第21話 一年ぶりの再会
運転してきてくれた警察の人にお礼を言い、できるだけ早く戻る旨を伝えてからペデストリアンデッキに上り、去年来たビルに向かう。
深夜だというのに警備員が立っていて、近づいた俺たちを
「武藤です」
美岬が答える。
単純にそれだけを。
「去年、飲んだ薬は?」
「TXα」
「案内いたします」
この展開、予想はしていたけどね。
それでもこうスムーズに事態が進むと、恐怖と快感の中間ぐらいで慄えが来るよね。
人気のない、吹き抜けの大きくて中が空洞になっているようなビルに入り、エレベーターで昇って、会議室。
ノックして入った部屋の中には、クールビズとはいえ、きっちりした服装の人が一人。
坪内佐だ。
シチュエーションといい、すべてが去年と違いがなさすぎて、デジャヴュを通り越してちょっと感慨深いものがある。
もっとも、あのときの美岬が着ていたのは、可愛いくまさんパジャマだったな、なんて思う。まだ、美岬と二人きりで夜を過ごしたことはない。だから、あのくまさんパジャマがまだ現役か知らないけれど、もう一度見たいよね。
坪内佐、相変わらず、優秀な脳髄がむき出して歩いているような怖さを醸し出していた。
「聞こう」
いきなりそれで、それだけですか。
いつもどおり過ぎるほどに、いつもどおりだとも言えるけどね。
ただ、いきなり「聞こう」と来たからには、この部屋のクリーニングは済んでいるという考えで良いのだろう。むしろ、「久しぶりだな」とか「元気にしていたか」ときたら、盗聴されていることを考えねばならなかった。
武藤さんから預かった、フロム・ザ・バレルのウィスキーのミニチュア瓶をまずは坪内佐に渡す。
その中身については、なにも聞かされていないことを伝え、それから俺は、今日起きたことを説明した。
三度目ともなると、説明もスムーズになるし、時間もかからない。
クローン疑惑も話したし、坪内佐が知っている武藤佐含めて三代の血液型についても話した。
その後の、武藤さんの考察については、武藤さんが考えたということは言わずに美岬が説明した。
なんていうのかな、俺も美岬もまだ社会人じゃないけれど、言わば親の会社の同僚に、親の不調をぺらぺら喋るべきではないという気がしたんだよね。
感情に流された、ってやつだ。正しいことではなかった。
こちら側の事情説明が終わって。
「武藤宅での検討は、作戦方針が定まらないと動けないというところで止まっています。
日本という国の中東における立ち位置に関わりますから、こちらで責任が取れるのは督でしょうか。
もしくは、それ以上の表の然るべき立場、然るべき責任を取れる人の判断をいただきたいのです」
そう美岬が締めた。
「そうだな。
さすがに、グレッグと双海君が昼間話したというだけでは、上にその話を上げることはできなかった。
だが、今回、想定外だったのは、双海真由さんの誘拐と、そこから察せられるアメリカ国内の分裂だ。
その分裂を煽ってやれば、こちらは一切の手出しをしないまま、事態終結を迎えることも可能かもしれない。その結果として、アメリカが上手く行って甘い汁が吸えるのであればそれでよし、上手く行かなくて痛い目にあってもそれでよし。
今回は、どちらの勢力に恩を売っても、恨みを買っても碌なことにならないので、こちらは一切関知しない。
もちろん、その結果にも関知しない」
「そんなことが可能でしょうか?」
「いくつか腹案はある。
大統領選という不確定要素も絡むので、できればどちらにもリップサービスはして、実は与えないというのがベストだろう。ただ、そんな甘いものでもないので、さらなる検討は必要だろう。
ただ、武藤佐のコネクションに情報を流すことに限っては、上に聞かなくてもよい。私としては督にも諮りはするが、実行してくれ」
「分りました。
情報を流すことに限り、ですね」
「ただ、タイミングは十分に注意してくれ。それは武藤佐に一任する」
ちょっと考えはしたけれど、なるほど、と思う。
情報を流すことに限れば、問題は確かにない。
アメリカにも中東にも恩を売れる。
判断についての注意も付け加えれば、さらにベストだよね。
でも、そこから一歩でも踏み出したら、危ない橋を渡る事になる。
日本の情報源がS国に、「罠だよ、これ」と明確に言っていたなんて話がアメリカに漏れたら、大変なことになるからね。
て、そこまで考えたら、もう一つ気がついたことがある。
そうか、伝えたことで、ステージが一つ進み、その際に付け入る隙が生まれるんだよ。
この問題、アメリカ国内の二つの勢力は、ステージが進むほど対立の妥協点が見いだせなくなるからね。あ、こりゃあ、ゲーム理論とか、真面目に勉強しなきゃあ、だなぁ。ゼロ和ゲームだっけ? こういうの。
ともかく、勝者はどちらか片方しかいない。両者勝利はありえない。
だから、時につれ争いは激しくなる。だから、漏らしていい情報はどんどん漏らす。
姉の人質としての価値を陳腐化させることができるし、救い出す機会も見いだせる。
たぶん、武藤さんもそこまで考えていただろうな。
でも、坪内佐の判断がないと、実行はできないのが辛いとこだったんだよね。
「この話が終わったら、私たちは戻りますが、その後の情報交換はどうしましょうか?」
俺が聞く。
「このルートを使ってくれ」
坪内佐が、机の上に裏返しに用意していたA4の紙を渡してきた。
一瞥して仰天した。そう、文字どおりの仰天。
「これって……」
「そうだ。
アメリカ政府の内部秘回線だ。ここに便乗すれば、エシュロンにもかからない」
「どうしてこんな方法が……」
「私が答えると思って聞いているのか?」
なんだよ、その意地の悪い逆質問は。
でもさ、確かにそう言われても仕方ないほど、間抜けなことを聞いたよな、俺。
今日は、俺、こればっかな気がする。
「武藤佐も、こういうのを持っているのだろう?
私も持っていたって不思議はない。
諜報の世界にいる以上、
日本にだって、ウィザードクラスはいくらでもいる」
「はい」
美岬と声を揃えて返事をしてしまう。ハッカー、それもとびっきりの優秀なのを
「日本の国内担当で、直接戦闘にも関わらないこちらが、そんな内職をするとはアメリカの各機関も思っていないだろう。そこが付目だ。
だが、扱いとその使用回数自体も極めて注意をお願いしたい。
使わなくて済むことは、使わないで欲しい。今までどおりの方法でも、大抵のことは通じ合えるはずだ」
「解っています」
「その紙も、武藤宅で本日中に確実な処分を望む」
「承知しました」
重く感じる紙を受け取る。
一段落したところで、さらに聞く。
「私たちの遺伝子の関する特許は、やはり、坪内佐がされたのですか?」
「そうだ」
答えは明確で短かった。
「それは、やはり、グレッグの、アメリカの行動を
「そこまで明確に意識をしていたわけではない。
一応は同盟国だしな。
だが、起きうることとして可能性は潰しておきたかった」
シンプルに、小気味よいほどに短く返してくる。
で、この人の言う「起きうること」って、どこまで含んでいるのだろう。
「石田佐には、もう少し別の光景が見えているようだ。
だが、それについては私には分からない」
そうか、石田佐もなんか考えているのか……。
でも、分からないって明確に言われちゃうと質問もできない。
美岬が、別の角度から踏み込んだ質問に入った。
「遺伝子特許を取るに当たって、誰の遺伝子を解析しましたか?
祖母ですか?
母ですか?
それとも、私ですか?」
「美岬さん、君のものだ。
武藤佐は、個人として行動することが少なく、結果としてDNAの採取が難しい。君の祖母の朝倉佐に至っては、『つはものとねり』引退後、どこにいるかさえも突き止められない。現役の頃は、それなりによく話したのだけどね。
それに対して、高校生の君たちは、日常生活の中からDNAを回収することは
「そして、真のも含め、15番目の染色体から解析を始めたんですね?」
「そのとおりだ。
国内でヒトの規模の遺伝子を読めるだけの設備を持つところは限られる。遺伝子を読むまで踏み込まない親子関係の証明などとは、分析のレベルが異なるからな。
それでも、15番目の染色体のみに限れば、そう難題ではない」
「アメリカも、でしょうか?」
「おそらくは、15、19、性染色体あたりの計6本はもう読み終えているだろうな。
とはいえ、基本的に研究機関も、DNAの解析をする会社もスケジュールで動いている。
それに割り込むためには、権力や金力と言ったものの他に、そもそもの読むDNAの量を減らすしかない。日本よりはるかに恵まれているとはいえ、その原則はアメリカでも変わらない。2n=46本全てを短期間には無理ということだ。
農産物にしても、その国の主要なものは他の国に特許を取られないよう、DNA解読に必死だ。
日本でいえば、コメの塩基配列については、ほとんど国内で読み切って法的手続きも完了している。これにより、他のアジア諸国は、コメに関しては日本の後塵を浴び続けることになる。いかに中国が経済発展を遂げてきていても、遺伝子情報に関して握っている重要特許は、まだまだ日本のものが大部分を占める。
アメリカでいえば、麦、トウモロコシと牛だね。イギリスはキュー・ガーデンを始めとする伝統があるから園芸植物に一日の長がある。
そういったものの読み込みのスケジュールは、即、国益に繋がる重要事項だ。
簡単に割り込めるものではない」
緊張というよりは、怯えに近いにおいを感じて美岬を見る。
その顔色は、かなり悪く見える。
核心的なことをまずは確認しておきたいのだろう。
「では、一つ教えて下さい。
15番目の染色体についてですけれど……」
やはり、そこか。
視覚と嗅覚の遺伝子が入っている、問題の15番目だ。
「あまり専門的なことは答えられないが」
「構いません。知っている範囲で教えて下さい」
美岬の言葉に坪内佐は頷いた。
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