第12話 組織改編


 「さらに、問うてもよろしいでしょうか?」

 美羽が沈黙を破り、改めて聞く。

 「どのようなことでござろうか?」

 「加藤様は、水戸様とお会いになられて、どのように思われましたでしょうか?」

 「それがしが、水戸様をどう観たかということでござるか?」

 「はい」

 美羽の表情を窺う。


 まっすぐ見返してくる美羽を見て、ふと加藤はその美しさに気がついた。大年増ではある。また、美緒の言うとおり、歯を抜いてしまっているために、顔の下半分が窄まってしまっていて、確かに老婆にさえ見える。

 それだけではない。

 数日に及んだ毒殺を避けるための絶食と睡眠不足で、眼など落ちくぼみ、青く隈さえ窺える。それでも、この母娘は揃って美しい。

 その表情の真摯さに、加藤は本音を語ることにした。


 「矛盾が多すぎる。苛烈な御仁ゆえ、その矛盾を押し通されてしまわれるのであろうが、理想と現実の折り合いを取るのが不得手と見た。合理ではなく、信念を採る以上、いつか現実からの揺り返しを食わなければ良いと思う」

 「同意、にございます。歴代の水戸藩主の中でも、飛び抜けて苛烈な方であり……」

 「どうやら、美羽殿、それだけでない事情もおありのようだな。今まで聞いた話では、水戸様と美羽殿がたもとを別つには弱い気がする。水戸様が美羽殿を亡き者にするにするにせよ、美羽殿が水戸様の元から逐電するにせよ、もっと決定的な何かがあるのではないのかと疑わざるをえないのだが……」


 美羽が唾を飲み、表情を改めた。

 「実は、昨年のオランダからの『別段風説書』に、容易ならざることが書かれておりました。

 アメリカが日本との条約締結を求める意思を持っており、そのために陸戦の兵と武器を搭載した軍艦五隻が、出航準備をしているとのこと。

 すぐさま、清の商人を通して、イギリスの瓦版を入手いたしました。念のため、幕府通詞の森山栄之助殿の助けも得てそれを翻訳したところ、別段風説書に書かれておりましたることが事実と目されることが判明いたしました」

 流石に、加藤も驚く内容である。


 「それは、日本の存亡の危機ではないか。

 翻訳に間違いはないのだな?」

 「現在、アメリカ、イギリスの言葉が解るのは、この国に私と美緒以外では二十人とはおりませぬ。しかも、そのほとんどは蘭語とともに学んだ者、ロシア語と共に学んだのは、私と美緒のみにございます。清からの伝聞に加え、ロシアからの話もこれを裏付けました。ロシアも、日本に対し軍艦の派遣をしております。アメリカに遅れ、現れることとなりましょう」

 「では、その五隻は、今にも江戸湾に現れてもおかしくないし、加えてロシアも現れるやもということではないか」

 戦慄を持って加藤は言う。


 「はい。ここに至り、水戸様は一気に動くおつもりでございます。老中首座、阿部正弘様は、他の方の意見をよくお聞きの上で判断をなさる方でありますが、逆にそのために水戸様を抑えることができませぬ」

 「上様は、いかがお考えか?」

 「開国やむなしと」

 「それで、上様に最も近い井伊様に、助けを求めようとお考えなのだな?」

 「ご明察のとおりにございます」

 「それでは、即刻、文なりをしたため、井伊様にお送りせねばならぬのではないか?」

 「はい。使いを出すことについては、先ほど、鳩を受け取りに行ったときにお願いしてまいりました。文をしたため次第、届ける手筈はできております。とはいえ、その前に、加藤様のお考えをお聞きせねばなりませぬ」

 「一介の浪人に、如何程のことができようか。それがしの考えなど……」

 遮って美羽が言う。


 「先ほどの水戸様に対する判断をお聞きし、安心してお願いする次第。

 十分な金子きんすを得たとして、南帝をお守りし、ひいてはこの国を守る陰働きの集団を作ることは可能でしょうや?

 そして、その創設を、加藤様にお願いすることはできましょうや?」

 「大きく出られたな。

 だが、具体的には何とも言えぬ。兵はついえがなければ戦えぬ。表との調整も常に必要となろう。表から不要とされれば、南帝をお守りしたいなどといっても、即刻潰されるのが落ち」

 「北の帝は、攘夷をお望みになられておりますが、南の帝は、開国を望まれております。そして、兵衛佐たる私は、アメリカの艦隊指揮官への伝手を持っております。

 これにより、幕閣と話をつけ、その軍団が潰されぬ手立てができましょう。アメリカとの関係が深まるにつれ、我々の身の安全も万全となりましょう」

 加藤は唸った。


 美羽の言うことは解る。美緒のものの見方、考え方よりもはるかに具体的で、うなずける部分がある。

 国際情勢など判らぬが、明日を生き抜くという点で、美羽の言うことはよく理解できるのだ。


 しかし……。

 美羽の考えを実現するのは、障害が極めて多い。軍資金を得たとして、内密のうちに信頼でき、かつ優秀なる人員を集めるのにどれほどの労苦が伴うか、集めた人員の調練をどうするか。仮に優秀な人材が集まったとすれば、それはそれで、無名の浪人である自分の話など、聞くものではない。

 そもそも、なぜ自分なのか。


 「加藤様、先ほども申し上げた八王子千人同心以外にも、我々の息の掛かった者はおります。そして、その者達は、帝に仕えるのみであり、水戸様によって動揺させられることなどございませぬ」

 「それはよい。だが、一介の浪人であるそれがしには荷が重い。

 謙遜や卑下ではござらぬ。真気水鋩流、そこまで名の通った流派ではござらん。

 人は権威に従うもの、たとえ帝から明日からこの者の言うことを聞けと言われて、素直に聞くものではござらぬのではないか?」

 「いいえ、真気水鋩流については、この先も伏せていただきたいと思っております。生きて帰る、それは、一人の人間として有効であれば、集をたのむ時にも有効ではありませぬか。

 この先、我々は、勝つことにより団結し、勝ち続けることで存続を許されるという、極めて脆い集団にならざるを得ないと考えております。せめて、百年勝ち続けることができれば、負けをも受け入れられる素地ができましょう。

 しかし、今は、それは叶いませぬ。

 真気水鋩流を伏せ、他に知られないことで先手を取るという使い方をしていただくしかないかと」

 加藤から見ても、これまで知られることなく続いてきた真気水鋩流を、呆れるほどに理解したものの言いようである。


 美羽が続ける。

 「兵衛府の佐として、組織、人についてはまとめ上げて見せまする。加藤様におかれましては、その組織の生き残りを果たしていただきたいのでございまする。一つの群れを創設するとはそのような意で申し上げました。

 近々のことではありませぬ。歴史の中での創設をお願いしたいのでございます」

 「よろしいのか?

 真気水鋩流、卑怯のそしりを受ける判断もありえますぞ」

 「なんの、綺麗事のみで目的が果たせるはずはございませぬ。

 それだけではございません。

 先ほどお聞きした、加藤様の美緒に対する眼差し、それは仁でございましょう。仁を秘しながら、苛烈な判断をしてこそ、乱にいて治を忘れず、治にいて乱を忘れないことになりましょう。

 そのような方をこそ、求めておりました」

 「む……」

 加藤は口を閉ざした。


 ある意味気楽な毎日が惜しいと思わないでもないが、すでに心は決まっていた。

 ふと思う。

 父も、このように説得されたのやもしれぬ、と。

 最初から弑逆などという大それたことを引き受けるつもりなどないまま、抜け出せなくなったのかもしれぬ。


 数呼吸ほどの沈黙の後に、加藤は答えた。

 「大仕掛けな話については、敢えては答えまい。だが、美羽殿、美緒殿については、この身を徹してお守り致そう。ご存分に働きあれ。

 美羽殿、早速に、井伊殿への書をしたためられ、少しでも何かを口にして、お休みになられるがよい」

 「なるほど、加藤様の言いたいこと、解りました。お言葉、ありがたく頂戴いたしまする」

 「井伊殿への書には、当然、何らかの印が必要と思われるが、それは問題ないのか?」

 「各藩、藩主と家老には、南の帝の存在のみは知られております。当然のごとく、信頼に足る割り符もございますれば……」

 「これは不要なことを申した。許されたい」

 加藤は軽く笑いながら言った。美羽の緊張をほぐしたかったというのもある。

 だが、逆に美羽は表情を改めた。


 「加藤様、申しあげます。

 先ほどの加藤様のお言葉につき、十分に理解しております。その上で、お願い申し上げます。

 南帝のために捧げたるこの身が、このようなことを申すべきではないのは重々承知。

 それでも、加藤様の言に甘えますれば、美緒はまだ若く未熟、何としてもその身は守ってやりたいと思うておりまする。

 あの歳にして、百戦錬磨の上位幕閣はおろか諸外国のことも考えねばならぬは不憫極まりなく、この思いを持ってしても、非力なるこの身には何もできず……」

 美羽は言う。ただ、ただ、真摯な真顔で。

 加藤は思う。これも美羽の母としての本質かと。


 「美羽殿。もう良い。

 繰り返すが、さっさと書を認め、休まるるが良い。

 美羽殿が休まれねば、この身を休ませる番が回って来ぬ」

 加藤の諧謔おどけた言に、ようやく美羽は頷いた。

 

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