっ、げほっ――……」

「私のせいだから言うの避けるけど、きたない……」

「じゃ、じゃあ言うなよ! 何してくれんのさ!」


 窒息したらどうするんだ! と本気で怒って叫ぶと、彩香さんは首を傾げてにししと笑った。

 悪びれないところがまた腹立たしい。


「ん~悪戯。でも、危なくないようにいくらか炭酸、抜いといたんだよ? それにもし危ないことになっても、私の力でそれぐらいなら助けられるから」

「関係ない! ひでぇよ! あとドキドキを返せ!」

「そお?」


 彩香さんは肩をすくめて僕の隣に立って、窓の外の風景を眺めながらコーラのボトルを傾ける。夕日に照らされてか、頬は赤くなっていた。ふと後ろを振り返れば、彩香さんの机にメントスの筒がある。


 思考はカンマ数秒、僕はメントスを取り出し、彩香さんの肩を叩いてこちらを向かせ、その綺麗な唇の中にメントスを押し込む。

 ――と、勢い余って人差し指まで口の中に入る。

 ザラリとした舌の感触を人差し指が覚える。


「んん! んぼっ――……」

「うわぁっ!?」


 直後、窓の外へ顔を向けた彩香さんは、僕の指ごと口の中のものをぶちまけた。おかげでその大半が、僕の手にかかる。

 ぶしゃぁっ、と。

 気分は吐瀉物を掛けられた感じ。というか状況はほぼほぼ吐瀉物を掛けられたのと同じ。

 ――のはずなのに、あまり汚いとは思えない。


 そう思った直後、彩香さんが僕をギッと睨んだ。心臓が痛むが、今回は僕は悪くないと思う。

 なのに彩香さんは、泣きそうな顔で、駄々っ子のように叫び始めた。突然に、シリアスに。


「柚! 柚! 柚が悪い! 柚ダメ! 柚謝って!」

「いやっ、それなら人にされたくないことを人にしちゃダメでしょってことだよ!」

「柚ヤダ! 柚やめて! 柚! 柚が悪いの!」

「ねぇちょっと聞いてる!? え、あ、な、泣かないでよ! 何で泣くわけ!?」

「泣いてない! でも柚が酷いの!」

「ごめん! ごめんって、ねぇ!」


 叫びあうこと数分、未だ目を真っ赤にさせた彩香さんはぽつりと言った。

 ちなみに、未だ僕の手はコーラまみれ。彩香さんの手の中のボトルのコーラはプツプツと緩く残りの泡を吐き出している。


「汚いの、見せたくない。それで嫌われたくない……」

「…………僕だって見られたんだけど」

「いいの、私そんなので柚のこと嫌いになんないし……」

「……ったく……」


 僕だって、少なくとも、彩香さんの口の中のものをぶちまけられたぐらいで嫌いになったりなんかしない。

 確かにヘタレで弱気な僕が僕の気持ちを伝えられてないのが悪いのかも知れないけれど、少しは僕を信じてくれてもいいんじゃないか。


 そう口に出すのは恥ずかしいのでココロの中で呟いて、コーラのついた手を、ポテチの粉がついた指を舐める感覚で舐め取る。

 それを見ていた彩香さんのビックリした顔を見て、ハタと気がつく。これ、間接ディープキスでは? と。


 ぼわぁっと赤くなっていく自分の顔を自覚しながら、こちらを見る彩香さんになんとか僕は言葉を紡いだ。

 肩をすくめて手のひらを中に放り、まるでチャラ男のように。

 だけど自分でもわかる。爽やか笑顔はキモいほど引きつっている。


「ほ、ほら、別に汚いなんて思ってないしぃっ? そんな大げさに泣きださなくてもいいじゃん?」

「うぁっ――……うぅ……んぐっ……。――はぁはぁはぁ……」


 彩香さんは真っ赤になった顔でうめき声を出したのち、残りのコーラを飲み干し、ゴミ箱に向かってボトルを投げて叫んだ。


「柚のバカ!」

「それは彩香さんだってそうでしょ!」


 僕の返しを彩香さんは背中に受けて、教室の外へと走り出ていった。その背中を見送り、ふと自分の手のひらを見下ろす。


 もう一度、今度は人差し指についたコーラをなめた。







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