予告部 彼女は過去を思い出す

第2部予告 私の高校二年の話




 私の娘は少々おませさんなところがある。ちなみに彼女の名前は私から二文字あげた。もう一人のまだこの世にいない長男坊の名前は、お父さんの名前からあげると決めている。


「ねーねーママー。このひとってママだよねー?」


 眠気をこらえつつ、音楽を聴きながら洗濯物を畳んでいると彼女がやってきて隣にぺたんと座る。

 手には彼女よりほんの少し小さいだけの卒業アルバム。年齢のわりにこんなに重いものをよくここまで持ってこれたな、と感心しつつ耳からイヤホンを抜く。


 彼女はアルバムの真ん中あたりのページを開いて、高校時代の遠足の班別写真の一つの、その中の私を指差して言う。


「そ。よく分かったね」

「えっへんっ、ママって美人さんだからす~ぐわかっちゃった~」


 得意げに、でもって年の割にお世辞をちょこちょこ挟んでくるこの三歳児は侮れない。ヤケに『美人』の発音だけはハッキリしていた。

 そう仕込んだのはバカみたいに有給休暇と育児休暇を生後数ヵ月の彼女につぎ込んだ彼であり、その間に彼は彼女の世話と家事につきっきりで、逆に暇を持て余した私が何故か働きに出るという、本末転倒な事態となった原因である、彼である。


 どうやらこの家の一番の権力者(私)の存在をよく教育したようだ。そして私にこびを売るように、とも。意外と仕事のできる男だ。

 それに免じて諸々、私が暇すぎてパートに出たことや、近所の方から『嫁に働かせる無職な父親』という名を買ったことも許してやろう。

 もちろん、誤解をといたのは私だ。


 ココロの中でそう曰っていると彼女が続けた。


「で~このひと、ママがギューしてるおとこのひと、だれぇ?」


 ……だが、どうやら自分の存在の教育は怠っていたようである。娘に子供時代の自分を見分けてもらえないときの悲しさは幾程か、彼のおかげで私は知るよしもないが……。


 と、同時、彼女の口から出た言葉に目を剥く。


「ねぇ、ふりん? うわき? あいじんさん?」


 三歳児から出てきてはいけないワードがマシンガンのように飛び出てくるのに思わずこめかみを押さえる。

 前言撤回、語彙の教育に別のベクトルで力を入れやがって。許すまじ。


 写真の中の彼を睨んだ。


 ねーねー、ママ、ふりんはわるいこと、だよ?


 何故かせがむようにそう言う彼女を見ると、言葉の意味はよく理解していないようだ。そのことだけが、唯一の救いか。


 このあと、帰ってきた彼を玄関に正座させて説教していると、彼女が『どげざどげざ!』と楽しそうに叫んだのは、そしてそのせいで余計に私の説教が長引いたのは余談である。



 *



「ねぇ、柚。遠足、だってさ」


 高校二年、四月。

 なんというイレギュラーか、それとも誰かの陰謀か、僕と彩香さんの席は前後で並んでいた。もちろん、同じクラス。

 そこに問題はない。

 しかし――


「それは関係ないんだ。うん、だって今日は始業式、遠足は月末だからね?」


 こめかみを押さえて"前の席の"彩香さんに『待て』と念じつつ、犬に命令するように手の平を突き出す。

 ちなみに僕と彩香さんの手首にはおそろいの革のブレスレットがある。ちょっとだけリア充になった証がして僕は好きだ。


 むぅ、と不満げな声が聞こえた瞬間、手をヒンヤリとした感触が襲う。見れば、僕の手を彩香さんの両手が包んで、指一本づつにぎにぎしていた。


 登下校時でいつも握ってるとはいえ、未だに僕は慣れない。


「なっ――」

「ん? 手ツボマッサージ要求じゃないの?」

「こ、ココロ読んでてわかってるくせにっ……」


 にしし、と小悪魔3割、嬉しさ7割の笑みで返されると、彩香さんの手を振り払えない自分がいる。

 それはさておき、彩香さんは僕の前の席にいた。

 出席番号に添った席順なんだったら、去年は僕が彩香さんの前の席だったんだから今年もそのはずでしょ。


 ココロの中で言うと、彩香さんは少し考えるそぶりをして、言った。

 その間も僕の指をにぎにぎするのはやめない。どうやらお気に召してしまったようだ。


「ん~でも別にイイかな。だって柚のこと振り返ってお喋りするの、ハジメテで新鮮だし。それに、柚の近くならどこでもいい」

「っ——」

「たとえ、おんなじ席でも、ね」


 ひるんだ僕に追い打ちをかけるように、彩香さんはささやき声で言う。手を握られてるのも相まって、ドキドキで心臓が弾けるかと思った。

 春休みは彩香さんが、亜希奈の合格祝いの旅行に行っていたので会うことがなかった。まぁ、メールで少しやりとりしたけど。

 空いていた距離が一気に縮まる、この感覚が僕の鼓動を速める。


 目をそらして、話題を変えることにした。


「そ、そう言えば今更だけど、去年は一切席替えがなかったね」

「ん~……確かに。でも良かった」

「なんで? 僕ずっと最前列の席だから授業中寝れなかったんだけど」

「……私と喋るより、寝る方がいいの?」


 悲しさのこもった上目遣いで言われて、ドキッと心臓が跳ねる。

 体が勝手に首を横に振る。

 それを確認して、彩香さんはふんわりはにかんだ。


「よかった。私も柚とお喋りする方が好きだから、今年も席替えなくていいな」

「……うん」


 聞きたい、聞きたい。

 ねぇ、僕のこと好きなんだよね? って聞きたい。

 答えはたぶん、わかってる。

 当たり前のこと聞かないで、とかだと思う。だって……その、き、キスしたし……。

 でも、ハッキリと言葉にしたわけじゃない。付き合いましょう、そうしましょう、なんて無粋な会話が必要なわけじゃないけど、僕はまだ彩香さんから、恋愛感情の『好き』をもらってない。


 だから、怖い。

 わかりきった答えのはずなのに、たった0.01%もないそのハズレが怖い。

 だから、聞けない。

 ココロの中でも、聞けない。

 あなたは僕を、どう思ってますか。なんて。


 僕はただ、彩香さんに手を握られ続けて高校二年の始業式の放課後を過ごした。


「ねぇ柚」

「な、なに?」

「……ううん、なんでもない」


 彼女は言葉の詰まった『空気の玉』を飲み込むように喉仏を引っ込めた。








 9月以降、第2部始動。

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