第8話 待ち伏せ


 「頼むぜ、お美緒ちゃん」

 加藤は、美緒を初めて名で呼んだ。

 加藤のねぐらとしている庵まで、一町ほどの距離。増上寺からさほど離れていないが、田畑の混じる地帯である。

 「建物の陰に、二名います。片方は、先ほど加藤様を襲った者に見えます」

 「ご苦労なこった。

 水戸屋敷まで往復しての夜勤たぁ、頭が下がるぜ。ましてや、彼奴ら、船も使えず走りだったんだろうなあ」

 「加藤様……」

 美緒が、咎めるような視線を向けてくる。


 「お美緒ちゃん、あまり気張りすぎるな。こういう時に、心身が固まっちまうのが一番良くない。持てる技倆の全てを出し切るためにもな。

 覚えておけ。

 気楽と不真面目は違う。

 それだけじゃねぇ。俺は今、刀を持っていねぇ。それでどうやって戦うかなんて、真っ当にやってたら、あんな手練れ相手に命がいくつあっても足りゃしねぇよ」

 「はい」

 「建物の中にもいるか、いねぇか、判るか?」

 「いません」

 美緒の言葉は短く、明確だった。


 「すげぇもんだなぁ。感心するぜ。

 じゃ、行ってくるからな。ちょいとばかし待ってな」

 「私も……」

 「すっこんでな」

 「でも……」

 「邪魔だ」

 打って変わって、武家の語調、鉄の意思を表すものになる。

 硬く、冷たく。

 先ほどとは別人のように。

 それでもという表情の美緒を、目の力で押さえつけて加藤は歩き出した。


 美緒は、体がまだできあがっていない。相当の稽古の量こそうかがえるものの、あの手練れに勝てるとは思えなかった。ならば、自らの間合いに入るものすべてが敵と割り切れるほうが戦い易い。

 加藤は歩きながら懐から未だ濡れている手ぬぐいを出し、左手からぶらりと下げた。

 謡を口ずさみながら、上機嫌に酔った偽装で塒の庵に近づく。


 庵の戸に手をかけた瞬間、先ほどと同じ凄まじい殺気が首筋を襲う。

 それを予想していた加藤には、余裕があった。

 二人の敵による挟み討ちを予測し、先ほどの手練れの方は全く無視し、反対側の男に飛びかかりざまに手ぬぐいを振るう。


 手ぬぐいは、もう一人の男の持つ刀に巻きついた。刀に濡れた手ぬぐいが巻きついたら、切るに切れず、ほどくにほどけぬ。為す術もなく刀を持ったまま棒立ちの男の横顔に、歩きながら拾っておいた拳ほどの石を叩きつける。


 声も立てられないままに倒れる男を見送らず、先ほどの手練れの男に向き直る。

 すでに、一の太刀を躱されており、焦り気味の二の太刀が振られていたが、加藤の口から薬研掘の粉が手練れの男の顔めがけて吹き飛ばされた。

 失速した三の太刀を余裕を持って避け、さらに一歩下がって相手を観察する。

 刀の構えこそ崩れていなかったが、目に入った薬研掘の痛みに、男の表情は苦悶していた。唐辛子による痛みは、とても目を開けていられるものではない。


 「卑怯!」

 「隠れて待ち伏せしていた奴が、笑わせるない」

 そう言って、あらためて足元から拾った拳大の石をゆるく投げつける。この男ならば、見えぬ目に頼らず、苦悶しながらも感じた気配に向けて刀を振るだろう。だからこそ、気配を発せぬように投げたのだ。

 加藤は相手の間合いに入らなかった。投石は、印字打ちといい、合戦場では正当な戦闘手段なのだし、危険を冒す気など毛頭ない。


 鼻柱に当たった石に、鼻血を吹き出しつつ、男は片膝をついた。それでも刀を捨てず、未だ構えを解かないあたり、相当の覚悟がうかがえる。

 次には、漬物石大の石を持ち上げ、刀の間合外から頭めがけて叩きつける。

 憐れと思わなくもない。

 この男も、武士の端くれとして、剣に生き、剣によって身を立てようとしたのだろう。

 斬られて死ぬのであれば、本望ですらあったろう。

 だが、その機会は永久に失われた。



 − − − − − − − 



 「埋めるにしても、穴ぁ、掘るのは面倒くせぇな。どうすっかな?」

 ぶつぶつ呟く。

 いつの間にか、美緒が近寄ってきていた。

 「なんなんでしょうか?」

 言葉に険がある。


 「何が?」

 「これが、武士たる者の戦いでしょうか?」

 流石に夜目が利くだけあって、一部始終を見届けたらしい。

 「何言ってんだ、お美緒ちゃん。源平から島原まで、いくさってのは例外なくこういうもんだ」

 「正々堂々、士道に則って……」

 美緒の言い出した言葉半ばで、加藤は呆れ返った。


 「闇討ちに対するのに、正々堂々もへったくれもあるかよ。お美緒ちゃん、俺たちの目的はなんだ?」

 「生きて、主上をお守りすることかと」

 「目的は果たしている。

 言っちゃ悪いが、御庭番も武鑑に載るようになっちゃおしまいだな。

 武士ならばな、犬と言われようが、畜生と言われようが、勝つことがすべてなんだよ。戦いとなれば、卑怯上等。生きて目的を果たせなきゃ、侍は犬死なんだ。

 繰り返すが、昔から戦場じゃ、これが当たり前なんだよ」

 「剣の道とは……」

 近頃の道場剣法は、戦さから遠ざかり過ぎて、武士を芝居の登場人物のような小綺麗なものにしちまっていると、加藤は思う。

 父ならば、このような議論を吹っかける美緒に、平手打ちぐらいくれていたかもしれなかった。


 「ぐだぐだ言ってねぇで、家の裏にある鍬で穴ぁ掘んな。野良犬に掘り返されねぇよう、深めに頼むぜ。俺は、口を漱いでくる。辛くっていけねぇ」

 そう言って、美緒に背中を向ける。

 だが、口調と裏腹に、加藤は悩んでいた。



 人殺しに美学など求めても無駄なんてことは、嫌でもだんだん分かることだ。それは自分で悟ればいいし、説明する義理はない。

 美緒の今の態度からも判る。

 相当の修行をしているにもかかわらず、また、相当の修羅場を潜り抜けているにもかかわらず、おそらく、美緒は人を殺したことがない。また、その現場に立ち会ったこともない。

 美緒を、人を殺めることに慣れさせるのであれば、惨殺した死体の片付けをさせるのが一番の近道だった。


 だが……、それでいいのか?

 自分と同じように、美緒が表情も変えずに人を殺せるようになって、それで満足なのか?

 さらに一歩進めば、人殺しがうまくなると、それがおもしろくなるという領域にまで至ることになる。自分が通ってきた、通り過ぎてきた道だ。

 頭はそれが当たり前だと言うのだが、心は結局、納得しなかった。



 加藤が、口をすすぎ終えて戻ったとき、汗をかきながら美緒が穴を掘っていた。

 庵から持ち出した行灯の灯りひとつを頼りに、綸子りんずの着物は汚れないよう脱ぎ、半襦袢の上に加藤が投げてやった木綿の単衣を羽織っているが、それはすでに汗と土に汚れている。


 遅々として進まない。

 打ち物稽古と、穴掘りは全く違う。屁っ放り腰もいいところだった。


 「お美緒ちゃん、あんたぁ、おぼこかい?」

 穴を掘り続ける美緒に声をかける。

 きっ、と睨み返す美緒の上気した顔が、一瞬見惚れるほど美しい。

 「仕方ねぇな。もう少し、おぼこにしておいてやる」

 なんとなく視線を逸し、片肌脱ぎになって、鍬をひったくる。


 鍬が、別の道具となったように、一気に穴が深くなっていく。

 穴が掘れた段階で、美緒を水汲みに行かせる。手を洗い、汗を拭き、身支度を整えるためだ。

 美緒が水を汲んでいる間に、二つの死体を調べる。現金の持ち合わせは微々たるものだった。刀も、名刀の部類に入るようなものではない。

 よくもこの刀で、あの腕になるまで修行したものだと思い、改めて憐れになる。人骨を斬って刃こぼれをさせたくないがゆえに、あのような首筋のみを狙う技を極めたものであろうか。


 身元が明らかになるようなものも無かった。

 あえて、そう言ったものを持たないようにして、ここまで生きて来たのだろう。二人から髪を一筋ずつ切り取る。もしかしたら、遺髪として何かの機会に遺族に渡せるかもしれない。我が身を危険に晒してまで、それをするつもりはないが……。

 穴の底で遺体を整え、それに向けて両手を合わせる。そして、穴の埋戻しをする。


 土饅頭にするわけにもいかないので、平らにならし、できるだけ堀った跡が目立たないように偽装する。

 「水は汲めているのか?」

 美緒に聞く。

 ……ん、泣いているのか。

 「行水まではできぬが、身支度を整えよう。このまま、水戸屋敷に戻り、美緒殿の母上を助ける」

 「はい」


 涙には気づかぬふりで、美緒に新しい手ぬぐいを出してやり、身支度を整える。

 加藤は、水戸屋敷の者に顔を知られていない。加藤を斬ったという報告をしに、加藤自身が行ってもなんとか切り抜けられる成算はあった。

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