第18話 俺たちのこれから


 俺が答えた。

 「はい、ありがとうございます。

 武藤佐からも同様のことを言われました。今回の、未成年の私たちの参加はやむを得ないことだと。

 作戦については、案の段階で決定ではありません。状況に応じた対応が必要になると考えています。

 ですが、TXαは使わない方向で考えています。

 武藤佐ともその方向で相談するつもりです」

 必死で顎を動かして話す。

 薬を使うより、使わない方が百万倍もいい。

 それなのに、この選択は辛い。

 

 「そうか。

 武藤佐との連絡ルートがあるのだな?」

 俺は一瞬、自分の失策に自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。

 通信ルート自体が、「つはものとねり」の中でも極秘だったことを忘れてしまった発言だった。特に、相談するなんて言うのは、論外だ。

 いくら俺が、感情的に追いつめられていたとしてもだ。


 失態後の俺は、無表情でいられただろうか? 動揺を表に出さないで済んだだろうか?

 坪内佐は軽く笑った。

 「そういうルートがない方がおかしい。

 武藤佐のことだ、二つ三つは用意しているんだろう。『つはものとねり』が払う給料はそこまで含めているんだから、そういうものだと思っていればいい。

 詳細は聞かないし、今をもって忘れるから安心しろ」

 はい、安心します。

 嘘を言っていないことくらい、俺には判る。


 なんか、この人のことが解ってきた気がする。

 違う種類の人間なんだよ、俺たちとは。

 生き方そのものが、違う。

 でもね、それはそれでいいんだと思う。


 美岬の母親だったら、多分、口で全く同じことを言ったとしても、必ず調べるだろうな。俺でも調べる。調べて、手を打つとか、その通信手段を遮断するとか、そういうのはないにしても、調べるだけは調べる。

 でも、この人は調べない。手を抜いて調べないとかじゃないんだ。その方がいいと思うから調べない。そして、何かあって、調べなかった責任を問われたら腹を切る覚悟なんだろうな。


 この人が日本に残って、美岬の母親が外国で頑張っているというのも、その辺りなんだと思う。逆だったら、回って行かないよな。

 うまくやっているんだなぁ。

 まぁ、確かに、佐同士が仲悪くないってのは組織としていいしさ。でも、坪内佐のやり方は、ある意味、身を挺している。よかれと思って調べないことを良いことに、俺たちが裏切ったらどうするんだろう?

 責任は、坪内佐に帰って来てしまわないのだろうか?


 あ、こっち見てにやにやしたな。

 「私は忘れると言ったんだ。よく、覚えておけ」

 まったく、ここの人たちは、普通に人の考えを読むんだから嫌になっちまうな。感覚的には常人のはずなのに。


 ……なるほどな、忘れ続けるとも言っていないし、思い出さないとも言っていないわけだ。

 日本語は正確に使えってことだな。

 もしも、俺たちが裏切らなかったら、このまま忘れていてくれると。

 で、裏切るようなことをしたら、その段階で詰むということだな。こんな連絡手段、丸ごと踏み砕いて。


 ってことは、いつでも王手をかけられるだけの余裕があって、その上で自由にさせていてくれるってことか?

 ちょっ、マジで怖いんですけど、この人。

 美岬の母親すら、自分の手の平の上と言っていることに等しいよな?

 自分に制御できない事象なんかないと思っていそうだよ。



 俺の顔色の変化を見ているくせに、平然と坪内佐は続ける。

 「TXαを使わないのであれば、それはそれで結構だ。個人的にも、その方が良いと考える。

 ただし、作戦が決定されていないということは、事態が未だ流動的ということだな?

 この薬は持ち帰らない。

 このような事態のとき、不思議なことに、持ち帰ると必要になるという現象が起きるからな。飲まないに越したことはないが。

 それと、だ。

 我々のブランチは、武藤佐のブランチほど実戦的ではない。

 その一方で、他の組織との折衝、事態の収束実務処理においては、武藤佐のブランチとは比べ物にならないと自負している。

 そのことは頭に入れて、必要に応じて我々にも助力を求めることだ。相手を、鏖殺おうさつすることのみが戦いの方法ではない。

 今だから言うが、前回の君たちの件でも、後片付けの実務は我々がしている」

 あ、そうなんだ。知らなかった。


 とはいえ、なんか納得できた気がする。そか、美岬の母親が作戦を決め、実際に折衝してくれたのはこの人たちなんだ。でも、その方針が了とされなかったら、別の方針をこの人達が考えていたんだろうな。

 さらにだけど、美岬の母親の作戦の目的というか、大元の方針というか、戦略を考えているのもこの人たちじゃないのかな?


 だってさ、考えてみれば……。美岬の母親も、遠藤さん、小田さんも、年の単位の粘り強い交渉ってイメージないもん。その時の優位性を活かして、活かし切って、完膚なきまでに叩いて、一気にケリをつけるってやり方が多い気がする。

 でも、それだけじゃ行きあたりばったりになりかねない。

 グランドデザインを描く必要もあるし、折衝とか地道な仕事も必要になるし。

 そういう人たちは絶対必要だよな。

 そうか、短距離走と長距離走の違いだ。


 この人からも、学べることは多いんだろうな。

 多いけど、それを俺ができるかどうかは、別次元の話になりそうな気がする。ああ、美岬の母親が、代替できる人材がないって言われていたけれど、坪内佐も代替が利かない人材なんだな。

 せめて……、せめてだけど。

 六年後、正確には、五年と九ヶ月後。その時までに、短距離走をマスターし、長距離走を理解できるようになっていたいもんだ。

 そう、美岬と再会できる時までに。


 「了解しました。

 多分、またご迷惑をおかけすると思います。作戦ステージが進みすぎないうちにきちんと連絡しますので、よろしくお願いいたします。

 方向だけ、お伝えしておきます。たぶん、私たちは、身を隠すことでこの危機を乗り越えることになると思います」

 最後の一言。顎が固くなって、動かなくなるような気がした。

 また、口に出して言うことで、美岬との六年の断絶が確定してしまう気がした。

 でも、ついに、口から出てしまった。


 ……いいんだ、これで。

 俺が決めたんだから。

 せめて、あと一日、美岬といたい。でも、それが過ぎたら、二千日以上を信じて耐えてみせるさ。

 あ……、いけないな、感情が溢れ出そうだ。

 坪内佐、見抜いているのかな。

 通常の感覚しかない人に見抜かれるほど、俺は動揺しているのかな。


 「私はこれで失礼する。

 今の作戦方向を、私は全面的に支持する。

 当然、それが何を意味するか、君たちの個人的生活にどう影響するか理解しているつもりだ。

 それでも繰り返すが、今の作戦方向を、私は全面的に支持する。

 武藤佐のブランチは国内にいないが、その方向の作戦であれば、我々が全面的に手配可能だ。作戦開始までの猶予は一日ある。

 今の作戦方向の道均しに、その一日を予定しよう。以上だ」

 はは、一日くれるんだ。俺の願い、読んだようじゃんか。てか、この人も温かい、温かく聞こえるような声で話すことがあるんだな。

 いや、この人、また違うことを考えている。その結果も含めての声だ。

 何かを思い出しているんだろうか。

 マルチタスクで、同時に二重三重に考えている人の考えは読めないよ。


 坪内佐は、俺たちの顔を見渡すと小さく頷き、そして、帰って行った。

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