第3話 投げかけ
俺が動揺させられた問題は、この場でさえ三つある。
一つ目、アメリカに行ったときも、あれほど注意していたのに遺伝子情報を抜かれたという失態。これにはもう、苛立ちを感じるしかない。
二つ目、おそらくは、「美繰」とは美岬の祖母だろうということ。すなわち、遺伝子情報を抜かれていたのは、俺たちだけではない。先々代から抜かれていたんだ。遺伝子解析技術が、いつから確立した技術かを俺は知らない。それでも、昔からサンプルを取っておいたからこそ分析できるのだろう。そう考えると、アメリカの徹底した姿勢に恐怖を感じざるを得ない。おそらくは、えんえんとサンプルを液体窒素で保存し続けていたのだろう。
三つ目、母娘三代で、なぜ、塩基配列もその発現も一致しているのか?
上の二つは、テクニカルな問題に過ぎない。
これから先、遺伝情報の完全な秘密保持は難しいだろう。
生きている以上、飯を食うときには食器を使うし、トイレにもいく。シャワーも浴びるし、理容や美容とも無関係にはいられない。病気になったら病院にだって行くだろう。遺伝情報を抜くことのできる機会が多すぎて、防御が難しい。というか、不可能だよね。
この問題に関しては、DNA情報を抜かれることを前提に防御態勢を整えるように方針変換すべき時期だと思う。
で、問題は三つ目だ。
武藤佐の両親は、真気水鋩流の伝承者の父親と、「つはものとねり」の先々代の佐の母親だったはず。
美岬は武藤佐と、あのヒグマの武藤さんの子だったはず。
だけど、グレッグが持ち込んだことが真実だとすると、あの母娘は3代に渡ってクローンってことになりかねない。父親の遺伝子が入れば、塩基配列が異なり、結果としてこのパターンにもっと違いが生じるはずなんじゃないだろうか?
生物の授業の中でも、交叉っていうのがあって、父と母の染色体が情報を交換するってのも教わったぞ。だから、両親から貰った遺伝子は、祖父祖母のものとすら一致しないはずだ。
ということはさ、こんなデータ、そもそもあり得ないってことだろ?
頭の中で、いろいろな思考が渦を巻く。
だって、哺乳類のクローンを作るなんて技術、美岬の祖母の時代にあるわけない。
天然で、女性が自分のクローンを産むなんてことがあるのか、俺にはそれも分からない。
しかも、グレッグが現れて、俺にそれを告げる真意も解らない。
それにさらに勘ぐれば、すべてがでっち上げという可能性すらある。でも、敵対組織でも相手にするのでない限り、明確なデッチ上げは百害あって一利なしだ。
だって、日本でだって、アメリカほどの規模では無理でも、遺伝子解析はできるだろう。
そこで、グレッグの言っていることがまるまる嘘だった、なんてことになったらバカさ加減にもほどがあるってことになってしまう。
「このデータが意味するところは、理解しました。
グレッグさん、それで何を私に伝えたいのですか?」
精一杯、石田佐のやり取りを思い出しながら言ってみる。
グレッグは笑った。
気を使っているのか、気を使っているふりをしたのかは解らないけど、結果としちゃ鼻で笑っただろ、今の笑いはさ。
グレッグにとって、俺では相当に役者が不足しているようだ。
ちきしょーと思わないでもないけれど、どうにもならないよ、これ。
「アメリカ本土でもいろいろと工夫をしていたようですが、双海君と美岬さんの遺伝子は回収し解析済みです。
それでは、我々が知っていることを話しましょう。
ヒトの15番目の染色体に、瞳の色を決定する遺伝子、eycl3があります。それから、赤の色を見る遺伝子は、性染色体のX側にあります。
両方が同時に発現した場合のみ、ギフテッドとしての能力が表れます。
サウスの歴代のギフテッドが、皆、女性だったという理由がここからも解りますね」
俺は、動揺を表情に出さないよう、必死だった。
グレッグと後ろに控えているアメリカっていう国の恐ろしさを、改めて骨身に染みさせられている気がする。
表情は保てても、切り返すようなことなんか、全く言えない。
石田佐か慧思がいてくれたら、と切実に思う。
だって、すべてハッタリということでなければ、もう、俺たちの秘密は丸裸にされている。しかも、科学的に取り繕いようもなく。
「さらに言いましょうか。
嗅覚受容体の遺伝子or4f15も、ヒトの15番目の染色体にあるのです。
これと、先程の母娘三代のデータから推測されることは何でしょうか?」
そんな謎かけされても、俺には分からないぞ!?
そもそも、なんで俺にそれを言う!?
俺は、パニックになりそうだった。もう、頭ん中、ぐるぐるだよ。
「受精という言葉の定義は解りますか?」
「精子の核が、卵の核と融合することでしょう」
ようやく答える。
「一面では正解ですが、卵子の発生の過程は、精子が卵に接触した時点で始まるのです。生殖という意味に囚われず、発生という現象のみでいうならば、細胞核の融合は必ずしも必要ではない」
「そのような卵子は、途中で発生が止まって死ぬはずです。でも、その卵子が、例えば減数分裂を経ていなければ、クローンが生まれてくると?」
「そうなりますね。
そのあたりの仕組みは、まだまだ私たちも仮説を立てる段階です。
もしも、君の仮説のとおりだとしたら、哺乳類で初めて観察される事例でしょう。
ただ、かくのような生物学的裏付けがあって、十代もの美しいギフテッドがこの国に存続し続けたのです」
内心、腑に落ちた部分は確かにある。
でも、話の行き先が未だ俺には見えない。
グレッグは続ける。
「どのギフテッドも十六歳でつれあいに会っていますね。これも、フェロモン様物質の分泌がその歳に異常に高まるからですよ。それも、現時点で読了済みのDNAとマイクロアレイの解析から判明しました」
ああ、美岬の香気とも言うべき香りは、そういうことなのか。
俺ほどの嗅覚がなければ、匂いとして意識しないまま心と身体が引っ張られてしまうだろうな。
暗雲が心のなかに浮かび、胸の内を満たしていく。
俺の想いって、そんなものだったのかな。
深刻な疑問が、抑えようもなく心の底から湧き上がってくる。
自分の立っている足が、実は俺のものではなかった可能性が高い。俺の美岬への想いの正体は、美岬の身体のシステムに囚われた結果に過ぎなかったんじゃないか?
本質的には、俺じゃなくてもいい。
美岬の身体のシステムがなかったとしても、果たして俺は美岬を好きなったのだろうか?
それすらが……、俺にはもう、判らない。
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