第28話 筋を通すということ


 「双海真由さん。

 あなたは、最初、あなた達の両親の保険金とか、持ち家とか、すべて差し出すつもりだったようですね。でも、それでは足らなかった。なので、あなたは、真君に、ご両親の残された財産の名義変更されたようですね」

 さっき、姉は、「学費はなんとでもするから」って、言ったよな。こういう意味だったのかよ……。

 全身を無力感が襲う。


 「美岬、あなたも覚えておきなさい。

 さっき、お二人が来る前に、あなたにはあなたの判断で生きる自由を与えた。今までは、私の判断で教育方針を決めてきたけれど、自分のために自分で選んで学ぶことの自由も保障した。真君のように、好きな本を好きほど読みなさいとも伝えた。あなたを一人の大人として扱うと約束した。

 その上で、もう一度覚えておきなさい。

 そういう悪意を持つ人たちは、少なくない数が現実にいる。その人たちは、私たちにも牙を向ける。私がそうだったように、あなたもターゲットにされる可能性は高い。

 そして、その人たちも、私たちが守らねばならないこの国に含まれている。

 それが、私たちの仕事の一面でもあるのよ。

 私たちの仕事に本当に必要な資質はね、学校でのいじめ以上の悪意と毎日付き合って、なお、自分の尊厳を保ち、絶望しないことなのよ」

 これは、美岬さんに対してだけではない。俺に対しても言っているのだ。


 美岬さんは……。それこそコピー用紙のように蒼白だった。桜色の唇さえ、白っぽくなっている。

 言っていることは解るけれど、厳し過ぎだ。

 俺が昼間、美岬さんに話した論理なんて、とっくに飛び越えちまってる。あの二人のおっさんたちが、俺のことを「青い」だの「蕁麻疹が出る」だのと評した理由が、痛みという鑿を持って心の底に彫り込まれた気がする。


 多分、俺の顔色も美岬さんに劣らず蒼白だっただろう。

 ただ、俺の心が折れきらなかったのは、やはり、不条理に対する怒りのためだった。

 悪の被害者の、具体的な実例が、よりにもよってなぜ俺の姉なんだ?

 その運命の不条理さへの疑問だけが、紙一重のところで俺の心を折らせなかった。


 「私に、どうしろっていうんです……」

 姉がやっと、言葉を発した。

 「こちらに対して、して頂きたいことはありません。

 誤解がないように、きちんと筋を通させていただきますが、私たちは、真君が仲間になるのであれば、身内の方はクリーンでいていただきたいこと、仲間になれば、その親族は自動的に保護プログラム下に置かれるということを言いたいだけです。

 私たちは、私たちの組織の人員を守ることで組織をも守りますが、組織外のことに対しては基本的に民事不介入の原則がありますし、刑事事件だとしても通報以上のことは捜査機関が対応することであって、我々はタッチしませんし、できません。

 また、もしも私たちの見方が誤っていて、お姉さんがご自分で切り抜けられるということであれば、それは、大変に先走ったことをお話したということになります。その場合は、脅迫的にも取れる言い方であった側面をお詫びせねばなりません。

 ただ、この話を持ち出すまで、お姉さんがこちらの話をきちんと聞いていただけなかったことも、ご留意いただければ幸いです」

 丁寧な言い方に、姉が少し冷静になるのが分かった。


 「もう一つお忘れなきようお願いしたいのは、今回の件の発端です。

 私たちは、真くんのスカウトに伴って身辺調査を行い、その結果から今の話をお願いさせていただく立場です。

 お姉さんが自らの窮地をなんとかしてくれと、訴え、願われたわけではないのです。

 たまたま、タイミングが合ったのは巡り合わせです。

 ですから、真くんがどのような判断をするにせよ、お姉さんが、『自分の身の安全のために弟を売ってしまった』というような慙愧ざんきの念に囚われるとすれば、それは全く筋が違うと申し上げておきます」

 「なぜ、そこまで、お心配りをいただけるのでしょうか?」

 何度も唾を飲み込みながら、震える声で姉が聞く。

 口の中、からっからなんだろうな。


 「諜報機関を、無法集団のようなものとして想像されてはいませんか?

 確かに、私たちの業界は特殊ですが、それでもコンプライアンスを重視し、一個人としても遵法精神の上に生活をしています。私たちは業界のルールに縛られることもありますが、それも警察や自衛隊に許される範囲に留まるとお考えください。

 たとえば、映画のように無制限の武器の使用はありえませんし、防衛という観点から逸脱した行為もしません。

 ですが、イメージは実際からかけ離れていますから、家族から職員を孤立させないために、将来の禍根となるような誤解は解くことを義務付けられています」

 姉は曖昧に頷いた。多分、理解しきれていない。



 姉に時間を与えるため、少しの間、俺が話そうと思った。

 「一つお聞きしていいでしょうか。先ほど、確実にでっち上げだとおっしゃいましたが、その具体的証拠はあるのでしょうか?」

 母親さんの答えは明快だった。

 「あります。

 反社会的組織からの入金を失われたことにするマネーロンダリングですから、会社側もきちんと経過を残さないと、会社自体を乗っ取られてしまいます。

 そもそも、犠牲者も今回が初めてではありませんし、当然のことながら二重帳簿もあり、そのおおよその場所も既に関係機関は摑んでいます」

 説明の歯切れがよい。ちょっと、アニメに出てくるロシアの女性軍人の口調を思い出した。無法の街で、ロシアマフィアを率いている人だ。ですます体をやめれば、そのままそのものに聞こえるかも知れない。


 ようやく、姉が再参加。

 「それなのに、警察も税務署とかも、手を打てないんでしょうか?」

 母親さんは続けた。

 「真君を調査する過程で、お姉さんに巨額の保険金が掛けられていることが私たちの関心を引きました。急遽、警察や税務署と連携を取ったのも、その事実を発見したからです。

 手口としては、嵌める役の数人が、その部課に異動することから始まります。

 ターゲットを決め、そのターゲットのミスによって損失が生じたことにして、反社会的団体の資金のマネーロンダリングと脱税を行います。そしてその担当者の資産と、自殺に追い込んだ後の生命保険で補填という形で帳簿上は元に戻ります。実態はそのまま利益になるわけですね。

 最初は男性が犠牲になりましたが、次は女性でした。

 犠牲者を女性にすることで五千万ほど利益が上乗せされたようです。反社会的組織に引き渡され、最後は文字どおり、体もばらばらにして売ったようですね。

 それに味をしめて、三人目も女性をターゲットにしたのでしょう。

 この手口で何よりたちが悪いのは、生け贄にされた人自身が巨額の損失の元となる間違いを信じ、自分に責任があると思わされていることです。社内に、無実であるという証人はいませんし、逆に犠牲者の過失だという証人はたくさんいますから。

 そして、厳然としてミスをしたとされる書類は残っているのです。

 意図的に、業務規程も曖昧あいまいにしてあり、社員のミスを無限追求できる余地があります。

 なので、本来告発すべき人が、会社を弁護し、証拠となる書類を整理・処分し、生命保険の受取人を会社にし、お詫びの遺書を残して自殺してしまうのです。こうなると、証拠と証人、両方を失いますし、そもそも全てが最初からなかったことになって、社外に話が出てこなくなります。こうなると、告発はきわめて難しくなります。

 関係機関では、会社本体を追い込むために、あと一、二年は泳がせるしかないと観られていました。今までの二人の犠牲で、当局は偶然性を否定して捜査を始めていたのです。

 ですが、証拠も証人もない状態では手の打ちようがありません。いきなり家宅捜索はできませんし、今の現在進行しているお姉さんの案件で証拠固めを完璧にするしかないとされていたのです」

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