第28話 弄り下手な美少女は、僕に答えを教えない
予約チケット発券してくるからブラペポLとコーラS、買っといて。柚の分のポップコーンも含めてのLサイズだから。
彩香さんは早口にそう言って、行列ができている券売機に向かっていった。その背中を見つめて首をかしげる。
ブラペポ……? なんだそりゃ。
ブラペポがブラックペッパーポップコーンの略だと気付いたのはオーダーの直前だった。
頼むからわかりにくい略はやめてくれ。
そんな不満を彩香さんにこぼすと、彩香さんは気まずそうに笑ってごまかす。
それで許せてしまう自分はもう手遅れなんだろうか。
係員さんにチケットを渡して入場しながらそんなことを考えた。しばらく無言で歩いた後、彩香さんが首を傾げて言う。
「柚、トイレ行く?」
「……つれションしたいの?」
「違う」
むっとした表情で否定した彩香さん。
まぁ一旦ポップコーンとか劇場に持ってっちゃった方がいいんじゃない?
そう、ココロの中で言葉をまとめて口を開く……けど。
「もしかして漏れそう?」
彩香さんが慌ただしく周囲にチラチラと視線を向けているのを見て、言葉を変えた。
彩香さんは僕をキッと睨む。けど、覇気が全くない。
どうやら漏れる寸前のようだ。
焦らして遊ぶのもいいけど、それをすると嫌われそうなので我慢する。でも漏らしそうで涙目になる彩香さんを見てみたい。
そんな願望をココロの中で叫びながら、表面ではエンジェルスマイルを作った。
「いいよ、荷物もっててあげるから」
「……イジワル。3分間は口聞かないから」
彩香さんは恨めしげな視線を僕に向けて、そう言いながら僕に荷物を押しつけて、トイレに走って行った。
かなり限界だったのだろう。
その背中を見て、三言。
1,トイレを我慢しようとする彩香さんが可愛い。
2,彩香さんがトイレ終わったら3分経ってそうだけど? あぁ、なんてかわいいんだ。
3,僕もトイレ行きたくなってきた……。
この後、彩香さんにめちゃくちゃ煽られた末、漏らす寸前まで耐久させられた。
半べそを通り越してガチ泣きをしそうだった。
因果応報と言うには、いささかひどすぎる。
*
映画はカンニングを主題にしたもので、天才高校生が試験の答えを仲間に教えるというモノ。これが結構ドキドキする。
だけど、僕がドキドキしてるのは映画のせいじゃない。
となればもちろん察しがつくだろう。そう、彩香さんのせいだ。
スクリーンの字幕を眺めつつ、耳に入ってくる英語を嚙み砕く。噛み砕きながら、ドキドキする心臓に説明文的口調で語りかけて落ち着かせた。
といっても、ポップコーンに伸ばした手が触れ合ってドキドキ♡ みたいな青春ラブコメは存在しなかった。
彩香さんは手が触れ合ってもお構いなし。スクリーンから目を離さない。僕だけドキドキするのも癪なので、ポップコーンを掴むタイミングをずらすことにした。
シーンは主人公が初めて不正行為をするとき。
肘掛けに乗せていた手を掴まれた。
彩香さんの指がサラサラなのは前もって渡しておいたウェットティッシュを使ったからだ。僕って有能。
別なことを考えて胸の高鳴りを押さえようとするけど、それで抑えられるわけがない。
彩香さんは映画のBGMに合わせて僕の手を強く握る。
僕の心臓が大きく跳ね出す。BGMが大きくなる。
彩香さんがギュッと目をつむった。数秒後にBGMがやんで、彩香さんは恐る恐る目を開く。
つられて僕もスクリーンに目をやると、すでに主人公は危機を免れていた。
「はぁはぁはぁはぁ……」
息づかいが荒くなっている彩香さんは、僕の手を放さない。どころか、僕の手を引っ張る。
虚を突かれて抵抗するタイミングを失った僕の手は、彩香さんの左胸へと誘導され、胸に押し当てられる。
理性が手のひらを反転させた。だけど、断崖絶壁に見えるそこは手の甲で触れてもちゃんと柔らかかった。
彩香さんは不満げな顔を一瞬見せて、僕の手を無理やり反転させる。手のひらが彩香さんの胸にフィットする。
声にならない悲鳴を喉の奥で押し殺して、空いている方の手で自分の膝に爪を立てた。
ドクドクドクドクと彩香さんの心臓が跳ねているのが分かる。彩香さんが流し目でこちらを見た気がして慌てて目をそらす。
たぶん彩香さんは無意識でやってる。僕の手と自分の手を勘違いしているんだ。ドキドキした時に心臓を抑えようとするあの動きを間違えて僕の手でやってしまっているだけだ。
そう推測して状況整理をしてココロを落ち着かせようとしていると、強く、胸に手を押し当てられた。
耳の奥で、ハッキリと心臓の音を聞いた。
*
ポップコーンに手を伸ばした瞬間、彩香さんと手が触れ合う。
ドキリと跳ねかけた心臓を押し殺し、ポップコーンの箱から手を抜く……その手首を掴まれた。
押し殺されていたはずの心臓が復活して大きく跳ねる。
再び、腕を強く引っ張られた。
さっき触ったあの胸の柔らかい感触がよみがえる。消そうと思っても消せない。
妄想のせいでポップコーンが指からこぼれかけた。慌ててつまみ直して、ドキドキする心臓を落ち着かせるために深呼吸する。
そのあいだにも彩香さんが僕の手を引っ張って……。
指が、ぷにぷにの唇に触れた。
歯が、僕の指からポップコーンを抜き取る。
舌が、僕の指に付いていたポップコーンの粉をなめとる。
ゾクゾクと何かが背筋を走った。悪寒じゃなくて……否定しようのない、快感が。
親指、人差し指、中指……小指、そして指の間まで執拗にねぶられる。時々、指を甘噛みされる。僕の左手が彩香さんの唾液まみれになってようやく解放された。
その間、見ていた光景の記憶が無い。ただ、ずっと流し目の彩香さんと目が合っていた気がした。
ふわふわと思考が浮いてまとまらない。
我に返ったとき、目に映ったスクリーンの光を受けて反射する爪が、僕を誘惑した。
右手はウェットティッシュを構えているのに、手を拭けないでいた。手に、顔を近づけてしまう。
歯に、親指の爪が触れた……瞬間、心拍数が跳ね上がって視界がチカチカと点滅する。歯が当たっただけなのに、甘い味がした。
気がつけば、発火する勢いで手を拭っていた。それでも、ポップコーンを食べようとは思えなかった。
罪悪感が半端なさすぎる。
*
映画は中盤。ポップコーンには未だ手を伸ばせないでいた。
目の前にポップコーンが突き出される。ポップコーンを持つ指、手、腕をたどっていくと、彩香さんが僕を見て首をかしげていた。
ささやき声で彩香さんが言う。僕に聞こえるためにだろうけど、顔が急接近してドキドキした。
「柚、遠慮してる?」
彩香さんが僕の口にポップコーンを押し当てた。そのまま、口の中にポップコーンを押し込まれる。
彩香さんの指が僕の唇に触れて、
耳の奥で心臓が大きな音を立てる。彩香さんに聞かれやしないか考えていると、ココロを読まれた。
彩香さんは僕から目を逸らさずに薄ら笑いを浮かべて、言う。
「へぇ……ドキドキ、してるんだ」
彩香さんは僕から手を引いて、スクリーンに目を戻した。
彩香さんが離れたことで緊張の糸が切れた僕は、体が座席に沈む。後ろから彩香さんをこっそり見ることにした。
彩香さんはキョロキョロと周囲を見渡し、さっき僕にポップコーンを食べさせた指を見つめる。
そして口に指を近づけ――
最後の確認のように僕の方を向いた彩香さんは、僕と目が合って、ボンッと顔を真っ赤に染めた。
「み、みた……?」
「……? ……まぁ」
「わ、わすれて……」
彩香さんの質問に要領を得ないままなんとなく肯定してみると、彩香さんは泣きそうな顔でそう言って、僕の見間違いだろうけど若干名残惜しそうに指を拭いた。
*
「ん~おもしろかったっ」
そう言って気持ちよさそうに伸びをする彩香さんは劇場から出て、廊下の明るさに目を眇める。
その後ろをついて歩くのは、自分で言うのもなんだけどゲッソリした僕だ。
彩香さんのワザとなのかワザとじゃないのか区別のつかない精神攻撃に僕のココロはボロボロだった。
暗闇の中、指を絡められたり、腕にしがみつかれたり……。
「——柚?」
「なっ、なに!?」
「トイレ行く? って聞いたんだけど……」
そう言って首を傾げていた彩香さんは、僕のココロを読んだのか、目を三日月にして意地悪に笑った。
そして僕に体を寄せて、上目遣いをしてくる。
「そんなにドキドキしたんだ。ねぇ、柚はどこまでがワザとだと思う?
ちなみに、カンニングはだめだからね?」
どこまでがワザと、その言葉に隠された正解に僕は気づけない。ただドキドキして、喉に言葉がつっかえて声が出せないでいた。
彩香さんはくるりと身を翻して僕から離れる。そして首をねじって僕と目を合わせて、こんどは何気ない口調で言った。
「また映画、見に行こ?」
頷きこそしなかったけど、首を横に振ることは出来なかった。
もし今、将来の夢を聞かれたら僕はこう答える。
『いつか、彩香さんと普通に映画を見たい』
正解は全部ワザと。なんて言ったら柚はどんな顔をするだろう。名残惜しさを振り払って柚のコーラのストローを捨てて、私はドキドキと跳ねる心臓に手を添えた。
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