第38話 取引成立?


 「誘拐しても、交渉する相手が行方不明じゃ人質をただ飼っておくことしかできないし、その間も一本一万ドルからの酒を水のように飲みやがる。

 次は、五大シャトーのビンテージを全部持ってこいと言い出しやがって、たぶん、五本で四万ドルはするし、ワインだと五本あっても二日で飲まれるだろう。

 もう、『どこか山の中に捨ててこい』って話まで出ていた」

 「そうか。

 ポースではない。切実に同情する。

 あの女は前科があってな。さっき言ったなんかのイベントの祭りで、自衛官30人を酔い潰して、翌日、その基地は二日酔いで機能停止だよ。結果として、全員許可なし飲酒になって懲罰対象になっちまった。

 それなのに、民間人に対して立場があるから、こちら側からは嫌味すら言えやしない。

 それに、そんな話が表に出てみろ、大騒ぎだ。

 その女にビンテージを呑ませるなんて、自殺行為だ。

 次はないだろうが、こういうときには工業用アルコールでも呑ませとけばいいんだ」


 深い深いため息。

 「俺たちは、そんなの知らされてなかったんだよ。

 うちの別のどこかがあの女を攫いに来たとき、なんで渡してやらなかったのか、後悔しているんだ」

 「そうか、そんなことまであったのか……。

 大変だったんだな。どこの組織だ、そいつらは?」

 「分からん。

 でもな、そのときにあの女、逃げなかったから、人質との信頼関係ができたと思ったし、いい女だとすら思ったんだ……」

 「そこまでの目にあって、せめて、作戦目的は知らされていたのか?

 今の話だと、同国の奴と殺し合いになってもおかしくなかったんだろう?

 目的が分からなきゃ、妥協点も見つからないし、こちらとしてもあんたらに国内でドンパチされるのは至極迷惑だ。

 うちは、世界で一番治安がいい国で通っているんだからな。

 それすら知らされていないっていうならば、こちらとしては抗議の項目を増やさなけりゃならない。

 きちんと両腕を制御しろってな」

 「知らされてはいたんだよ。

 そもそもの話だが、そのBoyがカムフラージュってことは、本物がいるんだろう?

 で、その本物が特殊な体質で、その遺伝資源を採りたいってことだった。

 そのおとぎ話、本当なのか?

 どうなんだ? 素直に信じちゃいないが、それが目的でここまで拗れたんだ。そのくらいは教えてくれよ」

 「ああ、いるらしい」

 「すごいな、どんなことができるんだ? マーベル・コミックみたいなことができるのか、そいつは……」


 小田は思い入れたっぷりに間をおいてから答える。

 「お前さん、俺たちの組織は知っているよな?

 ある意味、民間軍事会社PMSC (private military and security company)みたいなもんだ。

 政府の機関は、俺たちを利用するだけ利用するけど、そこまで教えてくれないんだよ。

 でも、『いる』とは聞いた。

 ただ、俺たちの基本は、自分の目で見たもの以外は信用しないってことだろう?

 俺はそいつを見たことはないんだ。

 だから、『いる』とは信じられないけど、『いない』とはもっと信じられない。

 腹を割って言えば、そんなところだ」

 「そうか、いるのであれば、少しは俺たちも救われるよ」

 「でも、マーベルみたいのはないだろう。コミックじゃないんだから、物理の制約はあるはずだ。俺たち、そこまでの夢は見れないよな。

 で、もう一つ、救ってやろうかと思っているんだが……」

 「何をだ?」

 「酒代だ」

 「本当かっ!?」

 「条件が二つある」

 「言えよ。

 O・ヘンリー読むやつに、悪いやつはいないと思っている」

 「あのな、カムフラージュに使われた高校生、相当に酷い目にあっている。

 去年なぞ、某大国から工作員を送り込まれてな、大怪我しているんだ。

 そいつらも、今のお前と同じ顔して本国に帰っていったけど、こちらの機関としては、未成年の一民間人にここまでの負担をさせることになるとは思っても見なかったんだ。

 だいたい、カムフラージュに使われたなんて話が出回れば、デコイに食いつくバカはいないって話になるはずなのに、なんであいつに限っては危ない目にばかりあうんだ?

 こっちだって、フォローしないわけには行かないし、意味のない素人の護衛に負担が増すばかりだ。

 なんでこんなことになっているのか、こちらが聞きたいくらいなんだよ。

 しかも、上司は、『そこまでの目に合わせているから、責任をとってうちに就職させるか』とか言い出しているしな。冗談じゃない。

 自分から弾に当たりに行くような不運なやつ、絶対この業界に入れちゃいけない。

 お前もそう思うだろ?」

 「ああ」

 「あーもう、なんで、俺はお前に愚痴をこぼし返しているんだろうな。

 まあ、いい。

 お前たちに今言ったことを『信じろ』とは言わない。

 お前たちが判断することだからな。

 好きに継続監視もすれば良いだろう。

 だがな、これだけは言う。

 手は出すな。

 こちらも、カムフラージュに使ったという経緯はあるにせよ、民間人を守るという建前の仕事に手は抜けないから、不要な血が流れる。

 お前さんとこだって、『豚戦争』みたいな、コストとベネフィトが釣り合わない事態には懲りているだろう?

 お前さんたちに説明責任は果たすから、せめて手を出す前に事情を聞いてくれ。

 同盟国だろ?

 少しは信頼関係を築こうぜ。

 それが酒代の条件、その一だ」


 豚戦争とは、1859年にアメリカとイギリスの国境の島にて起きた紛争である。

 イギリスの会社の放し飼いの豚が、アメリカ人の畑を荒らし射殺された。そして、「俺の畑のジャガイモを食った」「おまえの畑のジャガイモが食われないようにするのはおまえの責任」という争いがエスカレートし、最後には島の領有権への疑心暗鬼から双方の軍が艦隊までを繰り出すことになった。

 最終的に、いくら国民の生命と財産を守るのが軍の仕事とはいえ、豚一頭のために兵士の命を賭けるのは馬鹿らしいとはなったものの、戦費を考えれば到底釣り合わない話になったのである。

 とはいえ、最後には両国の部隊は非公式に大量のアルコールとともに友好を深め、和解したのであった。



 「その話、本当なのか?」

 「だから、俺が本当と言えばお前さん、信じるのか?」

 「酒代の方だ」

 「ああ、そっちならば信じろ。

 綺麗に忘れていい。

 豚戦争と同じだ。『酒』で忘れろ」

 「この仕事についてから、忘れろって言われて、こんなに気持ちよく忘れられることに巡り会えるとは思わなかった」

 「頼むよ、なにも起きないように見張れば、他の組織の注意を引く。放っておいても他の組織に誘拐される。

 もう懲り懲りなんだ。せめて、お前らだけは、解ってくれ」


 「……その解って欲しいって俺たちを、焼き殺す判断は誰がしたんだ?」

 「俺たちのクソ上司だ」

 「民間人を守るためだっていうのか?」

 「二つ意味がある。

 上も、上の上の指示に振り回されて、な。

 お前たちが投降してこなかったら、他の国も含めて全部教訓にしてもらうつもりだったらしい。民間人をいきなり拉致したら、こうなるってな。

 ほら、今さ、北の国とその交渉をずーっと続けているだろう?

 この国も、もう弱腰ではないっていうデモンストレーションに、お前たちがぴったりだったんだよ。

 そこは、スケープゴートにして悪いと思っているよ。

 でもな、このあたりは、そもそもそちらとの連携の不備の結果だぞ。

 もう一つはな、真面目に早く投降して欲しかったんだ。

 普通の『高校生のそういう時期』に振り回されて、死ぬに値した仕事だったか?」

 「ふざけるな」

 「で、投降前に『高校生のそういう時期』って聞かされて、納得して白旗揚げられたか?」

 「……」

 深い深いため息。


 「だろ?

 だからだ」

 「もうな、解ったよ。

 こじらせた高校生が原因で死にたくはない」

 「こちらも同盟国人員を殺したくない。

 苦肉の策だったんだ。

 だから、酒代の話もスムーズに了解が得られたんだ。

 詫びという意味もある。酒代の条件その二だ。

 受け取ってくれ」


 と、こんな感じでお互いが嘘八百を並べながらも妥協点を見つけ、交渉は終わったらしい。

 俺、「こじらせた高校生」らしい。

 小田さん、笑っているけど、ちょっと酷くないか?

 取りようを合成したら、俺、中二病の豚じゃん。


 とにかくこれで、こちらの陣営としては言いたいことは言った。

 聞き出したいことも聞き出した。

 「手を出すな」と「手を出さないための交換条件」と「それでも真実を明かすつもりはない」ということ。

 相手は、俺の能力の解析のための拉致と思っていて、その先の「本当の目的は知らされていない」ことを白状している。

 そして、こちらとしては、相手のプライドのケアもしてやった。


 結局、こちらの分は最初から悪い。

 グレッグの組織はすでに真実を知っているし、変わりゆく状況の中での判断で、いつそれが相手方で情報共有されるか分からない。

 でも、実力行使を含め、こちらの筋は通しきった形は作れた。

 まあ、いい落とし所だったんだろうね。

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