第23話 鑑定と太い釘
紅茶にミルクを入れ、一口飲んだ美岬が首を傾げる。
「真、なんの香りかな? これ」
「貸してみ」
そう言って、カップを受け取って一口。
ミルクピッチャーを取り上げて、そのにおいも確認する。
「すげぇ、牧草の香りだよ。牛が食べた草の香りが、そのまま乳に映っているんだ。すごいな、飼っている環境が見えるようだ」
「えっ、どういうことなの?」
「あくまで、においからの想像だよ。
日本の牛だと、トウモロコシとか、大豆粕なんか食べさせてるし、それで乳脂量も搾乳量も増えているんだろうけど、この乳を出した牛は、そういうものよりもっと牧草を食べさせられていて、より野生に近い形で飼われているんだと思うよ。
日本じゃ、搾乳量のことだけじゃなくて、牧場の広さとか、牧草の自給とかの問題があるから、こういう牛乳はなかなか飲めないだろうね。また、日本人だと、これを美味しいととるか、異臭がするととっちゃうか、飲む人によるかもしれないね。
搾乳した後も、ローファット化とかの処理もしていない素のままの牛乳で、微量にこの牛の体臭も残っている。俺はこういうの、物語を読むのと同じ感じで好きだな。モノホンのオーガニックって感じ。
もう一つ面白いのは、サンデーの生クリームからはこの香りがしないんだよね」
「ほーっ」
美岬が、唇をすぼめて感嘆の声を上げる。
聞いていた慧思が、自分のコーヒーにもミルクピッチャーからミルクを注ぐ。
「なるほど。草の香りと、獣臭さが混じっているのかぁ」
一口飲んで、頷いた。
「分かるだろ、口に入れると違いがさ」
「うん、判る。
けど、解んなくなったな、この国の食べ物。日本以下と、日本以上しか食べてないぞ。日本の食べ物と同等の美味さのものを食べてないよな」
「こちら側の好みもあるんだろうけど、社会がより二層分化しているのかもしれないな、日本に比べて。
だから平均点は高くないけれど、偏差値の高いのはより高いところにいる」
「外国って、思ってたよりいろいろが違って面白いね」
美岬も言う。
慧思が聞く。
「違いが分かれば、その分、より楽しいよね。
違いが分かればといえば、石田さん、御物の方はどうなったんですか?」
「保存状態に難があるが、日本に持ち帰って修復すれば問題ないレベルだ。総じて、来たことが無駄にはならなかったよ」
じゃあ、後日、電話ででも落札、となるわけか。
「石田さん、質問してよろしいでしょうか」
慧思が続ける。
石田佐は、アイリッシュコーヒーで軽く上気した顔色で頷いた。
「今回、最初に双海を鑑定の場に連れて行こうとしたのは、その特技で、御物の鑑定の手助けをさせようということではなかったのですか?」
「鑑定は、一に知識、二に感性だよ。
歴史的知識を持って、その事実と経緯が、どのように対象物に反映されているかを見るのだ。そして、その反映されたものが真実か、後から作られた偽造なのかは、結局、科学の知識が必要になる。『なんかおかしい』という感性だけでは、とんでもない判断に行き着くことがある。不要だとは言わないけどね。
結局、鑑定眼は、知識がないままに身につくものではない。
このあたり、手術と同じだよ。
君たちに聞こう。
器用だが人体の知識に欠ける医者と、少し不器用だが人体を熟知している医者、どちらに体を預けるかね?」
うっ、体を器用に切り刻まれてたまるか。たぶん、ちょっと余計に切られるわ。
「人体を熟知している方です」
慧思が答える。
「器用かどうかというのが、感性、感覚だよ。これにおいて、双海君と武藤さんはずば抜けている。
でも、極論すれば、鑑定には、そんなことは最終的にはどうでもいいことなんだ。例えばだけど、歴代の帝をすべて言えるかい?」
石田佐の予想どおりの回答になった。
全代、すべて慧思は言えると。美岬と俺は言えない。
「御物を見るにあたってだが、なにかの感性と、歴代の帝への知識、どちらの方が有効と思うかな?」
それは言うまでもないだろう。
「医者の例えも、鑑定も、皆同じだ。
正確な知識を持つことこそが、より良い結果につながる。
そして、他の知識については判らないが、少なくとも歴史については、菊池君はずば抜けて豊富な知識があると踏んだのだよ。そのことを知らない時は、感性のある方をと思ったのだけれどね」
そうかぁ。
高校の教科別成績についても、歴史は美岬ですら慧思に敵わないもんな。素直に認めるわ。
美岬が悪戯っぽい顔になった。
「知識も感性もないと、どうなるんですか?」
「笑い話だが、『若先生は、検査をしないで血液型を当てるのが上手い』って、二代目藪医者への表現がある。その医者に診てもらったあとは、想像のとおりだね」
笑えるけど、考えるほど恐ろしいな。
「そろそろ時間だから、ここを出よう。いろいろな考察は、ネットなりできちんと裏を取っておくことだね」
そう言って、ウェイターにサインをするぞという手振りを送る。
店内でちょっと立場が上そうなウェイターさんが、請求書を持ってきて、支払い欄とは別のところにサインを求めた。そか、支払いはグレッグ持ちだもんな。
俺たちの席についてくれたウェイターさんが、テーブルの上に金貨をばらまいた。
おおっと思っだけど、コイン型の金紙に包まれたチョコレート。日本では、あまりお目にかかれない大きさだ。これはこれでやっぱり嬉しい。
カロリーを考えるとすごい追撃だけどな。
お店を出ると、ほぼ同時にリムジンがやってきた。
そのまま、ニューアーク空港へ。
− − − − − − −
ニューアーク空港に着くと、石田佐が言う。
「ボストンでは、自由行動と話したね。私は、今回のごたごたの後始末をしなければならないので、一緒に行けなくなった。あとは、自覚を持って過ごして欲しい」
えっ、マジか?
「双海君、ちょっとこっちに来なさい」
「はい」
美岬と慧思から少し離れる。
「私は、野暮は言いたくない。また、教師でもない。だから一言だけだ。
バディである、菊池君に甘えすぎないように」
ぐうの音も出ない。
「するな」とか言わないんだ、この人。
それなのに、ずいぶんと太い釘をさされた気がする。
慧思の「計算済みだよ、あの歳の人たちは。むしろ、計算通りかもしれん」って声が、頭の中に
「はい」
返事をしたが、それ以上何を言って良いか判らない。
「菊池君に甘えすぎないように」という一言が、自分でも分かっているだけに、重い。
石田佐は、俺の肩に手を置くと、にやっと笑った。えっ、この人がこういう笑い方をするのは初めて見た。
怖えっ!
もしかして、上品に見えるその外見も、カバーで、こっちが本性かよ、もしかしたら……。
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