第2話 朝食


 年が明けて、三日にはここに来た。高校二年の冬休みも、年明け前六日、年が明けてからは四日間、トータル十日間の訓練となっている。

 それも、あと二日で終わる。三学期が始まれば、また普通の高校生として学校に通うのだ。

 夏休み前に巻き込まれた、二度目の銃弾飛び交う実戦の場から生還して半年が経った。

 「つはものとねり」にスカウトされた、俺、双海真と、バディである菊池慧思、産まれながらに、「つはものとねり」で生きることを選択するしかなかった武藤美岬。

 その三人で、訓練合宿に放り込まれている。


 美岬は、可視波長帯域が常人より赤外方向に広いという能力を持っており、この能力は、母親から受け継いだものだ。

 「余人をもって代え難い」能力なので、美岬の母親は、第一線でこの能力を護衛、諜報に使っている。とんでもない美人でありながら辛辣を絵に描いたような人で、「つはものとねり」の実戦は、全てこの人の指揮下で行われている。

 なので、訓練合宿の教官である遠藤大尉も、美岬の母親の部下ということになる。


 遠藤大尉のカバーは、自衛隊の二佐だ。半年前の実戦で、いわゆる表にできない戦果を上げて、バディの小田大尉と一緒に表で一つ上がったのだ。

 このあたりの表と裏の関係、まだ俺にはよく解っていない。



 寝起きのあまりはっきりしないままの頭で、味噌汁の香りを追うように調理場にしている部屋の一角に向かう。

 合宿訓練も、高一の夏休みから長期休暇の度に行なっているので、俺は高二の冬休みでもう五回目になる。慧思は高一の冬休みからだし、美岬は小学校の高学年のときからという経験を誇る。

 その期間の差は、結果に如実に表れている。

 戦いにおいても、学業においても、未だに俺は美岬に敵わない。


 「渋い、渋すぎる……」

 やはり寝起きの慧思の、うすらぼんやりつぶやく声が聞こえる。

 俺も同感。

 ネギのたくさん入った納豆汁に、生姜の汁を絞りかけた薄切り沢庵、ご飯。蛋白質は烏賊の塩辛に、焼いた鮭。

 納豆汁って、南光坊天海かよ。

 朝っぱらから香りの強いものばかりだけど、たまにはこんなのもいいよな。

 そんな、とりとめのない思考が、寝起きの頭を廻る。


 1日あたりのカロリー、蛋白質の総量などは決められている。その中で何を食べるかは自由だけれど、それでも今朝の朝食メニューの選択は渋いとしか言いようがない。



 「真、菊池くん、おはよ」

 美岬に声をかけられ、「おはようございますー」からの「いただきます」に直結して、箸を持つ。

 生姜の香りの薄切り沢庵をつまんで、ぽりぽりと。


 ん……。

 「美岬、手ぇ、怪我した?」

 そう問いかける。

 香りの強いおかずばかり並んでいるけど、それで俺の嗅覚はごまかされない。

 かすかに、そう、俺以外の人間であれば、調香師ですら嗅ぎ取れないほどかすかに、蜜蝋の匂いがまぎれている。


 俺たちは訓練合宿にあたり、必要最低限の医薬品は持ち込んでいる。

 でも、料理をする予定が頭にある美岬は、消炎効果のある医薬品の湿布類を手には使わないだろう。ハッカ系の香りがすべての食品についてしまうことを知っているからだ。

 ノロケみたいだけど、美岬は、嗅覚の鋭い俺の口に入るものを調理するとき、本当に気を使ってくれている。食器用洗剤まで、ニオイの少ないものを選んでくれるのは本当にありがたいことだ。


 だから、美岬が使ったのは医薬品ではなく、教材の方から出してきたものに違いない。

 訓練は、体力的、技術的なものばかりではない。

 薬効効果のある山野草の知識、砂糖による止血、蜂蜜による目薬など、広範なサバイバル知識も学ばされている。なので、日常生活で身の回りにあって、複数の目的に利用できるものについては、実際に使用するのも訓練のうちとひとまとめに教材として置かれているのだ。


 おそらく蜜蝋を食用油で緩めたものならば、ハンドクリームとしても効果が高いだろうけど、俺は今まで美岬がハンドクリームを塗るのを見たことも嗅いだこともない。

 となると、匂いの極めて少ない精製蜜蝋に、何かの無臭の薬剤を練りこんで手に塗ったというのが一番ありそうなことだ。湿布と同等の効果を求めたのであれば、消炎鎮痛の錠剤が第一候補だろう。


 「えっ、してないよ。怪我をしているのに料理したら、黄色ブドウ球菌が危ないんでしょ?」

 「いや、外傷というより、捻挫とか?」


 怪我をしたとしたら、きっと昨日の飛び降り五点接地の時だ。美岬も俺たちと同じく最初は2mから、最後は3mもの高さから飛び降りていた。3mともなると、なかなかに怖い。

 着地の際には、腕で頭を抱え込んで、足、膝、腰と衝撃を分散しながらごろんと転がり抜けるのだけど、飛び降りを始めた最初の何回かは怖くて手をついてしまうことがあったのだ。薄いとはいえマットがあったから良かったようなものの、直接地面に飛び降りるのであれば膝や腰に青紫色のあざができるような衝撃もある。


 「してないよ」

 「手、見せてみ」

 「やだ」

 余計なことを聞くなと言わんばかりの短い回答。そして、これらの香りの強いおかずのチョイス。

 確信犯ということ、決定。


 相変わらず、嘘、下手だよな。

 美岬、何かを隠している。

 骨折まではいかないにしても、捻挫かなんかをだ。おそらくは昨夜、薬を塗って寝たに違いない。

 朝、調理前に手をよく洗い、匂いの強い朝食メニューでごまかそうとして失敗している。美岬が想定しているより、俺の嗅覚がちょっとだけ鋭かったのだ。


 更に言えば、美岬のことだ。

 この隠すという行為自体は、食事に匂いが混じりこむことを恐れてといのもあるだろうけど、俺に心配をかけさせないために、が大きい。ついでに、着地の際に怯えて手をついてしまった自分を、自分で許せないというのもあるだろう。


 「いいから、見せて」

 少し強く言う。

 俺だって、半年前の実戦で負傷した両腕の関節が治り、ようやく違和感を感じなくなったばかり。だから、捻挫とかの怪我にちょっとは詳しくなっている。

 ちなみに、片腕は美岬の技で手首、肘、肩と一気に極められたせいだし、もう片腕は、戦闘の中で生き抜くために負った負傷なのだ。


 「あのね、女子がイヤと言ったら逆の意味のこともあるけど、ヤダと言ったら本当に嫌なんだよ」

 美岬も、強い口調になる。

 「理屈はいいから。あとに尾をひくような損傷だったら、困るじゃん」

 「なら、真じゃなくて、医者メディックに見せる」

 いつになく、というか、ここまで強硬な美岬は初めて。


 「可愛くない」

 思わず、口をついて出た。

 そんなこと、全然、思ってもいないのに。

 言って、後悔する方が若干早かった。美岬の目から涙が溢れ出すのより。

 思いっきり気まずい。

 美岬の箸も、俺の箸も止まる。

 

 慧思、ありがとうな。これで、美岬作の朝食が手付かずで食べ残されたら、さらに気まずいところだった。朝っぱらから激しい訓練あるのに、ほぼ三人分の朝食の完食、本当にありがとうとしか言えない。

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