第3話 俺たちの状況


 俺たちは、無事に高校二年生になっていた。

 俺、双海真も武藤美岬も菊池慧思サトシも、そして菊池が片思いしている近藤さんまでも二年三組、同じクラスだ。

 ま、当たり前なんだけど。


 うちの高校は、国公立大進学志望で文系が一組二組、理系が三組、私大進学志望文系が四組、理系が五組、短大専門学校等が六組、就職組が七組とクラス編成されているからな。一年の時から、一緒になるのは分かっていた。

 進路希望や成績順位が変わらなければ、三年生になってもこのままだ。


 全教科で卒なく得点し、校内一位の成績を独走する美岬、理系科目はそこそこ以上だけど、文系科目で得点のフォローをしないと美岬の後を追えない俺、同じく理系科目はそこそこだけど、世界史、日本史のみで美岬以上の点を確保して校内三位の慧思と、得点傾向が異なるのが面白い。


 一年前、十六歳の時の事件から、俺たちはより用心深く生きてきた。そして、何事もなく、今まで過ごして来ることができた。

 組織の要である美岬の母親とは、一年生の冬休みに会って以来、もう半年以上、一度も顔を合わせていない。


 その冬休みの時の訓練で、遠藤さんと小田さんには、組織の候補生として徹底的にしごかれたけど、慧思と共に耐えたのは大きな収穫だった。その鬼s(複数形な)とも、既に半年会っていない。

 毎月、それなりの額の振り込みがなかったら、また、家庭教師の予備校講師が相変わらず律義に毎晩来てくれることがなかったら、「つはものとねり」のことも忘れてしまいそうな平和な日々が続いていた。



 姉は……、姉は元気だ。いや、元気すぎる。

 夜は俺が講師の付き切りでの勉強になるのを良いことに、青春を謳歌している。って、弟の俺がするには変な表現だな。


 残念ながら、前の彼氏とは別れたみたいだ。一年前の事件で、元カレは何もできなかったことを悔いて、身を引いてしまった。姉はひと月ほど落ち込んだり、深酒したりしたけど、順当に立ち直った。


 姉の気持ちも、元カレの気持ちも解らないではないんだ。一年前、姉が就職していた会社の陰謀の犠牲になろうとした時、元カレは何もできなかったし。

 とはいえ、諜報機関の実動部隊の長である美岬の母親をして、「逃げなかっただけでたいしたもの」と評させたんだし、その陰謀自体が汚過ぎて、対処できる若い男の方が異常ってのも解る。

 けど、なんていうか、姉も元カレもそれなりに修羅場を見ちゃったんだよね。


 姉と姉の元カレの別れを見ていると、自分の身に引き比べて考えてしまう。

 一年前、他の組織の人員から銃を向けられたとき、一緒にいた美岬が取り乱していたらどうなっていたんだったろう? そうよく考えるんだ。もちろん、俺の方が取り乱しちゃう可能性の方が、遥かに高いんだけどさ。

 信頼し合い、依存にならず、という関係を築き得た美岬に、俺は絶対の信頼を持っている。


 姉は、残念ながら、その感情を元カレと共有できなかった。でも、元カレが悪いわけじゃない。むしろ、本当によく頑張ったんだと思う。それも判っているから、お互いに、余計にどうしようもなかったんだと思うな。


 とはいえ、今の仕事は、楽しいらしい。給料増えたし、いろいろスキルアップも望めるらしいし。

 で、俺が勉強している時間には、生け花に、英語にフランス語に、超上級者向け料理教室に、合気道に、えっと、あと、残りの時間は放送大学だったな。相変わらず、あまりビールは手放さないけれど。

 確かに、高校生の時には、このエネルギーを勉強に振り分けていたんだから、成績が良かったのは当然なんだろう。


 でさ、なんか、みんな本気なんだよ。カルチャースクールに通うという姿勢じゃないな。それぞれ、師範になるつもりなのか、通訳になるつもりなのか、シェフになるつもりなのかというレベルで本気だ。

 帰ってきてからも、夜遅くまで復習と実技をやってる。姉よ、一体、あなたは何になるつもりなんですか?



 慧思は、ハードな訓練に耐え、ハードな受験勉強に耐え、四つ違いの妹と二人で暮らしている。

 冬休みの訓練中は、妹も一緒だった。妹を毒親の所には戻せないし、中学生の一人暮らしも無理だと。

 慧思は、妹に訓練について特別な予備校と説明していた。そんなごまかしで大丈夫かな、とは思ったけど、小田さんが上手くやってくれたらしい。ま、肩書きが警察官だから、説得力はあるよな。


 とはいえ、夏休みの時の俺と同じように、訓練二日目にして全身が筋肉痛になり、オシッコもとんでもない色になっていた。あの数日は、本当にしんどそうだったよ。

 それでも、慧思は頭も身体も着実に実力を伸ばしている。


 多分、担任の先生には、謎としか思えないだろうな。親がいない、いないに等しい三人が飛び抜けた成績を取り続けているんだから。



 慧思と近藤さんとは、結局、付かず離れずの関係でいる。理由は簡単、慧思が忙しすぎるのだ。あいつはすでに、家長で世帯主みたいなもんだからね。でも、俺の見るところ、近藤さん、待っていてくれている気がする。

 二人の関係は、近藤さんがボールを持っている。慧思が告白し、返事待ちになっているからだ。

 その返事のタイミングを、良い意味で測ってくれている気がするんだ。とはいえ、あまり甘えすぎないほうがいいけどな。


 最後になるけど、美岬と俺も、同じ状態だ。お互いに解り合えているという、確かな自信はあるんだけれど。



 美岬、この一年で、ちょっとふっくらした。そういうお年頃だしな。

 子鹿のような細さ、美しさから、女性の美しさに変化し始めたんだと思う。おかげで、なんか、前より可愛さ成分が増えている。


 さらにもう一つ、可愛さ成分が増えている大きな理由がある。

 表情が、本当に豊かになった。活きいきとした、生命力に溢れる眼が、俺と視線が絡むときだけの数瞬、信頼感に満ちた表情に変わる。


 俺にとっては、極めて危険な事態。

 うっかり無警戒に、そんな微笑みかけている表情なんか見ちゃうと、意識の全てを持って行かれる。他の音とか、空気に漂うにおいさえも消えて、意識の中が全て美岬の表情になっちまう。異性を好きになるってのは、ここまで心を持って行かれるものなのかと少し怖いくらいだ。


 でも、俺たち、忙し過ぎ。家庭教師が帰った後に、美岬に会いに家を抜け出そうと考えたことも、一度や二度じゃないんだけれど。

 でも、なぁ。

 姉がその時間になっても寝ずに勉強しているんで、どうにも抜け出しにくいのが一つ。もう一つはさ、美岬の家。

 今では俺にも判っているんだけど、あの家、入れ子構造に作ってあって、一軒の家に被せるように、独立した外装だけの家が建っているんだ。鞘堂みたいなもんだな。

 さすがは代々、組織の重要ポストを占めてきただけのことはある。


 だから、中の生活が伺えるような音は外に漏れない。照明の明かりすら外には漏れない。で、カモフラージュ用の照明、生活音の装置が付いているんだよね。おまけに、防犯センサーとかしっかりしていて、外部モニターも有って、それが室内だけでなく、つはものとねりのモニターからも見られる。


 完全に要塞だわ、あれ。

 外装の建物と中の建物の間に、厚さ十センチの装甲鋼板が仕込んでありましたとか言われても、俺、驚かない。


 だから、賭けたって良い。

 あそこんちに行って、呼び鈴ならして、美岬と二人きりになったら、絶対、電話かかってくるよな、美岬の母親から。もしかしたら、鬼sからも。

 それほどの鉄壁の守りで、すべてを見られている場所で愛を語れるほど俺の心は図太くない。


 美岬に出てきてもらう手もありはするけれど、真夜中に十七歳の女子を外に呼び出すことへの抵抗ってのもある。

 おまけにさ、美岬が家から出て行く姿だって、モニターされるに違いないぜ。美岬を呼び出すならば、帰ってこない覚悟と準備が必要だな。で、逃げ切れる見込みは全くない。

 要は、お手上げってこと。


 それに、美岬に手を出したら、「覚悟しとけ」って美岬の母親には言われている。冗談に聞こえないんだよね。まったく、何重に障害があるんだか。


 そうは言っても、救いもありはするんだ。美岬と俺、ある意味、会話が要らないんだよ。視線を合わせるだけで解り合えるから。

 いや、最後まで聞いてくれ、のろけじゃない。


 美岬は、母親から受け継いだ先天的な能力で、赤外光まで見える。だから、俺が何を感じ、何を考えているか、今日の体調はどうかまで、かなり正確に美岬は見極められる。それこそ、体の中から、ポケットの中までお見通しだ。


 俺は、突然変異的に鼻が利く。クラスの連中からも、犬並みと思われている。だから、俺も、美岬の体調から感情の動きまで、正確に嗅ぎ分けられる。

 内分泌系の変化をにおいで嗅ぎ取れるんだ。

 だから、お互いに、言葉を使う以上の効率で情報交換ができる。まぁ、なんか取り繕いたいとき、例えば、トイレの直後とかってのは困るんだけどさ。


 それでも解らないことだけを会話で片付ければ済むから、多分、普通の高校生の男女より遥かにコミュニケーション自体は濃密なはず。

 欠点は、ただ単純にどうでもいいような会話を楽しむという、普通の高校生らしいことができないこと。

 暇ができたら少しでも会って、そんな時間を作ろうとはしているんだけどね。


 美岬と俺の関係が学校内で知られても良いことないから、昼間も怪しまれない程度にしか一緒に居られないしなぁ。

 あー、愚痴っているうちに、本当に会いたいわ。


 最後に、これは俺自身の問題なんだけど、視覚より嗅覚で生きているからさ。

 写真じゃ満足できないんだよね。会って、リアルに千変万化し続ける美岬の香りを聞いていたいなぁと思う。

 美岬も、同じく俺の写真とかを持ちたがらない。

 たぶん、美岬も、俺の体温を見たいからなんだと思う。美岬の視覚からすると、通常の写真では、色が不自然に抜けたように見えているはずなんだ。


 鋭敏な感覚、その鮮明さは、通常の五感を超えているから、なぁ。

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