第21話 俺の心、限界?
暗い道。
土砂を満載したダンプカーのテールランプ。堤防沿い。フラッシュを焚いたようにそれらのイメージが頭を過ぎる。
夢なのかな、夢なんだろうな、などと、あやふやな自覚がある。
次の瞬間、ぐったりした美岬がダンプカーの前輪に巻き込まれて行く。スローモーションで、頭が轢き潰されていく。可愛く、美しく、飽きずに眺め、キスすら数えるほどしかしたことのないその顔が潰されてゆく。
前輪が通った後には、首のない美岬の体だけが残された。悲しみも驚きもない。ただ、麻痺した感情の中で、自分の中の何かが崩れて行くのだけは自覚していた。
ただ、信じられない夢を見ているという感覚が弾けたのは、ほっそりとしたその体を後輪が立て続けに轢き潰した時だった。
美岬の体を抱き上げようにも、すでに抱き上げられる部分はなかった。人の形をした部分は残っていなかった。
俺は美岬の残骸の上に、全身を投げ出して泣いた。両手でかき集めた美岬の残骸は、強烈な血腥さと美岬の残り香を残して、俺の指の間を赤く染めながら落ちて行った。
俺は、寝ていた床から、躍り上がった。
涙を流しながら、美岬を呼んだ。
いきなり、頬に痛みを感じる。
慧思が俺の顔を張ったのだ。現実がゆっくりと戻ってくる。
「落ち着け、落ち着くんだ。俺を見ろ。頼むから落ち着け」
慧思が呪文のように繰り返している。
気がつくと、俺は棒立ちで、慧思が俺の両肩に両手を置いてがくがくと揺さぶっていた。
美岬が、部屋に駆け込んできた。
アレだけの勢いで名前を叫ばれたら、そりゃあ、来るよな。たぶん、絶叫に近かったと思う。
美岬の姿を見て、初めて夢を見たという自覚が湧いてきた。頭の中で、現実と夢の整理が急速に進む。それでも、無事な美岬を見た途端、立っていられなくて膝を着いてしまった。腰から下の感覚が全くない。腰が抜けるって現象を、納得とともに思い知らされた気がする。
美岬がゆっくり近づいてきた。
必死で手を伸ばし、美岬の手を掴む。そのまま引き寄せるけど、どうやっても立ち上がれない。膝立ちの俺と、立っている美岬。俺の頭を美岬が胸に抱え込むような形になった。
美岬の香り。そして……、心臓の音。
ああ、生きている。
やせ我慢しか取り柄がないのに、それすら手放してしまうけど。
美岬のパジャマに、俺の涙が染みを作って行く。
「大丈夫だから。本当に大丈夫だから」
美岬が低い声で言う。
そっと上を見る。
美岬が俺を見おろしている。この角度で女性に見おろされるって、子供の頃、母に耳を掃除してもらって以来だ。女性って偉大なのな。失礼なものの言い方かもしれないけれど、十七歳の美岬から母性を感じさせられるなんてな。
美岬の胸の膨らみに、頬が触れていることに気がつく。なぜか、狼狽よりも、すっと、心が落ち着くのを感じた。
自分の膝が戻ってきた。
ゆっくり立ち上がる。
「ごめん。ごめんなさい。変な夢見ちゃった。慧思、お前にも謝る。申し訳ない」
慧思は、俺の視線を逃げるように目をそらした。慧思の優しさを見たような気がした。俺の弱いところ、失態を見ていない振りをしているのだ。今更、見ていない振りをしたって意味なんかない。
でも、その心遣いがとてもありがたい。
あれ、なんで美岬、今になって涙目なの?
「ありがとう。大丈夫、私、死なないから」
俺のせいだ。俺のせいで、死ぬかもと思ってしまったんだ。
今度は、俺が俺の胸に美岬の頭を抱え込む。
「ごめんな。大丈夫、心配しなくても上手くいく。目を覚まさせちゃってごめんな」
「違うの。そこまで心配してもらえていることが嬉しい」
そか、健気だな、美岬。でも、俺にもっと力があったら。美岬も含めてみんなを守れるくらい力があったら。
たぶん、俺の心の奥底のどこかは、美岬を失うかも知れないというストレスに負けそうなんだ。
ごめんな、非力で。
慧思の声がした。
「落ち着いたところで、きれいに忘れていたんだけど、今日の欠席を学校に連絡した方がいいんじゃないかな。俺がまとめて連絡してやるってわけにはいかないからな、さすがに。
時間的にはちょうどいい。睡眠時間は短くなっちゃったけどな」
そのくらいの嫌味は言いたいよな。
美岬との間を見せつける気持ちは全然ないんだ。でも、結果的に、お前の居場所を俺が削っているみたいな仕打ちばかりして、いつもすまないな、慧思。
− − − − − −
学校に電話して。
美岬は風邪、俺は階段からこけて、慧思は妹が風邪。
うちの学校の事務室って、ナンバーディスプレイ付いてないよな? 三本の電話が全部同じ発信元と気がつかれたらアウトだもんなー。スマホは電波が出るし、安全のために対策された美岬の家の固定電話から掛けたんだけど、単純に日常の連絡の場合はかえって悩んじゃうな。
なんとなく、夕べと同じようにソファに座る。
どうしようか。俺と慧思は、服、夕べのままだ。さすがに、美岬は着替えているけど。
かと言って、自宅に服を取りに行ける状況でもない。無理に行くにしても、徒歩しか手段がないし。
それに……、あと10時間ほどしかないかもしれない。美岬の顔を見られるのも、だ。
夕べ、坪内佐から連絡があってから、13時間が過ぎた。
たぶん、今日の夕方から、「今まで」を捨てた生活をせねばならない。せめて、名前は維持できるのだろうか。坪内佐はこういうことのプロフェッショナルらしいから、いろいろ上手くやってくれるのだろう。けれど、さっきの夢の生々しさと、現実の先の見えない不安さと、それでも夕方までという執行猶予のせいで何とも中途半端な気持ちにさせられていた。
家の周りの状況は、モニターからリアルタイムで示されているけど、たまにパトカーが通る以外はいつもどおりだ。坪内佐が、警察にパトロールを依頼してくれたのだと思う。たぶんだけど、俺たちがこの家から出ても、擬態として数日は続けるんだろうな、この体制。
俺は何も言わない。美岬も何も言わない。慧思も何も言わない。
ただ、時間だけが過ぎて行く。
写真を撮り合おうなんて気にもならないのな、こういうときって。
で、その状態に耐えられるわけもなく……。
「美岬、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「君の香りがするものを、なにか預けてもらえないかな。どうせ、何を預かっても、6年なんて年月で香りがそのまま残ることはないんだけれど、それでも、なんかあれば嬉しいな」
美岬は、一瞬、悩むそぶりを見せた。
まぁ、確かに悩むよな。服とか身近にあるものでなければ匂いがそもそもしないし、下着は抵抗あるだろうし、その他の服じゃかさ張るし、服以外でとなると案外匂いの染み付いているものってない。
それでも、美岬は立ち上がった。
部屋から出て行って、すぐに戻ってきた。
手にはハサミと、アクセサリーをしまうような小さなビニール袋。
すっと、耳の上あたりにハサミの先を差し込むと、一筋切り取る。
「ごめん、これでいいかな」
「だめなわけなんかない」
うん、これ、美岬そのものだもの。
美岬は器用に一筋の毛を輪にすると、ビニール袋に入れた。プチプチと封をする。
俺も、ハサミを取り上げて、額の生え際の目立たないところから、一筋切り取る。
ばらばらにならないようにそっと美岬に渡すと、やはり器用に輪に丸めて袋に入れた。
「昔、戦争とかで戦いに行く人は、家族と髪の毛と爪を交換したんだってね。うん、この髪の毛を真だと思うよ、私」
ビニールはビニールのにおいあるけど、それでも、美岬の体の一部を持っていられる方がいい。
こんなことしているとかえって辛くなるのは判っているんだけど、それでも何もなかったら、先々、美岬の存在自体を疑ってしまって不安になりそうだった。
美岬の髪の毛の入ったビニール袋を手に取る。案外、多い。そして、それを胸に抱く。あとでロケットかなんかを手に入れよう。
たぶん、6年間、俺はこれを肌身から離さないだろう。
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