第33話 二学期開始


 「顔色、良くないな?」

 夏休み開け、相変わらずこっちのクラスに平然とやってきて、いきなりサトシが言う。

 無理もない。


 夏休み、最後の三日間の無理が祟っている。

 ってか、俺、八時間前は、疲労の極限で地面と仲良くなっていて、鬼から冬休みの予定っていう宣戦布告を受けていたもん。


 「なんか、疲れた。夏休み、ラストスパートで宿題は終わらせたけどさ」

 サトシに愚痴る。


 サトシは目を細めた。

 「お前さ、夏休み、何してたんだ?」

 「知っているだろーが。お前とも遊んだぜ」

 「夏休み中、お前、なんか切羽詰まってたから言えなかったけれど、お前の体一回り大きくなっているな。成長期だからとか、そんなもんじゃない。肩周りとか、分厚く感じるぐらいだ。運動部でもそこまで肉が付いてないぞ」

 誤摩化せないことは判っていた。そして、下手なカバーストーリーは、サトシに通用しないことも。


 だから、俺は、これからのことを、しっかりとサトシに話さなくてはならない。


 このことについて、鬼遠藤と話はできていた。美岬さんの母親にも話は上がっている。


 俺の欠点……、嗅覚に頼りすぎていること。

 嗅覚をも疑えという美岬さんの母親の言葉を噛み締めざるを得ないし、これからも忘れてはならないことだ。

 そして、自分の行動を見直した結果、今までの日常で、嗅覚に頼りすぎている俺をうまく制御してきたのは、サトシだと言うことを自覚せざるを得なかった。


 それをサトシが自覚して行っているのか、友人として付き合う中で結果として生じた力関係なのかは判らない。

 でも、さ、こいつとなら、どんな不可能でも可能にできるし、してきた。

 美岬さんのことだって、サトシがいなければ突き止められなかったと、今にして思う。


 でも、視界の隅に近藤さんがいたので、そちらの話からすることにした。あくまで自分の好奇心が優先したわけで、まあ、完全に野次馬根性だな。

 「その前に一つ聞かせてくれ。近藤さんとの仲はどうなった? どう告白したんだ? お前、玉砕した後、夏休み中に会った時も身をくねらせるだけで白状しなかっただろ。

 って、なんだ、その縋るような眼は?」

 「実は、なにもなかった」

 「それは想像がついていたけど……。

 メールぐらいしなかったのか?」

 「お前な、今の段階だと、お前と美岬ちゃんのことがなきゃ自然な話題がないんだ。もう一回話をできる機会を作ってくれ。次への布石をその中で打つから。最後に会って話した時の話題が切羽詰まりすぎていて、近藤さんと共通の話題も見つけられなかったんだ」

 そうか、隣のクラスの連中が嫌がらせをしにきたときに話したままで、サトシと近藤さんの時間は止まっているんだ。


 ……こいつ、今、美岬ちゃんと言ったな。なんでちゃん付け? もしかして、美岬さんとの仲がこいつにはバレてる!?


 「機会を作ることは、それはそれとしてだ。

 話がある。今ここでは無理なんで、帰りにな」

 サトシは情けない顔のまま、自分のクラスに帰って行った。


 すれ違いで美岬さんが教室に入ってくる。同時にチャイムが鳴る。計ったようなタイミングの良さに、二学期早々から感心するしかない。



 夏の制服の美岬さんを見た瞬間、体温が一気に上昇した気がする。

 四十日ぶりだ!!

 長い髪をポニーテールで背中に流し、綺麗なうなじが見えている。今の知識を持って見れば、そのうなじが細いだけの頼りないものではないことが見て取れる。筋肉とそれを覆う薄い脂肪のバランス、それが、美しいのだ。


 夏休みと言うのは、いろいろな意味で人間関係をリセットする。本当にこんな綺麗な娘が俺に心を開いてくれたんだろうか。不安で不安でたまらなくなる。

 美岬さんが教室に入ってきたとき、視線を合わせられなかった。単に時間的に切羽詰まっていたせいもあるけれど。ああ、鼻腔の奥がアドレナリン臭ぇ。自分で自分のにおいが嫌になるほど動揺しているのかよ、俺は。


 いつもより少し長いホームルームがあって、美岬さんと俺は文化祭実行委員の仕事として、紺碧祭のテーマとポスターの応募作品を集める。ともに数案。あとで、三年生の実行委員長の所に持って行かなくちゃな。

 でも、クラス全員の前だぜ。美岬さんを見つめることも、話をすることもできやしない。


 終わって、授業開始まで十分休憩。

 すかさず美岬さんの方を……、見られなかった。近藤さんが少し困ったような顔で、俺の席の前まで来たからだ。

 「久しぶり。ねぇ、夏休み前のことなんだけれど」

 「ん?」

 美岬の件はカバーストーリーでキリが付いているし、やっぱり……。

 「菊池くんのことで、なんだけど、どんな人なの?」

 「どんなって言われても……。サトシのことは、観察力の鋭い、それでいてデリカシーのある良い奴と思っているけど?」

 ここで、ちょっとイタズラっ気が出た。

 「近頃、逆上することが多いけどな」

 「逆上?」

 「うん、文字どおり。同じ人間とは思えない程。

 冷静さの欠片もなくなり、小学生が好きな女の子をいじめちゃうみたいな、論理性を失った行動を取る。あいつが、あんなに純粋とは思わなかった。普段が普段だけにな」

 「普段って?」

 「さっき言ったとおり。

 基本的に俺よりずっと大人だよ。武藤さんの件だって、あいつの判断がなければ判らなかったことの方が多いや」

 「そうは見えないんだよねぇ。いーや、そう見えていたんだけど、話してみたら、全然そうじゃなかったし。おまけに、よく解らないことも言うし、というか、必要なことは言わないし」

 「よく解らないこと?」

 近藤さんが、心持ち赤くなった。

 ったく、メチャクチャな評価だな、サトシよ。


 その時、美岬さんがすっと話に割り込んできた。最初からいたような自然さだった。

 「私には、双海くんと同じに見えるけれどな」

 近藤さんは、少し驚いたように美岬さんを見やった。美岬さんが続ける。

 「私は双海くんほど菊池くんを知らないせいもあるけど、むしろ、彼を怖いと感じることがあるのよ。なんか観察されているというか、言葉の端はしからいろいろ推理していそうで、なんでも見抜かれてそうな気がする」

 近藤さん、納得していない。


 「一つだけ言わせてもらえばなー。俺は、あいつと長い付き合いだけど、あいつの基本はバカだ。どれだけ大人っぽくてもバカだ。冷静に観察し、論理で判断し、でも、あいつはバカで、バカなあいつ自身が最後は判断しているからこそデリカシーも失わないし、観察した事実を悪用することもない」

 近藤さんは、納得したような、しないような曖昧な表情になった。

 「もしかして、双海くんの言うバカってのは、文字どおりの意味でお人好しってこと?」

 美岬が先に答えた。

 「そうでなかったら、私、『怖い』じゃ済まなくて、『危ない』って感じるんじゃないかな」

 「あいつが近藤さんの前でわけが分からなくなるのは、本人も自覚しているらしいんだけど、まぁ、あがってるんだよね。近藤さんに慣れるまではあの調子かもなー」

 近藤さん、今度は前より赤くなった。


 あ、十分終了。

 一時限目が始まる。二学期の初授業は、英語だった。

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