第2話 帰還


 二日目の徹夜の朝が明ける頃。

 ドアにノックの音。

 ドアを開け、部屋に迎え入れる俺。

 俺が密かに送ったメールを読んで、美岬が東京から自分で運転して帰ってきたのだ。

 二十歳を五つ過ぎた美岬は、初めて会ったときと変わらず、色白で細面、長い髪。そして、切れ長の大きな目。

 違うのは、唇には薄く紅が引かれ、最低限のお化粧をしていることだ。内気そうでおとなしそうで、というのは影を潜め、よりシャープな「美」に加えて「聖」とか「高貴」さが際立っている。かろうじて、まだ「怖さ」には踏み込んでいない感じだ。

 そして、その姿を見ると、未だに初めて会ったときのように動悸が早くなる自分がいる。


 「ただいま」と両親に声をかけ、散乱した紙の層の薄いところを選んで座り込む。

 俺も、大量の紙が散乱し、ドリンク剤の空き瓶が数本立つ横で背筋を伸ばし座りなおしていた。

 このプログラムができあがるとき、言おうと決めていたことがあったのだ。


 「武藤さん、そして、武藤佐、ありがとうございました。

 これで、美鈴メイリンも美岬さんも、質、量ともに仕事が大幅に軽減されるでしょう。

 つきましては、前々から口に出していましたが、美岬さんが『つはものとねり』を辞する準備ができたと思います。

 つきましては、美岬さんと一緒に人生を過ごしていく許可をいただけないでしょうか。

 よろしくお願いいたします」

 そう言って、俺は頭を下げる。

 美岬も、俺に倣って頭を下げているのが、視界の隅に映る。

 そして、「つきましては」が二回になるほど、俺はテンパっていたのかと思う。


 「双海君、それは卑怯だ。

 二日の徹夜の後では、まっとうな判断力を僕は保ててない。

 少し睡眠を取って、落ち着いてから……」

 「お父さん、二日の徹夜のあとだから判断できないというほど、難しい問題じゃないでしょ?

 引き伸ばしはやめて」

 美岬の即座の反論に、数瞬の間ののち、武藤さんが言う。

 「いや、このプログラムを組む意味は、僕も解っていた。

 でもね、娘の父にそのプログラムへの協力を求めるのは、あまりに僕の気持ちを蔑ろにしていないかい?

 僕の感情をもっと大切にしろと、僕は言いたい」

 あれだな、これは、娘の父が駄々をこねているって奴だ。


 「武藤さんのお気持ちは解りました。それについてはお詫びします。

 その上で、もう一度お願いします。

 美岬さんと一緒に人生を過ごしていく許可をください」

 もうひと押しする。

 武藤さんの視線が天井付近を彷徨い、救いを求めるように武藤佐の上にたどり着く。


 そして……。

 割りととんでもない一言が、武藤佐の口から飛び出す。

 「先生、やっと二人きりの生活ができる?」

 「ちょっ、ちょっと待って」

 武藤さんの狼狽が、困惑と言っていいものにグレードアップした。

 こんな姿、初めて見る。

 武藤佐が「にいっ」と笑った。

 「私も仕事、辞められるよね。約束だったよね?」

 これは、アレだな。武藤佐、旦那を追い詰めて楽しんでいる。武藤佐が、Sっ気を旦那に対して発揮しているのは初めて見る。


 武藤さんだって、想定していたことだろうけど、それが今、剛速球でいきなり来たというのが戸惑いの原因だろう。そして、実は、それが俺と美岬の狙いだったりする。

 武藤さんが娘の父として駄々をこねだしたら、その屁理屈を突破するのは絶対に不可能。だから、疲れているときを狙って、不意打ちをかけた。

 そう、見抜かれているとおり、俺達は卑怯なんだ。

 でもね、戦いってのは、勝つためにするんだ。

 そして、打ち合わせ的なことはしていないけど、武藤佐、味方してくれている。ありがたいことだ。


 「あのな、えっーと、その……」

 「いいですね?」

 困っている武藤さんに追撃して追い込む俺。

 今、言質を取らねば、逃げられてしまう。


 いつもは、くだけた言葉遣いで冗談も言い合ったりもするのに、話題が話題だけに妙に丁寧に喋っている。それが妙に可笑しくもあり、不自由でもある。

 「そうだ! 僕と囲碁で五番勝負をして、双海君が三勝以上したら良いことにしよう!」

 「お父さん、娘の人生を碁の勝負で決めるの?

 それ、真面目に言ってる?」

 冷ややかなほど、冷静な美岬の声。

 こういう声を出すと、武藤佐に瓜二つの雰囲気が漂う。前は、こういう声の出し方はしなかった。

 武藤さん、むりやり酢でも飲まされたような顔になる。


 「えっと、じゃあ、やりたくはないけど一発殴らせて……」

 「やめてください。

 その巨体で殴られたら、俺、死にます。かといって、反撃ありで戦ったら、今でも格闘の訓練を受けていて、現役の俺が絶対勝ちます」

 「そりゃそうだな。言うとおりだ。まったくそのとおりだ。

 あーっと、うーんっと、じゃあ……」

 「武藤さん、私たちが一緒になることについて、反対なんでしょうか?」

 「お父さん……」


 再び天井近くを彷徨い出した武藤さんの視線が、再度救いを求めて武藤佐に向く。

 「美桜、その、あの……」

 「ようやく二人きりで生活できるのが、そんなに嫌?」

 「嫌でもないし、反対でもないけど、その、なんだ、気持ちがついていかない」

 あ、ようやく素直になった。


 武藤佐が援護射撃をしてくれる。

 「娘が年頃で、好きな人と一緒になる。そして、その相手もダメンズでもない。娘がいなくなっても、先生がひとり取り残されるわけでもない。

 なにが問題?」

  「そんなことは解ってるんだよ!

 とりあえず、先生はやめてくれ。お願いだから。

 じゃあ、こうしよう。

 君たちの結婚について、僕は賛成する。そのかわり、双海君は、今の僕の気持ちを納得させてくれ」

 うわっ、そう来たか?

 まさかの丸投げがくるのかよ!?

 ちょっと、これには困った。

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