第9話 現状確認、目的設定


 それから三ヶ月。

 たまにの検診と、それにかこつけて出かける以外は、武藤は部屋に閉じこもって考え続けていた。


 武藤は、血まみれの美桜を見ている。

 新聞等の報道でも、死んだことになっていた。葬儀等の社会的なしきたりにおけるイベントは、入院中で参加できなかったし、一族の墓のある地方で行ったということで、話を聞くことのできる参加者もほとんど居なかった。


 その一方で、あの産休明けの看護婦が、自分を他の人と間違ったということは絶対にありえなかった。武藤は、新聞沙汰になった大事件の生き残りで、病院一の有名人だったのだ。

 たとえ、マスコミに騒がれるような事件が嫌いで、その情報を得るのを避けていたとしても、日本では射創の患者はめずらしいから、医療関係者が武藤への処置を見学に来たのも一度や二度ではなかった。


 ならば、あの晩、やはり美桜が来た可能性がある。

 美桜は生きているかもしれないのだ。

 だからといって、病院の中の医師、看護婦が、真実を知らされることはないだろう。

 今判明している事実は、女性がICUの中まで特別に入ってきたということでしかなく、その女性が美桜である証明はできない。

 美桜だとしても、事件とは無縁の別の患者の親族というカバーで入ってきたことは間違いないし、看護婦長にしても、別の患者のお見舞いが武藤を混乱させてしまったという、病院側の管理の問題として認識しているに違いない。


 ましてや、だ。

 看護婦たちを問い詰めて、もしも万が一の僥倖で美桜が来たということが確定させられたとしても、美桜への連絡先を知っているはずもない。

 武藤は結局、看護婦長や他の看護婦へ問い詰めるのはやめることにした。

 労力と利益が釣り合わないどころか、騒げば騒いだだけ、相手の組織のガードが上がってしまうという害がある。

 一個人にしか過ぎない武藤が何らかの組織に対抗するには、チャンスは一度きりと考えねばならない。

 相手の網に掛からないようじっとしていて、相手に噛みつくときは致死点に向けて一気に行くのだ。

 そう、毒蛇や肉食獣のように。



 相手のガードを上げさせない、すなわち、一般の市民として可能な範囲での探索は当然行った。まずは朝倉家にも電話をしたのだが、「おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめのうえ……」となってしまっていた。ここから分かるのは、身を隠す意志だ。単なる引っ越しであれば、半年間ぐらいは、次の番号の案内がされるはずだ。


 手紙も出してみたけれど、やはり宛先が見つからないということで戻ってきてしまった。通常の引っ越しならば、一定期間、郵便物は転送されるようにしておくものだ。


 身を隠す意志の強さを確認する方法が、もう一つあった。法務局に行って土地建物の登記簿謄本を、市役所に住民票をと公式な書類を一通り揃えたのだ。未だ、個人情報の管理にうるさくない時代だったので、容易に書類は揃った。

 美桜の法的な死亡手続きは完了していた。

 住んでいた家も土地も、不動産はすでに所有権が移転されていた。

 家族は転籍していたし、転籍先は福島県だった。武藤は、そこにも足を運んだが、その住所は空き地だったし、その土地の登記簿の所有権等の権利の設定項目にも、朝倉の名字はなかった。


 事ここに至り、武藤は一つだけ危険を冒した。

 あの日、美桜がどこの病院に運ばれたかを調べたのだ。

 死亡していたから病院以外に運ばれたのだとしても、殺人事件である。どこかで検死解剖がされないはずがない。

 ところが、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」、すなわち公文書開示請求のない頃である。記録は捜査のためという壁もあり、その存否すら窺えない。


 それでも、大きな収穫があった。

 その後三日間、武藤はあちこちの公的機関へ再調査に動き回り、自らの姿を晒した。

 そして、特定のナンバーの車を数度と言わず確認したのだ。

 これ自体が何かを証明できるわけではない。

 それでも、状況証拠だ。

 犯罪被害者が、自ら巻き込まれた事件について知りたいのは当然のことだ。それについて、武藤のことをマークする必然はどこにもない。それなのに、監視がついたということは、知られてはならないことがあるのだ。

 

 だが、ここまでだ。

 この段階で、武藤が後戻りできる範囲での探索の手段は尽きた。

 武藤の探索が単なる好奇心だと、相手が判断できる範囲にいなければならないからだ。まちがっても、継続監視対象になるような事態は避けねばならないし、つまりは相手のガードを上げさせてはならなかった。


 それでも、武藤は、確かな手応えとともに、美桜の生存の可能性が一回り大きくなったことを感じていた。


 もしも、美桜の母親が、説明されたとおりの組織の人間だったとすれば、一個人がその足取りを追うのは不可能に近い。市井の興信所などでも無理だろう。

 そもそもだ。

 このあいだの事件で殺された女子高生を探してくださいなどという、そんな依頼を受ける興信所があったら是非にお目にかかりたいものだ。


 でも、ここまで完璧に身を隠したからこそ、死亡ではなかった可能性がある。娘を失った失意の両親がどこかに身を隠すというのはあり得る話だが、そのためにここまで追跡を避けるように隠れる必要はないし、転籍先に嘘の住所を書くまでのことをする必然がない。さらには、事件をほじくり返そうという相手に、どこかの機関が警戒する必要もない。

 つまり、どれほど薄弱でも、状況証拠と言い得るものが二つあるのだ。


 そう、今回のこの状況は、武藤を置いてここまで完璧に隠れるほど、娘の意志を押しつぶして武藤と絶縁させなければならないほど、危険な事態だったと考えるべきなのだ。そして、その中には、武藤を救いたい、巻き込みたくないという思いもあったはずだった。



 − − − − −


 考えなければならなかった。

 自分の最終目的を、である。


 武藤の中では、あの日、感じた美桜の言葉と顔に落ちた涙は、決して錯覚ではない。だけど、それが麻酔から醒めるときの幻覚で、誰もいなかったという説明には反論できない。

 たとえ誰かいたとしても、別の患者の見舞いに来た女子高生が、「医療機器に幾重にも囲まれた武藤に、興味を惹かれて枕元に来た」というストーリーの方がはるかに説得力がある。それは、武藤自身も認めざるをえない。

 産休に入っていた看護婦の証言も、その現場だけをたまたま見たのだということで説明がついてしまう。


 ということは、武藤が美桜を探すとして、誰からも協力は得られないということだ。誰かに事情を話した場合、うっかりすれば自分が入院させられるのがオチになってしまう。今度は外科ではない。精神科だ。

 最終目的に向けて、自分自身が狂っている可能性を無視できないまま、自分を信じて戦い続けられる動機が己にはあるのか。


 次に、美桜に対する己の感情の整理だった。

 教え子に対する感情なのか? 一人の女性に対する感情なのか?

 教え子に対する感情であれば、たとえ告白を受けていたとしても、美桜の人生にこれ以上口を挟むべきではない。でも、女性として考えているのであれば、美桜を幸せにすることを考える権利と義務がある。

 それには、美桜の告白が遺言か、遺言に等しいものという事実が、武藤の心に整理をつけさせていた。

 また、武藤を巻き込まないようにと気を使われているかもしれないが、武藤からすればもう十分に巻き込まれているのだ。


 武藤は最後に、自分が将来、他の女性と結ばれる姿を想像してみた。

 何回考えても、どう想像しても、ウェディングドレスのベールの向こうには美桜がいた。美桜しかいなかった。その美桜は笑っていた。

 美桜の友人からようやく手に入れた写真の一枚でさえも、美桜はいつも笑っていた。

 それなのに、武藤の記憶の中での美桜は泣いていた。

 あの日のICUの中で、すべてを自分のせいだと自らを責めている、その泣き顔が、最後の現実だったのだ。


 そうではない、美桜のせいではないのだ。

 愛だの恋だのの想いをいたとしても、せめてそれだけは伝えたい。美桜に、自分を責めて責め続ける一生は歩かせたくない。

 自分にあるのは、この動機なのだと武藤は腑に落ちる。そして、目的もこれ以外にあり得なかった。



 そして決めたのは覚悟だった。

 美桜の笑顔と泣き顔の記憶と、そこから生じる感情を拠り所にし、状況証拠だけを足がかりにして、自分は「最後」まで戦い抜けるのか。

 そして、この問いは、否応なく「最期」まで戦い抜けるのかという意味すら孕んでいる可能性が高いのだ……。

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