第3話 水戸藩上屋敷


 女は程近い船宿に入り、当時の高速船である四丁艪よんちょうろ猪牙ちょき舟を頼んだ。

 加藤も、船宿に釣り竿と魚籠を預け、身軽となる。

 江戸は水路が発達し、併せて水運業の発達も目ざましかった。

 加藤の昼間の釣りも、その恩恵に与ったものである。舟も船頭も選択の幅が大きい。

 四丁艪の猪牙舟なので漕ぎ手は四人、しかもかなり酒手をはずんだものと思われ、若く逞しい船頭が疲れを知らぬように息を合わせて漕ぐ。


 江戸湾を北上し、隅田川に入る。そこからさらに神田川に入った。

 加藤は、川を下る際でもここまでの速さの猪牙舟は経験がない。

 加藤にとって予想外だったのは、舟が着いた先が武家屋敷、それも広大な庭園を擁する水戸藩のもの(現、東京ドーム球場)だったことだ。


 水戸藩では藩主の謹慎が解けて藩政に参与を始めたと、加藤も聞き及んでいる。

 が、加藤には水戸藩に迷惑をかけられた覚えはおろか、どのような関わり合いも記憶にない。


 「大変申し訳ありませぬが、こちらからのお入りをお願いいたします」

 女が言う。

 士たる加藤を、正門ではない門から入らせる事を詫びているのだ。

 加藤は無言で頷く。

 とはいえ、猪牙舟からそのまま上屋敷の敷地に入れるので、むしろ合理的ではある。

 それに、案内役の女が町娘姿のまま正門から入るわけにはいくまい。

 ましてやこの時刻である。

 

 庭園の一画を歩き、屋敷内に入る。不思議と、かなりの人数がいるはずの水戸藩士とすれ違わない。

 「この間にて……」

 女が襖を開け、一室に加藤を招いた。

 外に面していない、奥まった一室である。

 本来なら、窮地となりうる部屋に入るべきではない。

 しかし、加藤は覚悟を決めていた。そもそも、加藤を害するつもりならば、船上にいるところに遠くから矢でも射かければ済む話だ。一本二本では心許なくとも、数人以上で一斉に射かければ、流石の加藤でもなすすべがない。船から水中に逃れても、射掛けられた矢を避けるのがより困難になるだけだ。

 したがって、わざわざここまで連れてくる必要はなく、話が済むまでは、危害が加えられることはないだろうと思う。


 部屋には、五十歳程に見える、狛犬然とした顔に癇の強さの出た武家姿の男が上座に一人、町人姿の老婆が一人傍に控えている。

 百匁蝋燭が二本、明々と部屋を照らしていた。

 「これへ」

 武家姿の男が言うので、加藤はその前に座った。加藤を案内してきた女は、老婆の隣に座る。

 「水戸藩主、徳川斉昭である」

 もしかしたらとは思っていたが、やはり名乗られると驚かずにはいられなかった。


 「浪人、加藤景悟郎にございます」

 平伏する。

 「おもてをあげよ、楽に」

 声が掛かったので、加藤は顔を上げた。値踏みするように、まじまじと見つめてくる斉昭の視線を受け止める。

 「お主の事を内偵しておった。それが公儀に露見しての」

 「はい」

 何のことやら判らぬ。


 「殿様、卒爾そつじながら私から説明を」

 町人姿の老婆が言う。

 町人姿であっても、言葉は完全に武家のものである。

 「うむ、任せる。こちらの婆に見えるのが、名は美羽みう、かの間宮林蔵の娘よ」

 斉昭の言を受けて、

 「美羽と申します。あなた様をご案内したのが、娘の美緒にございまする」

 と名乗った。


 加藤も間宮林蔵の名は知っていた。かの伊能忠敬の大日本沿海輿地全図だいにほんえんかいよちぜんずを持ち出したシーボルトを、密告した者ではなかったか。

 武士とはいえ隠密の血を受けた女なればこそ、武士でも町人でもあり、また、そのどちらでもない雰囲気を持っているのだろう。


 改めて母娘を見れば、やはりよく似ている。

 それと同時に、加藤は軽くない違和感を感じた。美緒は十六、七歳に見えるのに比べ、美羽と名乗った母親の方が歳を取すぎて見えるのだ。その一方で、美羽の声が歳をとった女のそれではないことと、さきほどの「婆に」という表現に。


 加藤の不審に気がついたか気がつかないか、美羽はそのまま説明を始めた。

 「我々は、古くから在る組織そしょくの者として主上に仕えておりまする。そして、その組織では、優れた技を持つ者に働いてもらっておりまする。加藤様、あなた様に、我々にご助力いただきたいとお願い申し上げまする」

 加藤の認識では、主上とは、後に孝明天皇とおくりなされる天皇のことである。

 「主上に仕えて」というからには、水戸家への仕官ではあるまい。ただ、自分のことを調べていたということにしても、わざわざ水戸家の藩主が出張るなど、筋が違うこと夥しく、迂遠うえんが過ぎる。

 口調が、いぶかしげなものにならざるをえない。


 「主上をお守りする、帯刀の舎人たてわきのとねりということでありましょうか?」

 帯刀の舎人とは、皇族を護衛する侍のことである。

 「はい、ただし、南の」

 加藤は、理解に数秒を要した。

 流石に驚いて声も出ない。


 「長禄の変で、南朝の血は途絶えたと思っておりましたが……」

 ようやく、それを口の端に乗せる。加藤も武士の端くれ、基本的な教養は持っている。


 長禄の変とは、この時代からも四百年を遡る、室町時代の長禄元年十二月二日(1457年12月27日)に赤松氏の遺臣らが、南朝の皇胤である自天王と後南朝の征夷大将軍である忠義王の兄弟を騙し討った事件である。この際、南朝が保持していた神璽が持ち去られている。


 「長禄の変の八年前に、中国の明で土木の変が起きておりまする。異民族の侵入から帝が囚われるという、あってはならないことが起きました。元寇の記憶が薄れたとはいえ、また、元の後朝である明との関係が良かったとはいえ、南朝派、北朝派は共にこのことについて議を行いました。しがらみを捨て、とまではいきませぬが、他の国からの冦掠こうりゃくに備え、複数の血筋を残し続けることに合意がされました。

 そこで、密かに北朝、南朝共にその血筋を残すはかりごとがされ、その実行には双方の協力がされました。これに伴い、我々、南帝の護衛たる兵衛府も独自に残されました」

 加藤は、ようやく言葉を絞り出した。

 「長禄の変は、偽装だったと」

 「はい」

 美羽は、事も無げに返事をした。


 「朝廷としても、当時の武家による帝の利用を快く思っていたわけではなく、外国からの侵略だけでなく、武家による帝の廃止の危険をも心配しておりました。もはや帝と朝廷は安泰ならずと踏んで、血脈の保持を計られたのでございまする」

 「なるほど、赤松氏の振る舞い、それを聞けば納得できることも多ございますな。では、今も、主上は二人、いや、三人いらっしゃると?」

 美羽は頷いた。

 「そういう事になりまする。私たちが知る範囲だけならば。ただし、もう一筋ぐらい血脈があっても、驚きは致しませぬが」


 ここで、斉昭が話し出した。

 「四十年ほど前、オランダの近くにあるフランスという国で、王と王妃共々に弑いされるという事件が起きた。そして、そのお家再興は、今に至るまでなされていない。

 この日の本の国で、このような事件が直ちに起きるとは思えぬ。が、蘭医のシーボルトが日本の地図を持ち出すなど、異国からの調略は止むことがない。

 あまつさえ、去る年には、アメリカの異人どもが小笠原に上陸をした。

 近頃に至っては、調略を超え、このような行動に直接踏み込む異国の者輩ものばらが多い。この先、どのようなことが起きても不思議はない。

 いっそ、過去の令にもどり、近付く異国の船をすべて打ち払ってしまえば良いのだが、なかなかそうもいかぬ」

 国内、中国の歴史はともかく、ヨーロッパの物語以上の風説は、江戸の巷間にいる加藤にはなかなか知り得ない知識であった。また、この時代、すでに異国船打払令は廃止されている。


 斉昭が続ける。

 「南朝の護衛として置かれた兵衛府は、余とこの美羽により、今なお主上をお守りするための働きに勤めておる。

 それに対し、現朝廷の兵衛府はあくまで形だけのもの。

 長官として兵衛督の職があり、明石松平家、尾張徳川家が勤めておるが何もしておらぬに等しい。しかも、徳川あっての彼ら、徳川と主上に争いが起きれば主上に付く我らとは心根が異なる」

 加藤は不審に思った。では、水戸徳川家はどのような立場なのか?


 斉昭は、加藤の疑問を悟ったか、話を続けた。

 「水戸徳川家は、光圀公の時代から大日本史を編纂、神皇正統記を正当なものとして認めておる。したがって、南朝兵衛督を代々勤むるは当然のこと」

 相当に、そのことを誇りに思っている風が窺える。


 水戸学に詳しいわけでもない加藤としては、素直に頷けない。


 「この城を食う」に通じるからと、武士に忌まれるコノシロも合理として旨ければ食う。断面が三つ葉葵に似ているからと遠慮されるキュウリも食う。縁起担ぎや、語呂合わせに興味はない。それでも、加藤は浪人とはいえ、侍として面従腹背は矜持からもできない。

 殺し合いの場で生き残るための、化かし合いではないのだ。


 だが、斉昭の発言は、徳川御三家の一画が、公然と叛意を唱えているに等しい。

 武士としては、将軍の地位を乗っ取る意思の方が、まだ「その意気やよし」とも言える。が、徳川の一族が、何らかの理屈を付けて将軍家より優先する主君を想定するとすれば、それはもはや侍とは言えまいのではないかと思うのだ。

 光圀公のことは加藤も聞き及んでいるが、藩祖の意思だからとそこまで言い切ってよいものなのかとも思う。

 そもそも、天皇を守るべき征夷大将軍が、その任に反して敵対するという前提がおかしい。また、水戸も御三家のうち、将軍になる者を生む家系なのだ。なので、水戸家から将軍が生まれたら自己矛盾を孕んでしまう。


 かつて世が乱れていたときに、真田家のように生き残りのため一族が敵味方に分かれることはあった。ただ、それは、一族の生き残りのためであることを自覚しており、積極的に一族を割るためではなかった。だから、どうにも、その辺りも理解できぬ。

 加えて、「近付くすべての異国の船を打ち払ってしまえば良い」という言葉にも、素直に頷けないものがある。よく言えば直情に理想を追う、悪く言えば士としての慎重さに欠けるのではないか。


 孫子にも、「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」とあるではないか。攻撃は反撃を呼ぶ。そして、異国の者たちが自国にどれほどの武力を備え持っているか、確認のしようもないのだ。


 それだけではない。

 相手が難破船であれば、人としての情にも欠けよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る