第67話 問題を出す美少女は、僕に肩揉みしたいわけじゃない




「さて、柚。問題です」

「あはは……いきなりだね」

「それが私の良いところ♪」


 今日の彩香さんは『明るい属性』らしい。音符マークの幻覚が彩香さんの口端に見えそうなほど、彩香さんの口調は軽かった。

 そんなことを考えながら彩香さんの『問い』を待つ、穏やかな昼休み。


 もちろん、昼食後のことである。

 向かい合って本を読んでいるといきなり話しかけられた、ということを補足説明しておく。


「ある言葉は上から読んでも下から読んでも、柚のことをドキドキさせます。なぁんだ?」

「……それ答えある? 僕が答え、勝手に決められない?」

「失礼な。柚があ——、『彩香さん』って答えても、下から読んだら『んさかやあ』ってなるじゃん」


 彩香さん、と言う直前の言葉の隙間は、ちょっとした気恥ずかしさが生んだのだろう。確かに、自分の名前を『さん』付けで呼ぶのは恥ずかしい。


 彩香さんの例になるほど、と納得すると、彩香さんはなぜかムッとした顔をした。


「慌てて否定したりしないの? 私の例のこと」

「ん? あぁ、『彩香さん』って解答例のことね。……別に? 『彩香さん』にいっつもドキドキさせられてるのは本当のことだし」

「——つまんないの。もっと初々しくドギマギしてほしかったのに……」


 不満げな顔で彩香さんは僕を一睨み、直後には頬杖をついて表情を180度変え、ニコニコと笑う。

 よく分からないけど、付き合ってあげよう。


 そう考えて、答えを探ること数秒。全く分からない。逆に彩香さんはなんで分かるんだ? と思考が別の方向へ走り出したところで、目の前の彼女はにししと悪戯は成功した悪ガキのように笑った。


 僕が悩んでいるのをココロを読んで悟ったのか、それとも表情に出ていたのか……どっちでも構わないか。


「答え、知りたい?」

「まぁ、ね。そうじゃなきゃこんな訳のわかんない質問に真面目に考えないし」

「じゃあ教えてあげる。どうする? 言葉で教えて欲しい? それとも行動で教えて欲しい?」


 反射で『言葉』と返しかけた口に手を当てて声を飲み込み、それから『行動』と返す。理由は勘だ。

 何か、この彩香さんの選択肢には罠が仕掛けられているような気がしたからだ。『行動』の選択肢が明らさまな罠に見えるが、それはブラフなんだろうって思ったからだ。


 事実、彩香さんは悪魔の笑みでこう言った。


「ココロの声に答えてあげる。半分正解、でも惜しい」

「え? 『行動』の選択肢が罠ってこと?」

「ううん、実はどっちも罠♪」


 そう言ったあとの彩香さんは素早かった。

 僕の手を掴むが速いか、僕の手の甲に顔を寄せ、軽く、唇を触れさせる。手の甲に感じるふわりとした柔らかい感触に心臓がバクバクと大きな音を立てる。

 彩香さんは少し顔を上げ、にこりと笑いながら続けた。


「答え、分かった?」

「わ、わわっ、分かるわけないじゃん! 何今の!?」

「ん――じゃあ仕方ないや、言葉で教えてあげる」


 彩香さんは硬直して身動きの取れない僕の手をしっかり掴んだまま、僕と目を合わせて言う。


「スキだよ、柚」

「っ――な、何が言いたいんだよ! ちょっ、話の筋が通ってないじゃん! いきなり告白!?」

「ん~……上から読んでスキ、下から読んでキス。今のが答えなんだけど。答えは『スキだよ』って。

 あれ? 柚はさっきから何にドキドキしてるの?」


 ココロを読んだら分かるくせに、彩香さんは白々しく首を傾げてみせる。そして堪えきれなくなったのか悪い顔をして『んふふふ』と笑った。


「こ、こんなの彩香さんの自己満足じゃん」

「そう? 私は柚に告白する気も、キスする気もなかったけど? 柚が恥ずかしがるのは——見たかったけど」

「う、嘘言わないで!」

「嘘じゃない。答えを行動で教えてって言ったのは柚。でも柚は『行動』だけじゃ答えが分からなかったでしょ? だから私は仕方なく『言葉』でも教えてあげたの。

 私、なにか利己的なことした?」


 彩香さんはぬけぬけとそう言い放つと、僕の手を軽く持ち上げて、その手の甲の縁から僕を見つめる。

 彩香さんの説明は間違ってるはずなのに、何もかもが正論に思えてしまって、僕は黙って彩香さんから目をそらすことしか出来ない。


「彩香さんさ、ズルいよ」

「ふふっ……そうかもね。もう一回答え、教えて欲しい?」

「う——い、いいよ! てかいつまで手を握ってるんだよ!」


 反射でうなずきかけた首を必死に固め、横に振って叫ぶ。

 彩香さんは笑い、僕の手を放した。

 最初の言葉を撤回しよう。今日の彩香さんは『明るい属性』なんかじゃない。いつも通りの彩香さんだ。

 人を属性分けするなんて間違っているのである。



 *



「柚、肩揉んであげよっか?」

「はい?」

「うん、揉んであげる」


 僕が彩香さんを首を傾げると、彩香さんは勝手に頷いて僕の肩に手を添えた。


 朝、僕は彩香さんの前に座っていた。

 あれ? お前らなんかのハプニングで席の前後が逆になったんじゃないのか? そう考えたみんなへ。

 お答えしよう。実はなんてことはない。彩香さんの気まぐれだ。今日は何故か、学校に着くと彩香さんが僕の席に座ったのだ。

 何をするつもりなんだ? と訝しく思いつつも、大したことではないんだろうと考えた僕は彩香さんの席に座ったのだ。


 ――と、ここまで状況説明をして、僕は悟る。あぁ、彩香さんは僕の肩が揉みたかったのか。

 変態さんだな、全く……。仕方がない。


「怒るよ? うなじに攻撃するよ?」

「やっ、それはだめ!」


 僕は女の子みたいな声を出して、うなじを手で覆って守る。

 すると彩香さんはそんな僕の肩に手を乗せ、僕が脱力するぐらいに弱い力でフニフニと肩を揉んだ。

 さて、脱力するとどうなるか。僕の腕が下がる。するとどうなるか。ご明察、うなじが露わになるのだ。


「うぎゃぁっ!」


 直後、彩香さんががぶり、と僕のうなじに食いついた。

 突然のことなので、僕にとっては『食いちぎる』の表現が正しい気がするが、客観的には『唇で挟む』とか『甘噛みする』の表現の方が正しいのだろう。


 生暖かい吐息と、ツッとうなじに触れた液体に背筋が震える。

 鈍い痛みと、驚きと——変な気分のせいだ。決して、ドキドキなんてしてない。『変な気分』だって、バウンドする僕の『恋ゴコロ』のことじゃない。


 ともかく、僕は彩香さんを手探りで押しのけながら席を立って逃げ、叫んだ。


「彩香さん! な、何を!?」

「うなじを柔らかく刺激すると、肩凝りが減るらしいよ」

「うそつき! てか柔らかい刺激じゃなかったし!」

「うん、うそ。まぁ、攻撃? さっき言ったよね、うなじ攻撃するって。忘れたの? ふふ、ニワトリ以下だね、柚って」

「っ――攻撃手段が口って! 獣かアンタは!」


 人をニワトリ呼ばわりするとても不快な煽りを無視して、僕も煽り返す。同じ穴のムジナ、という呟きは聞こえない。


 叫びつつ噛まれたうなじに手をやると指先に水気を感じた。彩香さんの唾液だ。それを全て指で拭い、目の前に持ってきて眺める。

 陽光に照らされ、少し輝く。


 ふと我に返ると、彩香さんが後ろに手を組んで、僕をまじまじと見上げてきていた。僕と目が合うと少し口角を上げ、嬉しそうにはにかむ。

 無意識的なあざとさに、僕の心臓はその速度を少しだけ、速めてしまう。


「柚、舐めたいの?」

「へ――あっ、いやっ、別に! き、汚いなって思っただけ」

「そ、じゃあティッシュあげる」


 彩香さんの唾液を汚いと言うことに罪悪感を覚え尻すぼみになった言葉。彩香さんはそれに全く反応せず、僕にポケットティッシュをくれる。


 僕があんなに叫んで否定したのは、彩香さんの言葉が図星だったから、ということではない。決してない。

 別に、彩香さんの唾液を舐めたいとか、ディープキスを妄想してみたりとか、そういうことを考えていたわけではない。

 僕はそうココロに説く――が、途中で言い切る自信がなくなってしまった。


 名残惜しみつつ、指を拭きながら、僕はそう思っていた。

 すると彩香さんがくるりと僕に背を向けて、席に戻りながら言う。


「あのさ~、柚」

「なに?」

「忘れてるかもだけど、私っていつでも――それこそ、今だって人のココロ読めるんだからね」

「うん、そうだろうね。だってそう説明されたし……ハッ!」

「うん……。今読んでて、ちょっと、柚の思考回路に――」

「ひ、引く? ご、ごめん」


 彩香さんの緩く続く言葉を切って、先回りする。

 『引く』の言葉は『変態』や『バカ』の悪口と違って、本心によってしか出てこない言葉だ。だから僕は、彩香さんに言われるより先に自分で言うことでダメージを減らすことにした。


 だが、彩香さんの口から出た言葉は違った。

 そもそも、僕を振り向いた彩香さんの頬は、朱色がかっていた。


「ううん、ちょっと、照れるなって。思っただけ。さ、肩揉んであげるから座って?」


 事実、彩香さんは照れたように笑って僕の席に座り、その前の席――だから彩香さんの席を指す。

 僕は赤面しながら座った。今度はうなじを噛まれることなく、普通に肩を揉まれる。結構気持ちよくて、肩の凝りがとれる。

 普通にリラックスして若干眠りに沈みかけていた。


 だけど数分もしたら。

 時々うなじを刺激されるようになった。

 といっても『食いちぎる』ではなく、唇でそっと触れるか触れないかの程度で、その何回に一回かは甘噛みされかけるぐらい。


 刺激を受けて彼女を振り向くが、彼女はただ『んー?』とわざとらしく首をかしげるだけで、指摘したらまたからかわれるんじゃないかとか、そもそも僕を騙そうと『指唇ゆびくちびる』でキスしたフリをしているんじゃないかとか、そう考えると何も言えず、僕は前に向き直るしかなかった。


 人のうなじに度々キスするとか変態だ。僕を指唇で騙しているだけなんだと、うなじに受ける柔らかい感触を特定した。


 ちょっと感触が恥ずかしいけど、キスされてる訳じゃないからいいか、と考えて、それでようやく、僕は安心してリラックスできたのである。








【おまけ】うなじに顔を寄せる彩香


 うぅ、マーキングしたいのに恥ずかしくてできない……。

 あと、どうやればいいのか忘れちゃったし……強くやったら——多分逃げられちゃうだろうし。

 もっかい勉強し直さなきゃ!

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